悪魔の願い | Of Course!!

悪魔の願い

話の中で死体が出てくるので、ご注意ください。

 

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 魔界学校の中庭で立ち尽くす。ユウの家にいたはずなのに、いつの間に移動したのだろうか。

 前方に人影を見つけて、目を凝らす。それがユウだと気づくと同時に、彼女が振り返った。笑顔になった彼女が近づいてくる。

「マサユキ先輩」

 抱きついてきた彼女を、両腕で抱き留めた。頬をすり寄せられ、苦笑を漏らす。彼女に触れる気はないはずなのに、なぜこの状況を受け入れているのだろうか。そう考えていると、彼女が見つめてきた。

「先輩」

 少しずつ顔が近づいてくる。それを見ながら、まぶたを下ろした。しばらく経って目を開けると、安心したようにユウが笑う。

「先輩、起きたんですね」

 少しずつ、彼女が離れていく。身体を起こして周りを見ると、ユウの家で寝室として借りている部屋だった。今のは夢だったのか。

「安心しました。先輩が起きなかったらどうしようかと」

「おまえには、俺が死んでるようにでも見えたのか?」

「違いますよ! 私の気持ちの問題です」

 「やっぱり、寝てる先輩にあれこれするわけには」と呟く彼女に、首を傾げる。

「なに言ってんだ、おまえ」

 小声で何やら言っていたユウが、マサユキのほうを向いた。

「先輩!」

 思わず背筋を伸ばす。

「な、何だ」

「回りくどいアプローチじゃ通じないってよく分かったので、単刀直入に言います。抱いてください」

 真剣な瞳とかち合う。何を馬鹿なことを、と斬り捨てるのは簡単だが、マサユキにはできなかった。好きな男以外とは身体を重ねない。そんな彼女の言葉を思い返せば、その真意は嫌というほど分かる。冗談ではないかと笑ってごまかすことも考えたが、それで彼女が引くとは思えない。だが本当に、冗談であってほしい。

「何で、俺なんだよ」

 彼女が他の男を選んだのなら、内心ではどれだけ嫉妬の炎が燃え盛ろうが、それを堪えて応援するつもりだったのに。

「理由が必要ですか? それを言えば、抱いてくれるんですか?」

 彼女はきっと、戻る気がない。今までと同じ日々を、マサユキと送るつもりはないのだ。ただの先輩後輩ではなく、しかし恋人でもない。そんな曖昧な関係は、これで終わる。

 よく見ると、彼女の瞳はわずかに潤んでいた。少し息も上がっていて、何より匂いがいつもと違う。

「少し考えさせろ、なんて言ってられる状況じゃねぇみてぇだな」

 サキュバスは、男を誘う時にフェロモンを発する。大抵は意識的なものだが、極限まで飢えたサキュバスは、とにかく精気を得ようと意図せず発してしまうのだとマサユキは聞いたことがあった。今のユウは、正しくこの状態だ。いま彼女から発せられる匂いは、花の蜜のように甘い。思わず手を伸ばしたくなりそうなその匂いに、めまいを覚えた。このような状態でも、黙ってマサユキの出方を待つ姿が愛おしい。同時に、本能のままに行動できない彼女が悲しかった。

 マサユキにも痛いほど分かった。彼女に時間は残っていない。彼女を拒絶して、マサユキ以外の相手を見つけるのを期待する余裕などないのだ。マサユキが強く拒めば、彼女はこの場から立ち去るだろう。そしてそのまま、男を誰ひとり受け入れることなく死んでいく。いま彼女の命を握っているのは、マサユキだ。

「理由なら、必要ねぇよ」

 何て残酷な選択なのだ。だが、他に道はない。彼女を抱けば、父親の眷属となったサキュバス達のように、彼女が廃人になる確率が高い。場合によっては、殺してしまうかもしれない。だがそれと、緩やかに死んでいく彼女を見守るのと、どちらがいいのだろう。そんなこと、考えるまでもない。少しでも彼女を生かせる可能性が高いほうを選べばいい。

 マサユキが思考している間にも、ユウの息は荒さを増していく。頬が赤く染まり、甘い匂いも強まっていた。この期に及んで、まだ覚悟を決められない自分が腹立たしい。だがやはり、あの父親と同じことはしたくない。

