求めるのは一人だけ サンプル
それは本当に、何気なく口にしたことだった。
「真由ってさ、何でこの名前になったんだ?」
寝転がる真由を見ると、目だけがこっちに向く。
「何で、とは」
「何つーか、今はすっかり慣れて当たり前になってるけど、『真由』って名前、普通は女につけるよな」
あのブログのまゆまゆだって多分、本名は「まゆ」なんだろうし。いや、「まゆみ」や「まゆこ」の可能性もあるか? どの名前でもかわいいよなぁ。きっと「まゆまゆ」っていうのは、周りから呼ばれてるあだ名なんだろうな。
俺に視線を投げていた真由が、身体をゆっくり起こす。
「母さんから聞いた話だと、俺は腹の中にいた時、生きてるのか心配になるくらい動かなかったそうです」
「おまえらしいな」
「それで、大人しいから女だと思ってこの名前を考えたけど、男だと分かってびっくりしたとか」
「その時点で、おまえの両親は名前を考え直したりしなかったのか?」
真由が何かを考える。
「生まれる前のことなので覚えてませんが、たぶん俺、呼ばれる名前が変わるの面倒くさいと考えてたと思うんです。性別が分かるまでに、何度も『真由』って呼ばれてたはずですから。それが母さんに伝わったのかと」
「何だそれ。名前が変わらなかった理由は聞いてねぇのか」
「はい、そこまでは確か」
「そこがいちばん肝心だと思うけど、知らねぇならしょうがねぇか」
しかし、女だと思ったからこの名前にした、ねぇ。
「もしおまえが本当に女だったら、どんな感じだったんだろうな。面倒くさがりは同じとして」
「どうでしょうね。女でも柔道をしていたかもしれませんし、全く別のことに興味を持ったかもしれません」
「どっちもありそうだな。もし柔道をしてなかったら、何してんだろうな」
「何もしていないのでは」
「ああ、そうかもな! それが一番ありえるかもしんねぇ」
女の真由か。同じ男の俺が言うのも何だけど、真由は顔立ち整ってるほうだし、女だったら美少女かもな。見た目だけならクールビューティーって感じになりそうだ。実際はただの面倒くさがりだけどな。
「女のほうがよかったって思いますか」
真由を見ると、いつもの無表情を向けてきてた。やけに食いついてくるな、この話題。
「どうだろうな。女だったら、今みたいに仲良くなってなかったかもしんねぇし。でもやっぱり、ちょっと気になるかもな。女のおまえ」
まぁ何を言っても、真由が男なのは変わんねぇけど。俺は今のこいつが割と気に入ってるし、それでいい。
「もう終わりにしようぜ、この話」
苦笑してみせると、真由が小さく頷いた。また寝転がり始めたそいつを眺めて、肩をすくめる。
これはただの日常の一部、何てことのない会話の一つのはずだった。だが後から思えば、このとき既に、フラグは立っていたのだろう。
授業を終えて、通い慣れた道を歩く。今日も野崎の手伝いがあるが、まだ締め切りまでは少し余裕がある。もしかしたら真由も来るかもしんねぇし、あいつと漫画の話でもしながら、ゆとりを持って作業をするのもいいかもな。
「実琴さん」
背後からの声に足を止める。俺をこう呼ぶ奴なんて、一人しかいない。でも、知っている声よりずっと高い。
少しずつ振り返ると、肩の上で髪を切り揃えた、中学生くらいの女子が立っていた。そいつが首を傾げる。
「どうしたんですか? 何か信じられないものを見ているような顔をして」