凍った時間
文教堂での6巻特典「ヒミツのカシマ」ネタです。アリプロの「赤と黒」を聴いていたら、いなくなったホリを追うカシマの話を書きたくなって、ホリが消えた理由を考えてたらあれな感じになりました。
死体が出てくるので、苦手な方はご注意ください。
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人間の欲望が渦巻く裏社会。私はそこのボスに拾われ、育てられてきた。性別を偽り、男として、ボスの後継者としてこの裏社会を生きてきた。この暗く醜い世界を駆け抜ける私の前には、いつでもボスがいる。きっとこれからも彼が私を導いてくれるのだと、私が後を継いでも後ろで支えてくれるのだと、当たり前のように信じていた。それ以外の未来など、考えたことがなかった。
でもそんな「当たり前」なんて、とても脆く儚い。私がそれを知ったのは、わずかに雪の降る冬の日だった。仕事を終えてアジトに戻った私の目の前で、信じられない光景が繰り広げられていたのだ。辺り一面に散る血しぶき、倒れ伏す仲間たち。目に見える範囲に、生きている人間が存在していなかった。この裏社会を牛耳るボスの拠点を落とせる人間なんて、存在するとは思えない。いったい誰が、こんなことを。
いや、待て。厳密に言うと、一人だけいるじゃないか。でも、そんなことはありえない。誰よりこの場所を大事にしているあの人が、そんなことをするわけがない。
一歩ずつ、前に進んでいく。確実にみんな息の根が止まっていると確信しながらも、どこかから呻き声の一つでも上がることを期待してしまっていた。もしかしたら、仲間たちは全員が息絶えてしまっているのかもしれない。誰か一人だけでも残っていてくれればいいんだけどな。きっと仕事に出ていて難を逃れた人だっているだろうし、まさか本当に、全滅なんてこと、ないよね?
額に汗が滲む。こんな嫌な汗を掻くのは久しぶりだな。初めて引き金を引いたとき以来かもしれない。手の甲で額を拭いながら足を進めていると、近くで銃声が聞こえた。走り寄って腰の銃を抜き、構える。そこに立っていたのは、さっき私が思い浮かべた人だった。
「ああ、カシマか。遅かったな」
銃を持つ手が、わずかに下がる。
「ボ、ス」
彼の足元に、仲間の一人が血を流して倒れている。彼の握る銃から上がる硝煙を見てしまえば、もう疑いようがない。彼が、ボスが、仲間を殺したんだ。
「どう、して」
ボスが悲しそうに仲間を見下ろす。
「足を洗うよう勧めたんだが、断られてな。それ以外の道を提示しても、拒否されたから」
「足を洗う? 何でですか」
顔を上げたボスは、遠い目で宙を見た。
「この世界は、醜いだろ」
「そんなの、今更じゃないですか」
「分かってる。俺はずっとそれでいいと思ってたし、表の世界なんて興味なかった。この世界しか知らねぇ俺が、他に生きていけるところもねぇしな。でも」
ボスの目が、私に向く。
「おまえと出会ってから、このままでいいのかって思うようになった。何ていうか、おまえは綺麗すぎるんだよ。この世界には似合わねぇ」
銃を構えていた手を下ろす。見つめ返した彼の瞳は、真剣そのものだ。
「なに寝言いってるんですか。私はあなたに拾われた日から、ずっとこの世界で生きてきたんです。殺した人の数も、そろそろ分からなくなってきました。どこに出しても恥ずかしくない、立派な裏社会の人間ですよ」
「そうだな。俺が、そうした」
ボスが身体ごと私に向いた。
「おまえは表の社会での生き方を知らねぇ。もう、この世界でしか生きていけねぇ存在だ」
「そうです」
「でも俺は、これ以上おまえをこの世界に関わらせたくねぇ。それで、思ったんだ。この裏社会をぶっ壊して、表の世界とも、この裏の世界とも違う場所を創ったらどうかって」
開いた口がふさがらない。こんな世迷言が彼の口から出てくるなんて、世も末だ。いや、ここは元からとんでもない世界だけど。なんて、そんなことを考えている場合じゃない。でも、そんなくだらないことでも考えてないとやってられない。思考が追い付かない。だって本当に、信じられない。
「冗談、ですよね」
「俺が、そんな冗談を言う男だと思うのか?」
思わない。だからこそ、わけが分からないんですよ。
「私を裏社会から出すために? そのためだけに、そんなことをしようっていうんですか?」
「ああ。おまえと俺が、これから共に生きていける世界を創りたいんだ。おまえが銃を持たなくていいような世界を」
「ふざけないでください!」
銃を再び彼に向ける。
「そんなことのために、今まで自分を信じてついてきた部下を! 一緒に戦ってきた仲間を! 殺したっていうんですか!」
ボスが目を伏せた。
「俺だって、殺したいわけじゃなかった。だから表の世界に出るか、俺と一緒に新しい世界を創るか、選ぶよう言ったんだ。でもこいつら、揃いも揃ってどっちも嫌だって言いやがる」
「当たり前でしょう!? 一体どうしちゃったんですか! 私の知ってるボスは仲間を大切にしていて、人情に厚くて、筋が通ってて、私に対しては厳しくも優しい、お父さんで」
彼が小さく笑う。
「そうか。おまえにとっての俺って、そういうイメージだったのか。それは、とんだ虚像だな」
一歩、ボスが近づいてきた。
「もしかしたら、前は周りの思う通りの人間だったのかもしれねぇ。でも、おまえと出会ってからは違う。いつの間にかおまえは、俺にとってかけがえのない存在になっていたんだ」
