黒猫の恋 | Of Course!!

黒猫の恋

 彼は不思議な人だ。初対面の時、会話すら億劫がる私への対応に困ってうろたえたのは分かる。でもただ私が面倒くさがりなだけだと分かって、だんだん世話を焼いてくれるようになった。そしてある日、言ったのだ。

「何かおまえってほっとけねぇって思ってたけど、理由わかった。うちの猫に似てんだ」

 彼いわく、彼の家では「ノア」という名前のメスの黒猫を飼っているのだという。

「猫、ですか」

「ああ。おまえも毛が真っ黒だしな」

 笑顔で髪を撫でてくる。父や兄以外の男性からこんなことをされるなんて、初めてだ。されるがままになっている私をしばらく嬉しそうに撫でていた彼が、やがて目を見開いて手を離した。

「悪い。ついノアを撫でてるような気分になっちまってた。あまり女相手にこういうのって」

「いいですよ」

 彼の目が、訝しそうに私を見る。だけどすぐに笑って、

「ああ、抵抗するのも面倒ってか? おまえはそういう奴だよな」

 そうじゃない。いや確かにそれもあるけど、単純に嫌じゃないだけなのに、伝わらない。

「まぁおまえは、ノアほど気まぐれじゃねぇけどな。面倒くさがりって分かってるだけ、ノアより扱いやすい」

 頭に何度か軽く手を置かれる。彼に触れられた箇所が、何だかこそばゆい。でもそれも、私と「ノア」を同一視しているからというだけで与えられたものだ。

 彼から借りた漫画で、顔を隠す。いちおう読んではみるけど、内容が頭に入らない。えっと、男の人と女の人が向き合っていて、このシーンは、何だろう。もういいや。面倒くさい。

「真由。それ、おもしれぇか?」

 適当に頷く。彼の表情は見えないけれど、きっと喜んでいるに違いない。見たいけど、見たとき私は、いつもの私でいられるのだろうか。もう自覚している。私は、世界一めんどうくさい感情に捕らわれているんだって。

 漫画のページを一枚めくる。「好きです」というセリフだけが、異様に目についた。

 

 

「おぉーっ、やっぱりみこりんすごい!!」

 千代さんの歓声に顔を上げる。視線の先で、彼が得意げに笑っていた。

「どうだ。トーンには負けねぇぞ」

「そうだね。トーンでも花とか効果あるみたいだけど、みこりんの本当に細かくて綺麗だもん。野崎くんの絵もかわいくて少女漫画って感じだけど、みこりんが花とか描いたら一気に華やかさが増すよね」

