悪魔のシンパシー
モブの発言が不快に思われる方がいらっしゃったらすみません。モブ死描写があるのでご注意ください。
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思えば、ユウは初めて会った時から不思議な少女だった。
魔界の住人が必ず三年は通うことになっている魔界学校で、マサユキは浮いていた。魔王の息子であり、魔力が並大抵の悪魔とは比較にもならない彼を、先輩や教師ですら遠巻きに見ていた。だが、たまたま廊下ですれ違った彼女だけは違っていた。
「えっ、もしかして魔界の王子さまですか?」
振り返ったマサユキが、顔をしかめる。
「そう言うおまえは、サキュバスか?」
彼女が目を丸くした。
「この恰好でよく分かりましたね」
「気配や匂いが完全にそうだからな」
「あ、そっか。魔王一族って感覚が鋭いんですっけ。でも匂いって」
彼女の屈託ない笑顔が、マサユキにとっては衝撃的だった。そんな顔を向けてくる者と出会ったのは、生まれて初めてだったのだ。父は笑いかけてくることなどなく、母は遠い昔に亡くなったらしく顔も知らない。弟でさえ次期魔王とされる自分に一目置く中、こんなふうに接してくれる者がいるということに驚いた。
だが、彼女の不思議な点はそこだけではなかった。サキュバスは通常、セックスアピールのために露出度の高い服装を好む。しかし彼女は、長袖のシャツとスラックスで肌を隠していたのだ。身長も少女にしては高く、五感が他の者より鋭敏な魔王一族でなければ、彼女が女であることすら気づかないだろう。
出会いから数日後、マサユキは話しかけてきた彼女にその点を訊いてみた。
「自分がサキュバスだってことが嫌だって人は、大体こんな感じですよ」
苦笑する彼女に、首を捻った。
「どういう意味だ」
「サキュバスだってみんながみんな、食事のためにそういうことをするっていうのを納得してるわけじゃないってことです」
この時のマサユキは、まだ勉強の途中で知識が及んでいなかった。サキュバスの中に、そのような者もいることすら知らなかった。
「おまえも、そうなのか」
「私ですか? 私は、こういうののほうが似合うでしょう?」
全身の力が抜ける。彼女は笑い声を立てて、
「まぁそれもありますけど、私もそうだっていうのは確かです」
「それもあるのかよ」
体勢を立て直し、マサユキが彼女を見た。
「何で嫌なんだ?」
目をしばたかせる彼女から、目を逸らす。
「いや、言いたくないなら無理にとは言わねぇ。でも一応、後学のためにも聞けるとありがたい。種族ごとの悩みとか、考え方とか」
彼女が寂しそうに笑った。
「そうですね。会うのが二回目って人に言うことでもないですけど、先輩の立場を考えると、話すのもありでしょうね」
膝を抱えて、彼女が口を開く。
「私ね、父親が誰か分からないんですよ。私だけじゃなくて、サキュバス全体に言えることなんですけどね。母親が食事のために寝た相手の誰かってことしか」
彼女の腕に力がこもる。
「他の種族だと両親そろってるのが普通なのに、何で分からないんだろうってずっと疑問だったんです。それに、サキュバスはこうやって生きていくものだよって、母親から行為の様子を何度も見せられて嫌気が差したのもあります」
「確かに、親のそういうのは見たくねぇな」
「そういう意味での嫌悪もありますし、何ていうか、見る度に誰とでもすることじゃないって気持ちが強くなっていったんです。だって裸になって、身体をあちこち触り合って、あんなこと好きでもない相手とするなんて考えられないです。実際、サキュバスやインキュバス以外の種族はみんな、好きな人とすることだって認識してるじゃないですか」
「その辺は個人差あると思うが、まぁそういう倫理観の奴が多いだろうな」
そのためにインキュバスやサキュバスが肩身の狭い思いをしているのは、マサユキにも想像がついた。ユウは息を吐き、膝の上に顔を伏せる。
「他の奴もいるところで言わないほうがよかったか? サキュバスか、なんて」
