その言葉が言いたくて
覚えてない堀ちゃんと臆病な鹿島くんの話です。
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「なぁ、堀ちゃん。鹿島が処女じゃねぇって知ってたか?」
瀬尾の言葉に、目を見開く。
「は?」
鹿島って、あの鹿島だよな。
「あいつ、彼氏いんのか」
瀬尾が眉を寄せる。
「いるような、いねぇような」
なんだそれ。
「どういうことだ?」
両腕を組んで、瀬尾が考え始めた。
「どう説明したもんかな。あいつは付き合ってると思ってたけど、相手はそんなつもりじゃなかった、みてぇな」
「なんだそれ。そんな最低な奴とヤったのか、あいつ」
瀬尾の目が冷たくなる。
「ほんと、最低だよな」
その目で見つめられて、心臓が少し跳ねた。なぜか、責められてる気分だ。
「鹿島のこと、心配してんのか」
「そりゃ、するに決まってんだろ。私のことなんだと思ってんだよ、堀ちゃんは」
瀬尾が俺に背中を向けた。
「まぁ、そういうことだから」
「待て。なんで俺に、そんな話をしたんだ。すげぇデリケートなことじゃねぇか」
「でも堀ちゃん、気になるだろ?」
瀬尾が振り向く。
「鹿島の相手」
あの鹿島が、身体を許した相手。鹿島の全てを知る男。
「気になるに決まってんだろ」
瀬尾が肩をすくめた。
「そうかよ。まぁ、運がよけりゃ分かるだろうな。鹿島に訊いても意味ねぇと思うけど」
「本人に訊けるわけねぇだろ、こんなの」
「まぁな。あ、そうだ堀ちゃん。最近、記憶が飛んだことってあるか? 例えば、昨日とか」
なんでそんな具体的なんだ。いやでも、昨日か。
「そういや、放課後あたりから記憶がねぇな」
「その前は何してたんだ?」
「確か、鹿島がケーキを持ってきたんだ。それを食ったことは覚えてるんだが」
瀬尾が顔を逸らす。
「ふーん、そっか」
そいつがまた、背中を見せた。
「じゃあまたな、堀ちゃん」
今度はそのまま、瀬尾が歩き去っていく。姿が見えなくなると、小さく息をついた。
処女を捧げてもいいと思うほどの相手が、鹿島にいたなんて知らなかった。あいつは誰のものでもないし、これからも誰かのものになることなんてない。だから俺にもチャンスがある。そう思ってた。でも、それは勘違いだったのか。
頭を左右に振る。いや、鹿島の相手はあいつと付き合ってると思ってねぇんだ。鹿島も恐らく、それを知ってる。だから瀬尾たちに相談したんだろう。なら、俺が入り込む余地はある。あいつが他の男に抱かれてたとしても、別に構わない。俺は、鹿島がいいんだ。
拳を握りしめて、前を見据える。何度か深呼吸をしてから、足を進め始めた。廊下を進み、部室棟を歩く。
「堀先輩?」
声に振り返ると、佐倉が立っていた。
「そんな険しい顔してどうしたんですか? もしかして、鹿島くんが何か」
「まぁ、鹿島に関することには違いねぇな」
身体ごと佐倉のほうを向く。
「ちょうどよかった。ちょっと訊きたいんだが」
「私に、ですか?」
「ああ。おまえは、鹿島の相手を知ってるか?」
佐倉が数回まばたきする。
「誰から聞いたんですか?」
「瀬尾だ」
「そう、ですか」
視線を逸らした佐倉が、少し俯いた。
「相手は、知ってます。でも、私の口から言うのは」
「相手の名前を教えろ、とは言わねぇ。でもせめて、ヒントくらいはもらえねぇか」
「ヒント、ですか」
佐倉が眉を下げる。
「ごめんなさい、それもちょっと」
「なんでだ? もしかして、俺も知ってる奴とか?」
佐倉が目を見張った。
「知ってるというか、その」
更に下を向き、佐倉がスカートを握る。
「それも、私からは答えられません」
「……そうか。悪い、変なこと訊いて」
佐倉と反対側に向き、歩を進める。
「あっ、あの、先輩!」
足を止め、佐倉を見た。
「身体、大丈夫ですか? 頭が痛いとか、だるいとかありませんか?」
なんだ、その質問。
「いや、別に」
佐倉が胸を撫で下ろす。
「ならよかったです。ごめんなさい、呼び止めちゃって」
「それは構わねぇが」
瀬尾といい佐倉といい、なんで妙なことを訊いてくるんだ?
