私の定義 サンプル
金づちで釘を打つ音が、部室の中に響く。その音の発生源に目を向けると、青いシャツに包まれた背中が見えた。
「先輩、何か手伝いましょうか?」
「いや、いい。あとこれだけだし……いてっ」
「どうしたんですか!?」
堀先輩に近寄る。彼の左中指に、血がにじんでいた。
「ささくれたところが刺さったみてぇだ」
「ば、ばんそうこう! 救急箱どこですっけ!?」
「落ち着け。このくらい、舐めてりゃ治る」
「駄目ですよ! ちゃんと消毒しないと」
えーと、救急箱があるところって。あっ、思い出した!
小走りでその場所に向かい、救急箱を手に戻ってくる。先輩が私のほうを振り返った。
「救急箱も持ってきましたし、見せてください」
観念したように、彼が左手を差し出す。消毒液を片手に覗き込み、彼の手に触れた。その瞬間、頭の中を情景が駆け巡る。
彼の肌の感触、体温、それらを感じながら味わう血。温かくて、まろやかで、何度でも欲しくなるような
「鹿島?」
眉を寄せて、彼が私を見ている。
「あっ、すみません。すぐやります」
脱脂綿に含ませた消毒液を傷口に塗り、ばんそうこうを丁寧に貼った。それを先輩が眺める。
「悪いな」
「いえ、別に大したことは」
ばんそうこうのガーゼに、赤色が浮かんできた。唾を飲み込んで、目を逸らす。
「どうしたんだ?」
「何がですか?」
「おまえ、さっきから様子がおかしいぞ」
「そうですか? 気のせいですよ。私、これ片付けてきますね」
救急箱を手に立ち上がり、元の場所へ戻しに行く。それを片付けて、その場で壁に腕をつき、もたれかかった。
さっきのは一体、なんだったんだろう。あんなこと、あったはずがないのに。彼に抱きついて、首筋に噛みついて、血を、吸っていたなんて。なのに私は、彼の血の味を知っている。
頭を左右に振る。これは何かの間違いだ。ただの白昼夢だ。そうでなければならない。だから、さっき一瞬だけよぎった考えは封印しよう。
彼の血を舐めすすって、飲んでしまいたいなんてことは。
(中略)
「おまえ、俺の血を吸いたいって思うか?」
身体が跳ねる。固唾を呑んでいる先輩から、目線を外した。
「吸いたい、って言ったら?」
再び彼が考えを巡らせる。
「それがおまえの望みなら、別に構わねぇぞ」
「えっ?」
目を丸くして、先輩を見つめ直した。
「吸っていいってことですか?」
「それ以外に受け取りようがあるか? まぁ今のおまえにあんな牙はねぇから、前と同じようにってわけにはいかねぇが」
「そう、ですよね」
そういえば、どうやって吸うかまでは考えてなかったな。
「鹿島。少し帰るの遅くなってもいいか?」
「あっ、はい」
彼に手首を掴まれる。
「ちょっと来い」
そのまま腕を引かれ、一緒に足を進めていく。しばらく歩いていくと、公園に辿り着いた。先輩に促されるがまま、揃ってベンチに腰を下ろす。周りを見回した彼が、鞄からペンケースを出し、中のカッターナイフを手に取った。刃が少し現れたところで、それを自分の指の腹に当てる。
「先輩?」
彼が指の腹を切った。傷口からにじんだ血に、私の目が向く。
「いきなり、何を」
その指が顔の前に差し出された。
「吸うというより、舐めるって感じになると思うけど」
「えっ?」
出てきた血が、傷口の上で膨らむ。
「これが欲しいんだろ」
唾液を飲み込んで、溢れてくる血を眺めた。
「本当に、いいんですか?」
「いいって言ってんだろ。早くしねぇと、かさぶたになってふさがるぞ」
「は、はい。じゃあ、いただきます」
顔を近づけて、指先をくわえる。口の中に、あのまろやかな血の味が広がってきた。傷口を舐めて軽く吸うと、先輩の肩が跳ねる。
「うまいか?」
頷いて、また舌を這わせた。彼を見ると、眉を寄せている。
「すみません、やっぱり嫌でした? それとも傷口にしみるとか」
「そういうわけじゃねぇ」
彼がまぶたを下ろし、また開いた。
「もういいのか?」