「別にいいですよ、事実ですし。ただ、男友達には女なのは知られててもサキュバスとは言ってなかったので、随分と驚かれました」
「……嫌なこと言われたりしたか?」
彼女がわずかに顔を上げた。
「つるんでる相手に男が多いのは、その中から餌を見繕うためか? って。冗談っぽい言い方でしたけど、たぶん半分くらい本気で言ってたと思います」
顔をしかめたマサユキに、彼女が笑みを零す。
「大丈夫です、こういうのは慣れてますから。おしゃれに興味がないから女子と話が合わないし、かといって男子と一緒にいても、サキュバスと知られるとそういう感じなんですよね。いやー、参りますよ」
あどけない笑顔に、マサユキの胸が痛んだ。この表情の裏で彼女は、どれだけ悩み傷付いてきたのだろうか。
「えっ、何で先輩が悲しそうな顔してるんですか。別に私、先輩を不快にさせようとか、そういうつもりじゃないですよ。サキュバス以外だってそれぞれ悩みがありますし、人の血を吸いたくないって言ってる吸血鬼とか知ってますよ」
「自分で訊いたのにそんなこと思うかよ。おまえの周りどんだけ悪意に満ちてんだ」
マサユキが息を吐く。
「でもおまえ、女ってことは隠してねぇんだな。だったら、多少は女っぽい格好しようって思ったりしねぇのか? 露出が嫌なら、ロングスカートとか」
「それがですね、露出が多い少ないに関わらず、サキュバスが女の面を見せるだけでそういう方向に考える人というのがいまして」
「下衆の勘繰りにも程があるだろ」
「仕方ないですよ。人肉を食べる種族や血を吸う種族にとっては人間がごちそうで、魔界の住人を狙う人はほとんどいません。でもインキュバスやサキュバスだと悪魔のほうが多くの精気を得られるから、悪魔を狙う人もいます。ようは、自分たちが捕食対象になりたくないんですよ。人間しか狙わない種族に関しては他人事だから、どうでもいいんです」
舌打ちしたマサユキに、彼女の肩が跳ねた。
「あ、いや、悪い。おまえに対してじゃ」
「分かってます。その、先輩には関係ないことなのに、そんなに怒ってるのにびっくりして」
「関係ないわけあるか」
彼女が不思議そうにマサユキを見る。しばらくして、明るい顔で頷いた。
「そっか、次期魔王さまですもんね。臣民のためにそこまで怒れるなんてすごいですよ。きっと先輩はいい魔王さまになりますね!」
「臣民っておまえ。サキュバスだからって、必要以上に自分を卑下してねぇか?」
「えっ、そんな! そんなことないですよ! そういえば私、王子さまにやけに馴れ馴れしくしてしまって」
「確かに魔王の息子だけど、王子ってのも何か違うな。大体、どいつもこいつも俺に対して距離を置きすぎなんだ。人を何だと思ってんだよ」
苛立ちまじりの呟きに、彼女が笑った。
「先輩もなかなか大変なんですね」
「そうだな。教師ですら目を合わそうとしねぇのは、さすがに何とかしてほしい」
「えー、そうなんですか? 別に先輩の人相がそんなに悪いわけでもないのに、何でですかね」
「別に取って食いやしねぇのに、怯えたように目を逸らすんだよな」
「それは傷つきますね」
笑い声を立てる彼女の姿に、今までの不満が消えていく。同時に、つらいことがあっても笑っていられる彼女を心底すごいと思った。彼女は、周囲を恨んだことはないのだろうか。
「すみません、笑いすぎました。まぁでも先輩の場合は、漏れ出る魔力の量がもうぜんぜん違いますもんね。それで、逆らうとやばいって思われてるとか」
「それはあるだろうな。にしてもビビりすぎだろ」
彼女がまた笑う。腕時計を見た彼女が、マサユキのほうを向いた。
「けっこう話しこんじゃいましたね。私、そろそろ行きます」
「ああ」
立ち上がり背中を向けた彼女を、マサユキが呼び止めた。
「おまえ、名前は?」
「ユウです。以後お見知りおきを」
それだけ言って、ユウは去っていった。
魔界学校が開校されて以来の逸材。ユウがそう呼ばれていることを知ったのは、彼女と話してから数日後のことだった。勉学に優れ、魔術の腕も素晴らしい。あれだけの実力者は滅多にいない。そう話す声をあちこちで耳にした。彼女と再会したのは、そんな噂を聞くようになって一か月ほど経った頃だった。校舎の二階から外を見下ろした時、外にいた彼女が見えたのだ。