「まぁいい。本当に悪かったな、佐倉」
「いえ。ごめんなさい、お役に立てなくて」
眉を下げたまま微笑む佐倉に、軽く手を振る。また歩き出して、溜息を漏らした。佐倉は一体、何を隠してるんだ。瀬尾も瀬尾で、鹿島が誰かと寝たって情報だけわざわざ俺に伝えて、何をしたかったんだろうか。
でも、瀬尾に訊かれた記憶の吹っ飛びは気になるな。昨日だけじゃなくて、最近ちょくちょく起こるし。確かいつも直前に、鹿島が持ってきた菓子を食ってたっけ。まさか、鹿島が菓子に何かしてるのか? いや、いくら奇天烈な行動が多いあいつでも、さすがにそれは。
「せんぱーい!」
振り向くと、手を振りながら嬉しそうに走ってくる鹿島が見えた。
「鹿島、どうしたんだ」
「ねぇ先輩、このあと予定ありますか?」
「いや、ねぇけど」
「なら、これ」
鹿島が紙袋を持ち上げる。
「ブラウニーです。一緒に食べませんか?」
何度かまばたきして、紙袋を見つめた。
「またか? 最近、やたら菓子を持ってくるな」
「いいじゃないですか。ねっ、食べましょう」
鹿島が笑顔を向けてくる。こいつは今、どんな気持ちで笑ってるんだ。
「分かった」
鹿島が笑みを深めた。
「ありがとうございます! じゃあ、部室に行きませんか?」
「それはいいけど、鍵が」
「大丈夫です。開けときました」
「準備がいいな」
俺の手首を掴んだ鹿島が歩き出す。こいつの様子からは、惚れた男に裏切られて傷ついていることなんて感じられない。だがもしかしたら、強がってるだけなのかもしれないな。
部室に着くと、鹿島が扉を開いた。揃って中に入り、鹿島が鍵をかける。適当な椅子を二つ引いて、それぞれ腰を下ろした。鹿島が紙袋の中から、紙製の箱を取り出す。箱が開けられると、中に四角く切られたナッツ入りのブラウニーが見えた。
「先輩、どれ食べますか? 私、取り分けますよ」
紙袋から皿とフォークを取り出した鹿島に、手を伸ばす。
「いい。自分でやる」
「分かりました。じゃあ、これどうぞ」
鹿島から皿とフォークを受け取る。差し出された箱から二切れを取り出し、皿に載せた。そのうちの一切れを口に運ぶ。少しビターで、結構うまい。
「おいしいですか?」
「ああ」
「それはよかったです」
鹿島が太ももの上に箱を載せて、自分のブラウニーを取り分ける。
「そういえば先輩。昨日のこと、覚えてますか?」
フォークを動かすのをやめ、鹿島を見た。
「昨日って」
「ほら、一緒にケーキ食べたじゃないですか」
「ああ」
鹿島から顔を逸らす。
「食い始めた辺りまでは覚えてるんだが、その後はさっぱり」
鹿島が眉を下げる。
「そうですか」
箱を閉じて紙袋にしまった鹿島が、自分のブラウニーを食い始めた。やっぱり記憶が飛ぶことに関して、こいつが一枚かんでるんだろうか。でもこいつ、普通に食ってるよな。なら、俺の思い違いかもしれない。
鹿島を見ながら、またブラウニーを口に運ぶ。食べているうちに、目の前が曇り出してきた。なんだか、頭がうまく回らない。
「先輩? ぼーっとしてますけど大丈夫ですか?」
「んー、まぁ大丈夫だ」
「そうですか? ブランデーでも入ってるのかもしれませんし、気分が悪くなるようでしたら、食べるのやめたほうが」