 ユウが身体を震わせる。濡れた瞳は、泣きそうにも見えた。

「先輩、ごめんなさい。我慢したかったのに。私、もう」

 身を乗り出したユウが、マサユキに抱きつく。近くで甘く匂ったのと同時に、ユウの背中に腕を回した。

「先輩」

 好きだ、と彼女に告げるべきなのかもしれない。だがそんな言葉では、彼女の命を繋ぎ止められない。彼女が愛の言葉を口にしなかったのも、それを望んでいないということなのだろう。どちらにせよ、この距離で感じる匂いに、もう我慢などできない。

 ユウの身体を抱え上げ、ベッドに横たわらせる。期待するように見上げてくる彼女に顔を近づけ、唇を重ねた。口づけを深めながら、彼女の身体に手を這わせる。甘い声を漏らし、身体を捩じらせる彼女に心臓が高鳴った。何度も想像した、誰かに身を委ねる彼女の姿。それが今、現実になっている。彼女を組み敷いているのが自分だという事実に、言いようのない興奮を覚えた。彼女を抱いた後のことなど、なるようになればいい。とにかく今は、この細くしなやかな身体を堪能したい。

 一糸まとわぬ姿になった彼女に、目を奪われる。恥ずかしそうに顔を逸らす様子に、劣情を掻き立てられた。

「自分から誘っといて、なに照れてんだ」

「別に、そういうんじゃ」

「じゃあ何なんだ」

 目を合わせようとしないユウに、軽く息を吐く。彼女の額に唇を落とし、滑らかな肌をまさぐった。触れる度に彼女が甘く高い声を上げ、マサユキの耳を刺激する。甘さを増す匂いのせいか、夢を見ているような心地で彼女に触れ、身体を繋げた。処女喪失は痛いものらしいと聞いていたが、彼女は痛がっている様子を見せない。サキュバスはそういうものなのかもしれない。そんなことを考えながら、自分を受け入れている彼女を見下ろした。

「せん、ぱい」

 荒い息を吐きながら見上げてくる彼女の姿が、マサユキの情欲を煽る。彼は熱に浮かされるまま、無我夢中で彼女を貪った。自分を呼ぶ甘い声も、快感に蕩けた顔も、ただマサユキを煽るだけだ。彼女の蕩けた胎内を存分に味わい、その中で果てる。それからしばらく余韻に浸っていたが、行為の後から微動だにしない彼女の姿に、我に返った。