「それは、私があなたの『息子』だから」
「違う」
ボスの左手が、私の頬を撫でる。
「一人の女として、おまえのことが大事なんだ」
視線を下ろすと、彼の右手に握られたままの銃が目に入った。仲間たちを、殺した銃。
彼の眉間に銃を当てる。彼は目を見張って、少し距離を取った。
「あなたの言い分は、よく分かりました」
「そうか。なら、俺と一緒に」
「断ります」
彼の髪を掠るように、銃を撃つ。
「よく分かりましたよ。あなたは何を言っても、何をしようとしても、結局は欲望だらけの裏社会の人間だってことが。実力行使に出る以外の方法を知らないあなたに、ここと違う世界を創れるとは思えません。そんな不毛なこと、付き合えませんよ」
彼が息を吐き、自分の銃を見る。
「おまえだけは殺したくねぇんだけどな」
「私だって、可能ならあなたを撃ちたくありませんよ」
彼が考え直してくれるなら、まだ大丈夫だ。何だかんだ言っても、彼はこの世界のボス。死んだ仲間の代わりを務めたがる人間は、いくらでもいる。
「今からでも、こんな馬鹿なことをやめるつもりは」
「ない」
「そうですか、なら」
銃を構え直す。同時に、彼が引き金を引いた。左足が熱い。うずくまった数秒後、床に流れる血が視界に飛び込んできた。
「今すぐおまえを連れていけねぇことは、よく分かった。俺はこれから、今後のために準備を整える。それから改めて、おまえを迎えに来るから。それまで大人しくしてろ」
彼が部屋を出て行く。伸ばした手は、彼に届かなかった。思ったより傷が深い。動けない。あの人、私の足が使えなくなってもいいと思ってるんだ。
「待ってください、ボス。行かないで。戻って来てください。私を、一人にしないで。置いてかないで。何で、ここで一緒に生きてくのじゃ駄目なの。ねぇボス、ボス! 待ってよ、お父さん!!」
私の声は、きっと彼には届かない。それでも、叫ばずにはいられなかった。少しでも、彼が思い直してくれる可能性に縋りたかった。
涙が一つ零れ落ちる。最後に泣いたのは、いつだったっけ。
窓の外に雪がちらつく。彼のいなくなった部屋は、とても寒かった。
愛用の銃を丁寧に磨く。長年ともに戦ってきたそれは、もう相棒と呼んでも差し支えない。彼にもらったその日から、ずっと大事に使い続けてきたものだ。これを見ていると、いつでも彼を思い出す。
銃を眺めていると、扉が激しくノックされた。扉が開き、赤い髪の男が入ってくる。
「ミコシバ。せめてこっちの返事を待って」
「それどころじゃねぇって! ノザキのとこが襲われたんだ! あそこが潰されたら、武器の調達がやりにくくなるぞ!」
目を伏せて、ミコシバを見る。
「それって、彼?」
「まだ分かんねぇけど、可能性は高いと思う」
「分かった。至急、行ける人を集めて。私もすぐに準備する」
「了解」
ミコシバが慌ただしく部屋を出て行く。磨いたばかりの銃を手に取り、腰のホルスターに収めた。椅子にかけていた上着を身に着け、机の引き出しから弾倉を出すと部屋を後にした。
彼が姿を消してから三年。足の怪我を完治させた私は、彼の代わりに裏社会のボスとして人を束ねる立場になった。ミコシバのように歳が近くて気安い仲間もできて、これはこれで悪くないと思う。それでも心の中で、かつて失った仲間たちが埋めてくれていた部分は空白のままだ。私はずっと、三年前のあの日に囚われている。彼は本当に、惚れた腫れたの理由だけであんなことをしたのだろうか。
そんな彼はボスの座を投げ出してから、裏社会の様々な人間や組織を襲っている。襲撃現場で彼を目撃した人は何人もいるし、実際に遭遇したことも一度や二度じゃない。敵として現れる私に悲しそうな瞳を向けてくる彼に、私も思うところがないわけではない。でも今の彼は、私の知るボスじゃない。取引のあるブローカーを潰されたりして、こっちは大迷惑なんだから。
玄関に着くと、集まった仲間たちに目を配る。
「これで全員?」
「はい!」
「獲物の用意は? 補充用の弾とか」
「ばっちりです」
力強い瞳で仲間が答える。みんなどうにも、彼が絡むと表情が違うんだよな。
「じゃあ、行こうか」
「はい! あんな奴に、いつまでもナメられるわけにはいきませんからね!」
「その意気だよ。彼なんて私たちの敵じゃないって、分からせてやろう」
元気よく返事をした仲間たちと共に、アジトの外に出る。周囲の様子を窺いながら、ノザキの拠点に向かって足を進めた。
彼が色恋沙汰だけでボスとしての立場を放棄するような、無責任な人だとはやっぱり思えない。あの日までずっと見てきた、ボスとしても父としても素晴らしい人だった彼の姿も、嘘だとは感じられない。きっと彼なりに、何か理由があるに違いない。私は、それを確かめたい。確かめて、私は私のボスを、お父さんを取り戻す。それだけが、私の止まった時間を動かす方法に違いないんだ。
しばらく進むと、前方に立ち上る黒煙が目に飛び込んでくる。その近くにわずかに見えた人影に、眉を寄せた。
「今度こそ、終わらせる」
彼に撃たれた箇所がうずく。背中を見せていた彼が、こちらに振り返ったのが分かった。
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update 2016/4/4