「大丈夫だって。鹿島は心配性だなー」
滲んだ視界に、鹿島が映る。例え一瞬でも他の男のものになったのだとしても、やっぱりこいつはイケメンで、綺麗で、
「おまえ、かわいいよな」
「えっ!?」
鹿島が喜んだように見えた。
「本当ですか? じゃあ先輩、私のこと好きですか?」
「ああ、すきだぞー」
「ありがとうございます! 私も好きです! 付き合いましょう!!」
「おー、マジかー。じゃあ付き」
言葉を止めた俺に、鹿島が首を傾げる。
「どうしたんですか、先輩」
「おまえ、他に好きな男がいるんじゃねぇのかー?」
「えっ、なんでそう思うんですか?」
「瀬尾から聞いたぞー。おまえが誰か、男とヤったって」
鹿島が眉尻を下げ、俯く。
「そう、ですか」
また顔を上げた鹿島の瞳は、揺れているようだ。
「言うつもりはなかったんですけど」
鹿島が俺に向き直る。
「それ、先輩です」
今度は俺が首をひねった。
「それって? どういうことだ?」
「ですから、私が寝た相手は先輩なんです。先輩は酔っ払ってて、覚えてないだけです」
目を丸くして、鹿島を見る。相変わらず視界はぼやけて、あまりちゃんと見えない。鹿島は今、どんな顔をしてるんだ。
「それは、悪かった」
「えっ?」
「ヤるだけヤっておいて、鹿島と付き合ってるつもりはねぇっていう最低な男だって、瀬尾から聞いてた。でも、俺がその最低男だったんだな」
鹿島が首を横に振る。
「違います。先輩は悪くありません。私に、勇気がないだけです。私のほうこそ、先輩が酔ってない時に言う度胸がなくてごめんなさい」
なんで鹿島が謝ってるんだ? 鹿島の処女を奪っといて、何も覚えてねぇ俺なんかに。
「鹿島。俺は、おまえにどう詫びれば」
「気にしなくていいんです。なんど訊いても先輩は私を好きだと言ってくれるんだって、勘違いでもなんでもないって、ちゃんと分かりましたから」
鹿島が皿とフォークを置いて、立ち上がる。
「それでも、私に何かしたいと思うなら」
俺の皿とフォークを手に取った鹿島が、それを床に置いた。俺にまたがり、抱きついてくる。
「抱いてください」
鹿島が顔を覗き込んできた。
「セックスするのか? ここで?」
「はい。先輩に、触ってほしいんです」
身体を擦り寄せ、鹿島が頬ずりしてくる。柔らかな肌の感触に、腰が疼いた。
「いいのか? おまえにひどいことをしたのに」
「それはいいですってば。ゴムならちゃんとありますから、ね?」
スカートのポケットから、鹿島が小袋を取り出す。
「昨日の時間が夢じゃないって、実感したいんです」
鹿島が唇を重ねてきた。目を閉じて、片手を鹿島の後頭部に回す。もう片手で小袋を取りながら、口づけを深めた。しばらくして、鹿島が唇を離す。
「先輩。今度こそ忘れないでくださいね」
またキスをしながら、鹿島の身体をまさぐる。そいつが漏らした吐息に、めまいを覚えた。
教科書類を小脇に抱えて、学校の廊下を歩く。移動授業は面倒だな。
「よっ、堀ちゃん」
後ろからの声に振り向く。
「ああ、瀬尾か」
「こないだはどうだ、あの後。鹿島には会ったか?」
「会った」
「で、何した?」
「あいつが持ってきたブラウニーを食って、それからは覚えてねぇ」