 千代さんが楽しそうに原稿を見ている。そういえば、彼は何で兄さんを手伝っているのだろう。

 千代さんと目が合う。

「あ、ごめんね真由ちゃん。気が散っちゃった?」

「いえ、別に」

「そういえば、真由ちゃんってよくみこりんの漫画を読んでるけど、漫画すきなの?」

 千代さんが首を傾げた。その隣で、彼が期待するように私を見ている。そんな顔をされたら、どんな反応をすればいいのか分からなくなる。

「……それなりに」

「そっかー。野崎くんの漫画も読んだりするの?」

 軽く頷くと、千代さんが笑顔で首を縦に振った。

「野崎くんの漫画とみこりんが読むのって内容がけっこう違うみたいだけど、真由ちゃんはどっちも好きなんだね」

 そう何度も、「好き」という言葉を口にしないでほしい。

「そうですね」

 彼の前で「好き」と言った時、私は冷静でいられる自信がない。

「そっかー。私は少女漫画しか読まないからなぁ。そうだ、こんど私にもみこりんの漫画を貸して」

「ぜってー嫌だ」

「何で!? 真由ちゃんには貸すのに」

 彼が気まずそうな視線を向けてくる。言葉にならない声を漏らして、彼が呟いた。

「こいつはまぁ、いいんだよ。なに考えてるか分かんねぇし」

 頭を殴られたような衝撃が襲ってきた。千代さんの彼を責めるような声も、遠く聞こえる。

「まぁ女でも、ギャルゲーとか好きな奴っているらしいけどな。佐倉はそういうんじゃねぇし」

「真由ちゃんだって、そういうのが好きな子とは限らないけど」

「でも、貸してほしいって言ったのは真由だぞ」

 女として扱われたいと思ったことはない。そういうのは面倒くさい。彼の言い分に否定的な千代さんに、フォローの言葉をかけるのも億劫だ。

「佐倉はフィギュアの相談にも乗ってくれねぇし」

「だって、あの状況でフィギュア買おうとしてるって! 私は会えない心細さをみこりんと共有したかっただけなのに!」

「おまえや野崎だって、食い物ばっか買い込んでたじゃねぇか」

 何か私に分からない話をしている。彼らが私の知らないところで接点があるのは当たり前なのに、おもしろくない。

「あ、ごめんね。真由ちゃんには分からない話しちゃって、楽しくないよね」

「別にいつもと同じ表情じゃねぇか」

「もう、みこりんってば分かってないなぁ」

 千代さんが頬を膨らませる。年上で同性だけど、かわいらしい。彼の読む漫画に出てくる女性たちも、表情が豊かで、愛情表現だって真っ直ぐだ。彼の心に、きっと私はいない。

 漫画を閉じて、立ち上がる。

「帰ります」

「えっ、もう?」

「はい。兄さんが買い物から帰ってきたら、よろしく伝えておいてください」

 漫画を持って、奥の部屋に行く。本棚に漫画を片付けると、リビングに置いていた鞄を手にした。

「お、おい真由。本当に帰んのか? 野崎が戻って来てからでも」

「いえ、いいです。帰ります」

 彼も千代さんも困り顔だ。別に困らせたいわけではないけど、言い訳するのも面倒くさい。

 私の後について、玄関まで二人がやってくる。作業をしなくていいのだろうか。

「ごめんね、真由ちゃん。いろいろ話しかけちゃって」

「別に、問題ないです。嫌ではないので」

「おまえが漫画を読みかけで帰るなんて珍しいな。もしかして、さっきの気に障ったか?」

「さっきの?」

 首を傾げると、彼が頬を掻いた。

「いや、気にしてねぇならいいけど」

 二人に背中を向けて、靴を履く。

「それでは、失礼します」

「帰り、気をつけてね」

「大丈夫です。伊達に柔道部主将はやっていません」

「次はいつ来るんだ?」

 振り返ると、ばつが悪そうな彼がいた。

「分かりません。あまり先の予定まで考えるの、面倒くさいですし」

「そうか。来るには来るんだよな?」

 何でそんなことを訊くのだろう。

「はい、多分」

「そっか。さっきおまえが読んでた漫画な、新刊が来週でるんだ。何だったら、それもこんど読めよ」

「……分かりました」

 彼の表情が明るくなるのを見てから、ドアを開けた。やっぱり彼は、笑っているほうがいい。

「それでは、また」

 玄関を出ると、二人のほうは見ずにドアを閉める。あの二人の仲のよさを見ていると羨ましくて、少し妬ましくなってしまう自分が嫌だ。千代さんは兄さんが好きだって知ってるのに、何でそんな気持ちになるのか分からない。こんな面倒くさい感情、なくてよかったのに。

 

 

 玄関から声が聞こえる。足音が近づいてきて、名前を呼ばれた。

「真由。来てたのか」

 見上げた先で、彼が目を丸くしている。

「漫画を読みに来ました」

「あっ、あれな。その前に、こないだ途中で読むのやめてただろ? そっち先に読め。じゃねぇと、内容についてけねぇから」

 頷くと、彼が奥の部屋に行く。戻ってきた時には、漫画を何冊か手にしていた。そのうちの一冊を差し出してくる。

「確かこれだったよな」

「そんな気がします」

 受け取って、適当なところを開く。確かに、このシーンには見覚えがある。

「そういや、野崎はどこ行ったんだ?」

「買い物です」

「鍵もかけずに?」

「それは実琴さんが来た時、私が開けに行かなくてもいいように、かけないでおくと言っていました」

「……そうか」

 隣に座った彼が、横目で私を見てきた。

「何ですか?」

「えっ、あっいや、その、悪い。この間は、変な言い方しちまって」

 前に来た時の出来事を思い返す。

「ああ、あれですか」

 あのとき覚えた強い衝撃が、私の中に蘇ってきた。

「なに考えてるか分かんねぇからいいんだ、なんてひでぇよな。佐倉にこういう漫画とか見られたら引かれそうで、つい妙なこと言っちまって」

「別にいいですよ。確かに千代さんは、少女漫画は読んでもこういう、女性がたくさん出てくる男性向けの漫画は読まなそうですし」

 仲のいい友達に引かれて、距離を取られたら嫌だと考えるのは、理解はできる。考えるだけで面倒くさいけど。

「おまえって何も言わねぇし、怒りもしねぇから、何つーか、つい甘えちまってる部分があるかもな。大体のことは、おまえだったら許してくれるかなって」

 甘えてる? 彼が私に?