「おい、ユウ」

 父親に壊されたサキュバスたちの姿が頭に浮かぶ。やってしまった。自分の手で、ユウを壊してしまった。血の気が引いたマサユキの前で、ユウの指先がかすかに動く。

「ユウ?」

 マサユキが顔を覗き込もうとすると、ユウが身体を丸めた。

「……する」

「えっ?」

 彼女が顔を上げる。

「すっごく胸やけがします! 何て言えばいいんですかね。ものすごく油たっぷりでこってりした料理を、お腹いっぱいで動けなくなるまで食べた感じ?」

「悪い、その例えがよく分からねぇ」

「私も何て言ったらいいか分かんないです! それくらい、今までにないような激しい胸やけがして仕方がないんです。もう精気なんて当分いりません!」

「いやそもそも、精気って消化するもんなのか? 胃が関係あるのか!?」

「知りませんよ!!」

 ユウが頭まで布団を被った。マサユキは溜息を漏らした後、目を見張る。

「って、ちょっと待て。おまえ、胸やけだけで済んでんのかよ」

 顔を出したユウが、小さく声を漏らした。

「本当だ。何だ、私って耐えられたんですね。こんなことなら、ぎりぎりまで我慢しなくてもよかったかもしれませんね!」

 明るく笑う彼女に、マサユキが脱力する。今までさんざん悩んできたのは何だったのだ。

「何か、いろんなことが馬鹿らしくなってきた」

「いいじゃないですか。先輩がいちばん恐れていた事態は避けられたでしょう?」

 含み笑いの彼女に、肩をすくめた。

「まぁな。つーかおまえ、胸やけするならさっさと寝ろよ」

「何か治まりました」

「早いな」

「今はお腹いっぱいですけど、苦しいとかはないです。すごくいい気分ですよ」

 楽しそうなユウの隣に、マサユキが潜り込む。

「なぁ、ユウ」

「はい」

「言い忘れてたけど、俺はおまえが」

 彼女の指で唇を押さえられた。

「いいですよ。必要ありません」

 笑顔の彼女は、喜んでいるように見える。

「そうか」

 これからの自分たちは、何という関係なのだろうか。ただの先輩後輩ではないが、愛を語り合ったわけでもない。これはこれで、曖昧なものかもしれない。

 ユウがマサユキの胸元に顔をすり寄せた。

「ねぇ先輩。今でも、私を眷属にする気はありませんか?」

 彼女の後頭部に手を回し、髪を撫でる。

「まだ諦めてなかったのか」

「当たり前ですよ。眷属は魔王一族にとってパートナーだって、前に言ってましたよね? 先輩と、そういうふうになれたら嬉しいです。ねっ、どうですか?」

 マサユキが、上目遣いで見上げてくる彼女を見つめ返す。自分以外の男へ目を向けてほしいという希望は、けっきょく叶わなかった。だが、彼女は元気に生きている。ならもう、抵抗は無意味だ。

「分かった」

 ユウが目を見開いた。顔をほころばせて、首元に抱き付いてくる。

「ありがとうございます先輩! それで、どうすればいいんですか?」

「何が」

「何って、ほら、契約の儀式とかそういうのは」

「ねぇよ。今ので契約成立だ。互いの同意さえあればいいんだからな」

「そうなんですか!?」

 「儀式とか何とか、小説の読みすぎじゃねぇか?」と呟くマサユキに、ユウが頬を膨らませた。

「でも、これだけっていうのも寂しくないですか」

「別に。そんなこと、考えたこともねぇし」

 ユウが視線を逸らす。

「そうですか」

「何だ、おまえそういうのしたかったのか」

 彼女の頬を、丸めた人差し指でつつく。

「案外ガキっぽいんだな」

「別にいいでしょう?」

「誰も駄目なんて言ってねぇだろ」

「そうですか」

 拗ねたままのユウの頭を、また撫でる。艶やかな髪が指の間を通る感触が心地いい。こんなに穏やかな気分になったのは、随分と久しぶりだ。

「ねぇ、先輩」

 ユウが顔を寄せてくる。

「先輩のお母さんって、どんな人だったんですか?」

 マサユキが何度かまたたいた。

「何だ、藪から棒に」

「いやー、前から気になってたんですよ。そういえば聞いたことないなって」

 顎に手を当て、マサユキが考える。

「そうは言っても、ほとんど覚えてねぇぞ。弟を産んですぐ亡くなったらしいからな。ただ、聞いた話じゃ小柄で華奢で、いわゆる守ってやりたくなるタイプってやつだったとか」

「へぇ、じゃあ先輩の背が低いのはお母さん似なんですね!」

「殴られてぇのか?」

 ユウを睨んだマサユキが、小さく息を吐いた。

「あと、親父とすげぇ仲よかったらしい。あの親父が女を大事にするところなんて、想像もできねぇけど」

 ユウが目をしばたたかせる。

「それが本当だとしたら、魔王さまが今みたいになったのって、先輩のお母さんが亡くなったショックとかが原因だったりして」

「は? あの親父が?」

 眉を寄せたマサユキに、ユウが笑った。

「まぁ、確かめるのは難しいでしょうけど」

「無理だな。いま親父の前に出ていったら殺されかねない」

 マサユキの肩に、ユウが頭を乗せる。

「何か眠くなってきました」

「じゃあ寝ろ」

「でも、まだ先輩と話したいです」

「明日でもあさってでも、いくらでも付き合ってやるから」

 彼女の頭を軽く叩く。背中に腕を回され、抱きつかれた。

「ねぇ、先輩。一つ、お願いしてもいいですか」

「……何だ」

「明日からは、ごはん一緒に食べてください」

「飯なんていらねぇだろ。腹が減ったら、俺が何とかしてやるから」

「ああ、そうでしたね。すみません」

 声がだんだん小さくなり、消えていく。少し経って、かすかな寝息が聞こえてきた。彼女の身体を抱き返し、背中を軽く撫でる。髪に鼻先を寄せると、よく知った彼女の匂いがした。

