堀鹿再録本 サンプル
・君を好きになって(鹿島くんが恋を自覚したり堀鹿が付き合い出したりする短編集)
そういえば私は、「部長」としてではない彼の姿をあまり知らないとか。
「ありがとう、堀くん。おかげで助かっちゃった」
彼にとって部活は、生活の全てではないんだとか。
「いや別に。こんなことでよかったら、遠慮なく言ってくれよ」
彼だって、同級生と談笑することがあるんだとか。
「本当、ありがとう。またお願いね」
そんな当たり前のことに、どうして今まで気づかなかったんだろうか。
笑顔で手を振って去っていく女性に、彼も微笑んで手を振り返す。その表情は普段の厳しくも真面目な部長のものではなくて、私はその場に立ち尽くしてしまった。
そうだ。彼に一番かわいがられてる後輩が私だとしても、それはあくまで後輩の中での話でしかない。彼にとって身近な相手を全て見渡した時に、私より先に彼の目に留まる人は他にいるかもしれないんだ。
「鹿島? おまえ、何そんなとこに突っ立ってんだ」
私に気づいた彼が近づいてくる。
「おい、何か言え。かし」
「なんでもないですよ、別に」
それだけ言うと、彼に背を向けて走り出してしまった。私を呼ぶ彼の声を聞きながら、唐突に自覚する。
私は彼を――堀先輩を、一人の男性として好きなんだと。
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・彼と彼女の歩む先(堀鹿が結婚する話)
結婚すること、というより花嫁になることに憧れを持つ女の子は多い。私はそんな感覚を持ち合わせていないし、自分が花嫁になるなんて想像したこともない。それでも好きな人ができて、その人と一緒になることができたら、幸せで胸がいっぱいになるのだろう。
「なんて思っていた時期もありました」
「今はどんな気分だ」
「うーんなんていうか、名字が変わったっていう実感がないです。だって書類を役所に出してきただけですよ」
隣で呆れ顔の彼が溜息をつく。
「それにしてもこう、もっと他に反応があるだろ」
「他ですか? そうですね。世間では夫婦のことをしょせん紙切れ一枚で繋がってる仲って言ったりしますけど、本当なんですね!」
「入籍して早々なに言ってんだおまえ」
笑い飛ばした私の手を掴んだ彼が、「もう黙ってろ」と歩き出す。私も足を進め、また彼の横に並ぶと手を握り返した。
私は今日、二十三年も名乗って来た「鹿島遊」から「堀遊」になった。隣にいる彼、堀政行さんと同じ名字だ。
「いやー、私だって嬉しくないわけじゃないんですよ。ここまで本当に長かったですもんね」
「おまえが勝手に先走ってただけだろ。俺は最初から、おまえが社会人になって一年は経って、状況が落ち着いてからって考えてたぞ」
「なんですかそれ! だったら同棲はじめる時点で結婚を前提に、とか言うのやめてくださいよ! 私すぐに結婚する気なのかと思いましたよ!」
「よっぽどのことがない限り学生結婚なんて非現実的だろうが! おまえはいろいろとすっ飛ばしすぎだ!」
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・私の罪は(Buzyの「鯨」という曲をモチーフにしたホリカシ)
私は、生まれた時から罪を背負っている。母が私を産むのと引き換えに命を落としたために、父にいつも言われていた。
「おまえさえいなければ、あいつは死なずに済んだんだ。おまえがあいつを殺したんだ」
生まれてきたこと自体が、私の罪。それでも、私は生きている。それがきっと、私への罰だ。死に逃げることは許されない。誰からも愛されることなく、存在を呪われながら、ただ生きていくだけ。
最近じゃ、ごはんもまともに食べさせてもらえなくなってきている。生ごみを漁るカラスを見て何度も、私もそうしようかと考えては頭を横に振った。さすがにそれは、人としてどうなんだ。いやでも、別にいいかな。だって誰も、私を人間として扱わないんだから。
真夜中のごみ捨て場に近づく。街灯を頼りに一つの袋に手を伸ばし、結び目をほどこうとした。
「おまえ、何やってんだ? こんなところで」
聞こえた声に顔を上げると、黒い服を着た男の人がこちらを見ていた。
「なんだ、まだガキじゃねぇか」
闇の中に立つ姿はまるで、
「あなたは、死神さん?」
彼が目を丸くする。だけどすぐに小さく笑った。
「ある意味そうかもな。でも、おまえみてぇなガキをどうこうする趣味はねぇ」
近づいてきた彼がしゃがんで、私を上から下まで見た。
「随分ガリガリだな。腹へってんのか」
軽く頷く。
「帰るとこあるのか?」
今度は首を左右に振った。彼が息を一つつく。
「家なしか」
「……家はあるよ。けど、お父さんは私がいても気づかないし、私が食べられるものはないから」
「家族は父親だけか?」
また頭を縦に振ると、彼の手が私の髪を撫でた。
「おまえがいることに気づかねぇなら、いなくなっても分からねぇよな」
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・二人の関係(堀鹿が付き合い始める話)
(前略)
「そういえば先輩。さっき話しかけたことですけど」
「ああ、御子柴が読んだ漫画の話だったか?」
「はい。学園ものだと思って読んでたら、いつの間にか時間が飛んで主人公が社会人になってて、実は主人公が過去の学園生活を思い返すって形だったって」
「知ってて読んだんじゃないのか?」
「爽やかな学園青春ものみたいな表紙に惹かれて、内容を知らずに買ったらしいです」