瀬尾が眉を寄せる。
「覚えてねぇ?」
「ああ」
「ほんの一瞬も?」
「全く覚えてねぇな。どうやって家に帰ったんだか」
瀬尾に睨まれた、気がする。
「そうか」
瀬尾がきびすを返す。
「呼び止めて悪かったな。じゃあな、堀ちゃん」
手を振って去っていく瀬尾を見ながら、両肩を上げる。このあいだから、あいつの言いたいことが全く分からない。鹿島の相手についても、手がかりが得られないままだ。
授業を受けて、放課後を迎える。今日は部活がないし、まっすぐ帰るか。
「あっ、先輩!」
声のほうを見ると、鹿島が笑顔で立っている。
「もう帰るんですか?」
「ああ」
「そうなんですか」
鹿島が背筋を伸ばした。
「あの、先輩。もしよかったら」
そいつが、手元の紙袋を見せてくる。
「チョコ持ってきたんですけど、一緒に食べませんか?」
紙袋に視線を注ぐ。これを食えばまた、記憶が飛ぶかもしれない。鹿島を見ると、変わらず満面の笑みを浮かべていた。
「じゃあ、少しもらおうか」
鹿島の表情が、ひときわ明るくなった。
「ありがとうございます! 今日も部室でいいですか?」
「ああ」
鹿島と一緒に、廊下を進んでいく。部室棟にある演劇部の部室まで揃って行き、このあいだと同じように椅子に座った。鹿島からチョコをひとかけら受け取り、口に入れる。
それ以降のことは、やっぱり次の日には忘れていた。だがどこかで、鹿島の「好きです」と言う声を聞いたような気がした。
あれからもまた、鹿島は頻繁に菓子を持ってきた。その度に二人でそれを食べ、俺は記憶を飛ばし続けた。馬鹿なことをやっているとは思うが、笑顔で菓子を差し出す鹿島を見ると、あいつの誘いに頷いてしまう。
もしかしたら、鹿島は狂っちまったんじゃないだろうか。明らかに行動が普通じゃない。なのに本人は自覚がないかのように、いつも笑っている。見ていて痛々しいくらいだ。そこまであいつに思われている男が、妬ましくもある。
でも本当に鹿島がおかしくなったのだとしたら、それ故に無意識に思っていることが表に出てきてしまってるのかもしれない。鹿島のことについて周りに訊いたことがあるが、菓子をもらった奴なんて他にはいないという。あいつが俺だけに菓子を渡してくるっていうのは、どこかで俺に甘えてるとか、慰めてほしがってるとか、そういうことじゃないだろうか。心の拠りどころとして、俺を頼ってくれてるんじゃないだろうか。そんな気持ちから、鹿島を拒むという考えすら浮かばなくなっていた。
学校の渡り廊下を歩きながら、息をつく。昨日も鹿島とシュトーレンを食って、そこから先は覚えていない。これだけ記憶がなくなりまくるのも不安なものがあるが、それであいつの心が安定するなら、それくらい構わない。
「それにしても、いい加減どうにかしねぇとな。鹿島と堀ちゃん」
足を止めて、声のほうを見る。そこには、佐倉と瀬尾がいた。缶ジュースを飲んだ瀬尾が、佐倉へ顔を向ける。
「どうにかって言っても。確かに心配だけど、あまり私たちでできることはないんじゃないかな」
「そうかもしんねぇけど、見ててじれったいんだよな。鹿島はびくびくしすぎだし、堀ちゃんは覚えてなさすぎだし」
あいつ、なに言ってんだ?