 今日から彼女は、自分の眷属になった。その関係をマサユキは望んでいたわけではないが、これでいいのかもしれない。確かに互いを恋い慕い求め合ったが、恋人というのも自分たちには違う気がする。だから、愛の言葉を囁き合う必要もないのだろう。

 彼女の髪に、顔を埋める。声には出さずに「好きだ」と口を動かしたことを、彼女が気づかないことを祈った。

 

 

「えっ?」

 声を上げたのは、ふたり同時だった。魔界中を覆い尽くすほどの強大な魔力が、とつぜん消え失せたのだ。

「魔王さまに、何かあったんですかね」

「そうとしか思えねぇだろ」

 顔を見合わせて、頷き合う。揃って翼を広げ、空に飛び出した。二人で真っ黒な城に向かい、急いで飛んでいく。城の前に降り立ったマサユキが扉を開けると、血の臭いが鼻をついた。臭いのほうへ走っていくと、一つの部屋に辿り着く。その床は真っ赤に染まり、中央にマサユキの父親が倒れていた。その傍らに、一人の女性が呆然としながら立っている。彼女の手には、血に染まったナイフが握られていた。女性が、マサユキ達へ目を向ける。

「誰?」

「そこに倒れてる奴の息子だ。そっちこそ何者なんだ?」

「私は」

 女性が血だまりを見下ろす。

「この人の、恋人。の、はず」

「はず、って」

「私は、そう思ってる。でも、彼がどう思っていたかは知らない」

 マサユキも父親を見た。あれほど恐ろしかった父親が、血の中に沈んでいる光景が何とも奇妙だ。

「おまえがやったのか」

 女性が頷いた。

「この親父のことだから、命を狙われる心当たりはかなりあっただろうけど、よく殺せたもんだな。反撃もされなかったのか」

 女性がまた、首を縦に振る。

「いちおう訊くが、何で殺したんだ」

 うつろな瞳が、マサユキを捉えた。

「彼は、私を大事にしてくれていたと思う。だけど、彼が他の女を連れ込んで、寝てたのが嫌だった。何度もやめてって言ったのに聞いてくれなくて、我慢できなくなったの」

 弱々しい声で言う女性は、とても小柄で華奢だ。マサユキの母はこのような感じだったのかもしれない。だから父親はこの女性を愛し、反撃もしなかったというのだろうか。

 女性の手から、ナイフが落ちる。

「私は彼を、愛していた。なのに、殺してしまった。もう、彼に愛してもらえない。私は、どうすれば」

 マサユキがゆっくりと息を吐いた。

「おまえ、自分の家はあるのか?」

 女性が小さく頷く。

「じゃあ、そこに帰れ。悪いが、俺はおまえの面倒を見てやれねぇからな」

 少し考えて、女性が「分かった」と答えた。

「おまえが親父を殺したってことは、誰にも言うな」

「言わない。誰にも言えない」

 女性がマサユキ達の横をすり抜け、歩いていく。

「血がついてるから、着替えてくる。荷物も、持ってくる」

「ああ」

 女性が姿を消すと、ユウが血だまりを見下ろして眉をひそめた。

「めった刺しですね」

「この親父が、ナイフで一突きされたぐらいで死ぬわけねぇからな」

「まぁ、そうでしょうけど」

 ユウが周囲を見回す。

「魔力の気配、全然しませんね。さっきの人しかいないのかな」

「そうみたいだな。今は眷属いなかったのか」

「先輩はさっきの人、見たことありました?」

「いや、初めて見た」

 マサユキが父親へ目を向ける。ユウも同じ方向を見た。

「この状況、どうしますか?」

「どうもこうも、親父が死んだことは隠しようがねぇだろ。住人たちに説明する必要がある。ただ、本当の死因は言わねぇほうがいい。この親父のこととはいえ、さすがに痴情のもつれで殺されたなんて、魔王の最期としては情けなさすぎるからな」