「千代さんじゃなくて、私にですか?」

「佐倉? 佐倉はな、何か妹みてぇっていうか。ほらあいつ、野崎が絡むとすげぇ暴走するだろ? ああいう部分がほっとけねぇんだよな」

「確かに、うちに来た時の千代さんは大変なことになってましたね」

 あそこまで兄さんへの好意をあからさまに表せる彼女が、羨ましい。

「今さっき私のこと、何も言わないし怒らないって言いましたけど、そういう部分も猫っぽいと思いますか?」

 彼が何度もまばたきする。

「あー、そうだな。確かにそういうとこも似てるかも。何だ、おまえあんな雑談おぼえてたのか」

 忘れるわけがない。私の中にある、ひときわ面倒くさいものの存在を自覚した瞬間だったのだから。あの時間は恐らく、一生かかっても忘れることはないだろう。

 猫といえば、よく気まぐれだと言われる。彼の家にいる「ノア」もそうらしい。なら、少しくらい突拍子もないことを言っても許されるだろうか。

「実琴さん。実琴さんは、この間のことを私に対して申し訳ないって思う気持ちがあるんですよね」

「な、何だよ。やっぱ怒ってんのか?」

「怒っているわけではないですが、あまりいい気分じゃなかったのも確かです」

 彼が俯く。

「悪い」

「そう思ってるなら、撫でてください。飼い猫を撫でてるつもりで」

 彼が訝しげに私を見る。見つめ返すと、額に手が伸びてきた。

「熱は、ねぇか」

「至って健康です。頭を打ったりもしていません」

 眉を寄せたまま、彼が視線を向けてくる。だけどしばらくして、納得したように笑った。

「そっかおまえ、兄貴のいる妹だもんな。あまり野崎とベタベタしてる印象ねぇけど、やっぱ仲のいい兄貴が家を出てるのが寂しいのか。甘えん坊なんだな、おまえ。おまえの下にも妹いるっていうけど、ちゃんと姉として対応できてんのか?」

 彼の手が、私の髪を混ぜるように撫でてくる。前の撫で方とぜんぜん違うけど、これはこれで悪くない。

「大丈夫だと思います。多分」

「本当かよ。まぁ家族なら、おまえの面倒くさがりっぷりもよく分かってるか」

 髪が掻き乱され続ける。後で鏡を見たほうがいいだろう。直すのは面倒だけど、彼の手によるものだと考えると、満更でもない。

「猫もこういうふうに撫でることがあるんですか?」

「ああ、たまにはな。もう気が済んだか?」

「もう少し撫でてください」

「何だよ、しょうがねぇな。おまえ、案外こういうの好きなのか?」

 少し鼓動が速くなる。

「嫌いじゃないです」

 相変わらず、「好き」という言葉は心臓に悪い。例えそういう意味ではなくても、口にしづらい。

 私の髪を撫でたまま、彼が楽しそうに笑っている。きっと「ノア」を撫でている時も、こんな顔をしているに違いない。彼の笑顔をいつもひとり占めしているであろう「ノア」に、少し妬けてくる。最近の私は、いろんな相手を羨んでばかりだ。

「実琴さん」

「ん? さすがに飽きたか?」

 それはこっちが訊きたいくらいだ。

「飽きたというか、さすがに実琴さんの腕の具合が気になってきました」

「確かに、ちょっと疲れてきたな。おまえでも、他人の体調とか疲れとか気にする時あるんだな」

「まぁ、たまには」

 彼の手が、私の頭から離れた。なごり惜しいけど、妹でも彼女でもないのに、やめないでほしいなんて言えない。彼との関係を変えようと思ったらやっぱり、気持ちをはっきりと言うのが一番なんだろう。でも、それを考えると面倒くさい。

「実琴さんって、兄さんや千代さん以外に親しい人いるんですか?」

 彼が不思議そうな顔をする。

「おまえがそんな話ふってくるなんて珍しいな」

「たまには、そういう気分の時もあります」

 本当は、気分の問題じゃない。ただ、彼のことがもっと知りたいだけだ。

「おまえもしかして、俺のこと友達すくねぇって思ってるのか?」

「いえ、別に。ただ、他の友人の話を聞くことがないので、どうなのかなと」

 そういう話をするほど親しくない。彼と私の距離は、その程度なんだ。

「そうだな。野崎や佐倉はオタクなのバレてるぶん話しやすいのはあるけど、親友だと思ってるのは鹿島って奴だな」

「鹿島?」

「ああ。勉強もスポーツもできて、イケメンで演劇部のエースで、女子への口説き文句もさらっと口にする奴でさ。『学園の王子様』なんて呼ばれて、校内じゃけっこう有名なんだ」

「すごい人ですね。少女漫画のヒーローみたい」

「女だけどな」

「……え?」

 彼の親友が女性?