「まぁ鹿島が回りくどいことしねぇで、さっさと告白すりゃ済む話なんだけどよ。堀ちゃんの気持ちなんてもう分かりきってんだろ?」
「それは、鹿島くんも分かってるんじゃないかな。でも一度そういうことしちゃうと、なかなかちゃんとしたやり方に踏み出せないのかも」
「つーか堀ちゃんも堀ちゃんでさ、散々やることやってんだから、一回くらい覚えててもいいのにな。酒に弱いっつってもほどがあるだろ。鹿島が臆病なのが悪いけど、堀ちゃんもひでぇと思うぞ、私」
佐倉が眉を寄せる。
「確かに、そういうことしたのに酔ってて覚えてませんでしたはちょっとね。しかも何回も」
「何回もってレベルじゃねぇだろ。何十回くらいヤってんじゃねぇか?」
こいつらは何を話してるんだ。もしこの会話が本当なら、鹿島の相手って。
「おい、おまえら」
近づくと、佐倉が身をすくめた。
「先輩。今の聞いて」
「おー、堀ちゃん。聞いてたなら話が早ぇ。前に話した鹿島の相手、堀ちゃんだぞ」
瀬尾が持ってる缶を振る。
「そうみてぇだな」
またジュースを飲んで、瀬尾が俺を見た。
「そのうち鹿島が勇気だすかもとか、堀ちゃんが覚えてるかもって思ってたから、ここまで教えてやるつもりはなかったけどよ。さすがにらち明かねぇ」
缶へ目を向けた瀬尾が、それを自販機横のごみ箱へ投げる。
「俺の記憶が飛んでたのは、酔ってたせいだったのか」
「はい。鹿島くんいつも、お酒の入ったお菓子を先輩に渡してたんです。ほら、前に鹿島くんがブランデーケーキを持ってきたことがあったでしょう? その時に先輩がお酒に弱いって分かって、それで」
そういえば、あの時も記憶がなかったな。
「ああ、あの時も酔ってたのか。飲むことなんてねぇし、ぜんぜん酒に弱い自覚なかった」
「高校生で自覚あるほうがちょっと」
佐倉が苦笑する。
「俺が酔ってるあいだに、鹿島とヤってんのか」
「そうだよ。鹿島の処女を奪ったのだって堀ちゃんだからな。覚えてねぇだろうけど」
「そうか」
ならやっぱり、鹿島の笑顔は強がりだったんだろう。
「そんな大事なこと覚えてねぇなんて、確かに最低だな」
瀬尾が肩をすくめる。
「堀ちゃんの気持ちが分かった時に、鹿島がやめてればここまで拗れてねぇんだろうけど」
「いや、覚えてなかった俺が悪い。いろいろ気を遣ってもらって悪かったな、二人とも」
佐倉が首を左右に振った。
「私は何も」
「で、堀ちゃん。分かったとこで、どうする気だ?」
瀬尾が挑発するように俺を見る。
「そりゃ、一つしかねぇだろ」
校舎へ視線を向けた。
「鹿島のとこに行く」
二人が表情を緩める。
「そうかよ」
「がんばってください、先輩」
「ああ」
佐倉と瀬尾に背中を向けて、また渡り廊下を進んでいく。校舎に入り、二年生の教室が並ぶ階まで着くと、鹿島のクラスに向かった。教室の扉を開け、顔を出す。
「鹿島」
クラスメイトと話していた鹿島が、俺を見て笑った。
「先輩、どうしたんですか!?」
「ちょっと話がある。いいか?」
「もちろんです!」
鹿島がクラスメイトに断り、立ち上がる。出てきた鹿島を連れて、部室棟に足を運んだ。演劇部の部室前で立ち止まり、鹿島のほうへ振り返る。
「どうしたんですか、こんなところで。部活のことですか?」
「いや、個人的な話だ」
鹿島が目を丸くした。
「鹿島。何度もここで、おまえと菓子を食ったよな」
部室を示すと、鹿島が身を固くする。
「はい」
「その度に俺は、記憶がぶっ飛んでる。おまえと菓子を食わなけりゃ、そんなことにはならねぇ」
鹿島が目線を向けてきた。
「そう思ってたのに、なんで食べてくれてたんですか?」
さて、どう話を切り出すべきか。ああ、そうだ。
「瀬尾から、おまえが処女じゃねぇって聞いた」
鹿島の肩が跳ねる。
「おまえにその話をした記憶は、俺にはねぇ。でもおまえ、瀬尾が話したって知ってたんじゃねぇのか? 俺から聞いて」
鹿島が下を向いた。
「はい。聞きました」