「じゃあ事故ってことに、するのも無理ありますよね。魔王さまは最上位の悪魔だし、事故で怪我はしても命を落とすなんてことは」

「そうだな。こうなったら、俺が殺したことにでもするか」

 ユウが目を見張る。

「先代の魔王を跡継ぎが殺して代替わりした例なんて、今までに腐るほどある。他の住人ならともかく、魔王の息子が魔王を殺しても、罪に問う奴なんかいねぇよ」

 眉尻を下げたユウに、マサユキが顔をしかめた。

「何だおまえ。人にクーデターだの何だの言っておいて、何が不満なんだ」

「いえその、別に私は、魔王さまを殺すとかまで考えてなかったというか」

「親父を生かしたまま、円満に代替わりできると思ってたのか?」

「それは、その」

 ユウが血の中に沈む死体を見る。

「無理、ですよね」

「当たり前だろ」

 呆れたように息を吐き、マサユキが死体に近づいた。強大な存在だった父親も、こうして見ると小さく感じる。

「ねぇ先輩。私、気になってたんですけど」

「何だ」

「どうして魔王さまは、先輩を攻撃しなかったんでしょうか」

 眉を寄せたユウが、口元に手を当てる。

「確か先輩は、魔王さまにやられた弟さんの遺体を回収したんですよね。その時、魔王さまがけっこう近くにいたんでしょう?」

「ああ。おまえの考えている通り、親父はその時、俺を殺すこともできたと思う。少し距離があったとはいえ、親父にとってそんなのは大した問題じゃねぇ」

「でも先輩を殺さずに放っておいたんですから、何か理由があるはずですよね。例えば、先輩に対して強い思い入れがあるとか」

「なに言ってんだおまえ」

 自分を放置していた父親に、そんなものあるはずがない。

「先輩。弟さんって、小柄なほうでしたか?」

「いや、俺より背が高くて体格がよかった。弟は割と親父似だな」

「だったら」

 ユウがマサユキを見つめた。

「怒らないで聞いてください。私、もしかして本当に先輩はお母さん似なんじゃないかって思うんですけど、どうでしょう」

 彼女の目を見つめ返す。真剣な表情の彼女に、息を零した。

「そうだとしても、親父が俺に対して思い入れがあったっていうのは違うだろ。親父が愛していたのは多分、おふくろだけだ」

 父親の恋人を名乗る女性も恐らく、母親の代わりでしかないのだろう。そう思考していると、足音が近づいてきた。振り向いた先に、先ほどの女性が立っている。手には鞄と、血のついた服を持っていた。

「この服は」

「置いてけ。こっちで処分しておく。おまえはすぐにここを出ろ。二度とこの城の中に入るな。魔王と関わりがあったことも、周りに悟られないようにしろ」

 女性が頷いて、服を床に置く。歩み寄ってくると、血だまりの前で腰を下ろした。

「ごめんなさい。さようなら」

 死体を悲しげに見た後、女性が立ち上がった。二人に頭を下げ、部屋を出ていく。その背中を見送ってから、揃って死体を見た。

「よし、ユウ。一芝居うつぞ」

「はい、先輩」

 マサユキが前髪を掻き上げる。

「こうなったら、この状況を最大限に利用しねぇとな。どうせいつか、親父を魔王の座から引きずり下ろしてやるつもりだったんだ。それがこんなに早くなったんだから、好都合だよな。おまえもそう思うだろ? ユウ」

 悪だくみしているような顔で笑うマサユキに、ユウが固まった。彼らしくないその表情に、返す言葉を失う。

「じゃあ、さっそく動くか。ぐずぐずしてる暇はねぇぞ。まるで仕事してなかったとはいえ、魔王がいなくなったとなりゃ、住人を混乱させるだけだからな」

「……はい」

 この会話から間もなく、魔王の名前でお触れが出された。

『すぐに魔王の城の前に集まるように』

 これを受けて、多くの住人が城の前に集った。訝しげな顔の住人たちを窓から見下ろし、マサユキが呟く。

「そろそろ行くな」

「はい。私はここで待ってます」

 微笑んだユウに小さく笑み返し、マサユキがバルコニーに出た。住人たちが一斉に見上げてくる。硬い表情の彼らを見渡し、口を開いた。

「私は魔王の息子、マサユキだ。今回、諸君らを集めたのは私だ。父の名を騙ったことをお詫びする。さて、こうして来てもらった理由は他でもない。諸君らも感づいているであろうが、父は死んだ。私が殺したのだ!」