「その人のこと、どう思ってるんですか?」

「どうって、親友って言ってるだろ」

「実は、ってことはないですか?」

 彼が目を丸くする。

「その発想すらなかったぜ。あいつ演劇部の部長にむちゃくちゃ懐いてて、あいつに彼氏ができるとしたら相手はあの部長しかいねぇだろって感じだからな」

「そう、ですか」

 それでも、彼にとって親友と呼べるほど距離の近い異性がいるのには違いない。どうしよう、また羨ましい相手が増えてしまった。

 視線に気づいて目を向けると、彼が真剣な表情をしている。

「最近おまえ、様子が変だぞ。何かあったのか?」

 目を逸らして、漫画のページをめくる。

「別に、何もありませんよ」

「嘘だろ。本気で言ってるなら、俺の目を見て言え」

 何だか面倒くさい展開になってきた。

「私に何かあったとして、それが実琴さんに関係ありますか?」

 こんな言い方しかできないから、人を羨ましがることになるんだろうな。

 彼をまた見ると、なぜか顔を真っ赤にしていた。今はそういう流れじゃなかったと思うけど、どうしてだろう。

「実琴さん?」

 私へ目を向けては視線を逸らすのを繰り返す。一体、彼は何がしたいのだろうか。そう考えていると、彼が意を決したように私を見た。

「関係あるぜ。だって、気になるだろ。その、好きな奴のことだったら」

 漫画が机の上に落ちる。乾いた音が、やけに大きく響いた。目の前の彼は、赤い顔のまま真剣な瞳を向けてくる。それを見ているうちに、私は自分の勘違いに気がついた。

「それは、私への告白ですか?」

「他に何があるんだよ。まぁおまえは、そういうの面倒くせぇって思うのかもしんねぇけど」

 だから今まで言えなかった、断られると分かっている告白はしたくない、と彼が呟く。そんなの、私だって同じだ。

「確かに面倒くさいです。相手の言動がいちいち気になるし、相手と仲のいい女性に嫉妬してしまう時もあるし、自分では感情が制御できないし」

 本当に面倒くさい感情だ、これは。

「相手との関係を変えるための行動を起こして、その結果が駄目だった時、元の関係にすら戻れないんじゃないかと考えると、すごく怖くなるし」

 自分の本当の感情にすら、気づけなくなってしまうのだから。

「ただ怖いだけなのに、面倒くさいから行動しないんだって、自分に言い訳してしまうし」

 彼の顔が、だんだん青くなっていく。

「ちょ、ちょっと待て。おまえまさか、好きな奴いんのか? おまえが惚れるなんて、一体どんな男なんだよ」

 そう言う彼は、どんな男性を思い浮かべているのだろうか。

「不思議な人ですよ。私の扱いを持て余していたかと思うと、いつの間にか世話焼きになってました。私が猫に似てるなんて言ったのは、その人が初めてでした」

 彼が不思議そうな顔をする。数秒後、再び赤い顔になった。

「おおおおまえ、そそそれって」

「落ち着いてください」

「おまえが落ち着きすぎなんだよ!」

 彼にはそう見えるのか。改めて、自分のかわいげのなさを実感させられた気分だ。でも、彼は私がどんな人間か分かってて告白してくれたのだから、別にいいか。彼が勇気を出してくれたのに、私が怖がっているわけにはいかない。今ならきっと、その言葉を言える。

「実琴さん、ひとこと言わせてください」

「お、おぅ」

 肩を震わせ、彼が正座する。こういうところが彼はおもしろい。

「好きです」

 彼が数回まばたきした後、微笑んだ。それを見ていると、胸が温かくなってくる。あんなに言うのが怖かったのが嘘みたい。やっぱり、彼は不思議な人だ。

 彼の手が、こちらに伸びてくる。髪を優しく撫で始めたその手は、とてもあたたかった。

 

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初出 2016/1/10(COMIC CITY 大阪104無料配布冊子)

update 2016/12/4