鹿島が口を開いて、また閉じる。ためらうように俺を見て、
「どこまで知ってるんですか?」
「多分、全部だ。おまえが酒入りの菓子を俺に食わせてたことも、酔ってるあいだに俺たちがヤってるってことも」
また鹿島が俯く。
「そう、ですか」
視線を泳がせた後、鹿島が目を閉じた。
「ごめんなさい。記憶が飛ぶって、きっとすごく怖くて不安なことなのに。そんなこと、先輩にさせて。私に勇気がなくて、ごめんなさい」
鹿島が頭を下げる。
「違う、俺が覚えてねぇから」
「なに言ってるんですか。私に勇気があれば一度だって、先輩の記憶が飛ぶことはなかったのに」
「いいから、とりあえず顔を上げろ」
鹿島の姿勢を戻させる。だが、そいつは下を向いたままだ。
「鹿島。なんでこんなことしたか、話してくれるか?」
鹿島が頷いた。
「最初は、先輩の答えが分からなくて怖かったからです。いつもかわいい後輩なんて言ってるから、告白しても本気にしてもらえないかもとか。先輩からまともに断られたら、立ち直れないかもとか考えて。でも先輩が酔ってたら、フられても酔っ払いの戯れ言だって自分をごまかせると思ったんです。その時はいっそ、先輩が忘れてくれたほうがいいとすら思ってました」
顔を上げて、鹿島が寂しそうに笑う。
「でもいい返事がもらえて、しかもそういうこともしちゃって。した後は、先輩が忘れないことを期待してました」
「でも忘れてた」
「はい。それが思ってた以上にショックで、初めてだったし、なかったことにできる自信がなかったんです。それに酔った勢いもあったと思うから、次に先輩が酔った時は答えが違うかもしれないっていうのも不安でした。それで何回か試して、先輩の気持ちは間違いないって確信したんです。だから普通に告白しようと思ったんですけど」
鹿島が小さく息をつく。
「その頃には、普通の告白が分からなくなっちゃってました。ただ素面の先輩に『好きです』って言えばいいだけのはずなのに、普通じゃないやり方をしすぎて、動けなくなっちゃって。酔わせないと先輩に告白できない、先輩に触れないって思っちゃったんです。自分はそんな感じなのに、先輩が覚えてることを期待しちゃったりして、自分の虫のよさも嫌になってきて」
鹿島が右手で顔を押さえた。
「これじゃいけないっていうのは、思ってたんですけど」
「だから、瀬尾や佐倉に相談したのか?」
「はい。お酒に頼っちゃ駄目って説教されると思ったんですけど、私が思い詰めてると思われたみたいで、心配されちゃいました」
苦笑して、鹿島が頬を掻く。
「あの二人にも、迷惑かけちゃったな」
「そうだな。でも、助かった。自分じゃいつまでも気づけなかったと思うしな」
あの日、瀬尾が「鹿島は処女じゃない」と言わなければ、俺は何も知らないままだったんだろう。
「あいつらには本当に、感謝しねぇといけねぇな」
「そうですね」
あれから、鹿島が他の男を思っていると考えると、気分が沈む時もあった。でも最初から、鹿島の心は俺にあったんだ。なら、やるべきことは一つだ。
鹿島の右手を、両手で握る。
「鹿島、好きだ。俺と付き合ってくれ」
鹿島が口を開けて、俺を見る。少し経って、鹿島の目から涙が流れてきた。しゃくり上げながら、俺の手を握り返してくる。
「私が先に言いたかったのに!」
悔しそうなそいつに、口元を緩めた。
「回りくどいことばっかやっといて、よく言うな」
鹿島の手を握る力を強める。鹿島も、手に力をこめてきた。
「で、返事は?」
鹿島が左手で、目元を拭う。
「私も好きです! よろしくお願いします!!」
泣き続けながらも、鹿島が笑った。そいつの涙を指で拭って、頭を撫でる。
きっともう、鹿島が酒入りの菓子を持ってくることはないんだろう。そう考えると、少しだけ寂しかった。
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update 2017/2/16