 住人たちがざわめき始める。マサユキの背中を、冷や汗が伝った。

「諸君らも察しの通り、我が父は魔王でありながらその職務を放棄し、魔界の秩序を乱した。父は私の目から見ても、更生不可能であった。だから私は、父を魔王の座から排し秩序を正す時を虎視眈々と狙っていた。そして、ついにそれを果たしたのだ。諸君らにおいて、私をよく思わない者もいることは分かっている。私を信用してほしいとは言わない。ここで私が何を言おうと、結果が全てだ。私はこれから新しい魔王として、魔界に秩序を取り戻すことを諸君らに誓おう。もしそれが果たされなかったと判断した者がいたなら、いつでもこの首を狙いに来てもらって構わない」

 いつの間にか静まっていた住人たちが、また騒ぎ出す。マサユキは一歩まえに出て、

「以上で、私の話は終わりだ。どうしても私自身の口で諸君らに伝えたかったもので、時間を取らせて申し訳なかった。ここに集った諸君らに感謝する」

 頭を下げて、マサユキが部屋へ戻っていく。どよめき続ける住人たちの声を聞きながら、ユウに歩み寄った。

「お疲れ様です先輩。さぁ、座ってください」

 ユウの示した椅子に腰を下ろし、深く息を吐く。後ろから、ユウが抱きついてきた。

「命を狙われてもいい、っていうのは言いすぎなんじゃないですか?」

「信用ゼロの状態からだからな。言いすぎなくらいでいいだろ」

「そうですかね。まぁ、先輩の首を取れる人がいるとは思えませんけど」

 ユウの腕に少し力がこもる。

「これからは、ここで暮らすぞ。魔王が城にいねぇってのはまずい」

「分かりました」

「あの家に思い入れがあるようなら悪いが」

「別に、大丈夫ですよ」

 ユウの匂いが鼻をくすぐる。彼女にもたれるように、背中をわずかに反らした。

「何なんだろうな、この終わり方は」

「終わりじゃなくて、始まりじゃないですか?」

「親父との決着って意味じゃ終わりだろ。こんなことになるって分かってたら、あのとき何があっても弟を止めたのに。結局、あいつの死は何だったんだ」

「でも弟さんの望んだ、先輩が魔王にっていうのは実現しましたよ」

「そうだけどこれじゃ、あいつが死んでも死ななくても同じことじゃねぇか。何なんだよ。俺は、弟の仇すら取れやしなかった」

 マサユキが息を漏らす。

「悪い。考えても意味ねぇことだって分かってるのにな。俺にできることは、これからの魔界をよくしていくことだけだ。それが、あいつに報いることにもなる」

 マサユキの髪に、ユウが顔を埋めた。

「先輩。私は弟さんの代わりになれないし、なりたいとも言いません。でも、傍にいます。ずっと、先輩に傍にいますから」

 マサユキが振り返る。

「ああ。傍にいてくれ。おまえを失ったら、俺は」

 ユウの頬に手を滑らせ、目を覗き込む。彼女の優しいまなざしに、胸が熱くなった。

「なぁ、ユウ。セックスは好きな相手とだけするもんだって、おまえは言ってたよな。俺もそう思う。だから」

 ユウを抱きしめ、耳元に口を寄せる。

「抱かせてくれるか」

 腕が背中に回され、抱き返された。

「もちろんです。先輩のいいように」

 囁くような声に、口の端を上げる。いつかはこんな回りくどいことをしなくても、当たり前のように相手への愛を告げ合う時が来るのだろうか。そう考えて、当たり前のように彼女との未来を想像している自分がおかしくなった。

 身体を少し離し、唇を重ね合う。こんな時間がいつまでも続けばいい。いや、何があっても続けさせてみせる。そんな決意をしながら、彼女を抱きしめる力を強めた。

 

 

 こうして、魔界に新たな魔王が誕生した。その傍らには、常に一人の悪魔が寄り添っているという。

 

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update 2016/2/6