それなら確かに、そういう本に当たることもあるだろうな。
「過去の学園生活で主人公が好きになった女の子がいて、その子との恋愛模様が回想のメインらしいんですけど」
「主人公は男か」
「そうです。淡くも切ない片思いの日々が描かれてて、最後はその女の子が妻か婚約者として出てくると思って読んでたそうなんです。でもけっきょく結ばれなくて、その女の子が結婚したことを人づてに聞くんですって。主人公に今は別の彼女がいるってこともなく、後味わるいって御子柴が嘆いてました」
「どれくらいの長さの話か知らねぇけど、延々と片思いばかり見せられてたら、そりゃ最後に救いくらいは欲しいだろうな」
少女漫画の場合は、結婚エンドがセオリーって野崎が言ってたな。
「世の中ハッピーエンドの話ばかりじゃないとはいえ、世知辛いですよね。うちでやる話はいつも大団円ですけど」
「校内の生徒を相手にやる劇だからな。変に拗れた話や悲劇にしてもしょうがねぇだろ」
「確かに。観てくれる人も含めて、みんな笑顔で終えられたほうがいいですよね」
鹿島が笑顔で頷く。こいつとは学年も違うし、このままじゃ俺の卒業と同時に疎遠になる可能性が高い。もしかしたら俺も、こいつがいま話した漫画の主人公みたいになるんだろうか。
「先輩、どうしたんですか? 真剣な顔して。あっもしかして、次の劇の構想が浮かんだとか?」
いや、それだけはごめんだ。
「鹿島」
「なんですか?」
「好きだ」
鹿島の足が止まる。数歩先で俺も立ち止まり、振り返った。
「俺と付き合ってほしい」
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・呼び方ひとつで(付き合ってる大学生堀鹿が義兄妹ごっこをする話)
俺は大学に入ってから、ひとり暮らしを始めた。そのアパートに、今日は鹿島が来ている。二人しかいない部屋の中で、ベッドの上に並んで座り、それぞれ本を読んでいた。自分の部屋に鹿島がいる光景も、もうすっかり慣れきった。無言でただ同じ空間に存在するというのが苦じゃないのは、相手が鹿島だからだろう。とはいえ、付き合い始めてすぐの頃は、二人きりとなると意識してしまって仕方がなかった。どっちかの部屋で過ごすなんて、もっての外だ。だが二年以上たった今は、すっかり落ち着いた気持ちで過ごすことができる。
付き合い始めた頃は二人とも高校生だったが、気がつけばもう俺が大学三年、鹿島が大学二年の春を迎えていた。これだけ時間が経てば、そのぶん一緒に過ごした時も多くなってくる。互いの肌に触れて身体を重ねるのもいいが、こういう穏やかな雰囲気も悪くない。
本のページをめくる音が響く。少し間を置いてから、隣の鹿島が身体を寄せてきた。
「どうした」
「堀先輩。妹ってどう思いますか?」
「……は?」
またいきなりわけの分からないことを。
「どうって言われても」
「先輩って、弟さんとふたり兄弟でしょう? 妹がいたらって思うことないですか?」
「いや、別に」
「私は先輩といるとたまに、兄がいたらこういう感じなのかなって思う時があります」
「人の話きけよ。つーか、仮にも恋人に対して兄っておまえ」
こいつ、そんなこと考えてたのか。
「そこで提案なんですが」
「嫌だ」
「ちゃんと最後まで聞いてください」
「ろくなこと考えてねぇのが見え見えなのに、なんで聞かねぇといけねぇんだ」
鹿島が頬を膨らませた。
「先輩にとっても、おもしろいことだと思うんですけど」
「どうだか。おまえの言いたいことは予想つくぞ。おまえを妹だと思えとか、そんな内容だろ」
「正解です。試しにどうですか? 私も先輩のこと、『お兄ちゃん』って呼びますから」
「お、おに」
動揺した俺に、鹿島が首を傾げる。
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・書き下ろし(付き合ってる堀鹿で87号ネタ)
「ねぇ先輩。どれがよかったですか?」
鹿島が笑顔を向けてくる。
「なんの話だ」
「ほら、先輩にコーディネートしてもらった時の」
「ああ」
あれは我ながらいい出来だったな。
「私が男子のリクエストに応えてた時、先輩もいたでしょ? どれかグッときたのあったかなって」
「そうだな」
デジカメを操作して、あのとき撮った写真を見ていく。
「これだろうか」
差し出したデジカメを、鹿島が覗いた。その顔がわずかに引きつる。
「これ、ですか?」
画面の写真は、鹿島が悔しそうに「おまえの命令に従おう」と言っている時のものだ。
「不満か?」
「いえ、そういうわけじゃないです。既に嫌な予感はしてますけど」
鹿島が長く息をつく。そいつが考えて、俺を見た。
「私の勘違いだといけないので、いちおう訊きます。先輩、これしてほしいんですよね」
口角を上げ、そいつを見返す。
「分かってんじゃねぇか」
「なんですかその顔。どんな命令する気なんですか」
眉を寄せて、鹿島がまた息を漏らす。
「いいですよ。先輩が喜んでくれたら、私も嬉しいですし」
「本当か?」
「はい。でも、カツラはどうするんですか? まさか、そのために部のを拝借して」
「いや、それはさすがにな。汚れたりしてもなんだし」
机の横に置いていた紙袋を手に取る。鹿島に渡すと、中を見て目を丸くした。
「えっ? これって」
「こんなこともあろうかと買っといた」
鹿島の顔がこわばる。
「それは、随分と準備がいいですね」
紙袋に手を入れたそいつが、中のカツラを取り出した。
「そんなに気に入ったんですか」
鹿島の頬を指でつつく。
「おい、表情かてぇぞ。今さっき、俺が喜んだら自分も嬉しいって言ったの誰だ」