「ユウ」
顔を上げた彼女が、瞳を輝かせた。
「先輩! お久しぶりです!!」
「そっち行っていいか?」
「もちろんです!」
ユウが頷いたのを見て、窓から離れ階段を下りていく。外に出ると、満面の笑みで出迎えられた。
「わー、先輩だー。会えて嬉しいです。同じ学校でも学年が違うと、話す機会あまりないですし」
「そうだな」
その場に腰を下ろすと、ユウも座った。彼女の手には教科書が握られている。
「何やってたんだ」
「ちょっと復習を」
「こんなところでか?」
ユウが首を縦に振る。
「教室じゃやりづらくて」
「何でだ。勉強熱心でいいじゃねぇか。そういやおまえ、すげぇ優秀だって評判じゃねぇか」
苦笑して、ユウが視線を落とした。
「口では私を褒めてても、内心じゃ『女のくせに』とか『サキュバスなのに』とか、みんな思ってますよ。目がそう言ってます」
「そうなのか? 直接、嫌味とか言われたりもしたのか?」
地面をしばらく見つめて、彼女が口を開いた。
「他のサキュバスから、目立たないでほしいって言われました。サキュバス同士ってことで、比べられるからって」
教科書を地面に置いて、ユウが空を見上げる。
「こんな格好をしていると、サキュバスなのに男を誘惑しようとしないのが逆に怪しいって言われたりするんです。でも女の格好をした場合は、前に話した通りです。だから私、強くなりたいんですよ。誰にも文句を言われないくらい。私がサキュバスだって周りも、自分自身すら忘れるくらい」
マサユキも空を見た。魔界の空は、常に淀んでいる。
「それだけ自分がサキュバスっていうのを否定してるくらいだから、おまえ男と寝てねぇんだろ」
ユウが小さく頷く。
「それでおまえ、生きていけるのか?」
彼女が横目でマサユキを見た。
「先輩もそういうこと言うんですね」
首を傾げたマサユキのほうへ、ユウが身体ごと向く。
「先輩、手合わせしてください」
「……はぁ?」
「お願いします」
真剣な表情の彼女に、溜息を零した。
「女と戦う趣味はねぇ」
「サキュバス扱いしないでください」
「してねぇよ。種族じゃなくて性別の問題だ。おまえが他の種族でも、答えは変わらねぇよ」
マサユキが彼女へ向き直る。
「大体おまえも周りも、サキュバスの生態について重く考えすぎなんじゃねぇのか? サキュバスが悪魔も狙うって話なんて、それを言ったら俺はおまえ達の魔力を食ってるんだが」
「でもそれは、勝手に溢れ出てるものを食べてるだけでしょう? 自発的に標的にするのとは違います」
「そんなこと言って、おまえは一生、誰とも寝ない気か? 精気を取るっていっても、相手が死ぬほどじゃねぇだろ。せいぜい、少しふらふらする程度のはずだ」
「そういう問題じゃないです。前にも言いましたけど、私にとってそういう行為は、好きな人とすることです。だから好きな人ができて、その人が私を受け入れてくれるなら、その人と寝ますよ」
ベッドの上に横たわり、誰かに微笑みかける彼女の姿が脳裏に浮かぶ。それを打ち消すように頭を掻いたマサユキに、彼女が目を見開いた。
「ど、どうしたんですか?」
「いや、何でもねぇ」
ユウが両肩を上げる。
「すみません、変なこと言って」
「何が」
「手合わせしてほしいなんて。そもそも私が女だとか関係なく、まともに戦ったらただじゃ済まないのはこっちですからね。それくらい分かってますよ」
彼女がまた上を向いた。
「分かってますよ。どんなにがんばっても、生まれつき選ばれた人には勝てるわけないって」
初めてユウと出会ってから、どれくらい経っただろうか。マサユキは、時間さえあれば彼女のことばかり考えていた。それはサキュバスとしての自分を否定する彼女が純粋に気がかりなのもあるが、現実逃避も含まれていた。家に帰れば、女遊びにふけり魔王としての職務を放棄している父親の姿がある。日ごろ魔王の様子を知りえない住人たちでさえも父親の堕落ぶりに勘付き始めており、そんな住人の前に姿をさらすことを考えると、外を出歩く気にもなれない。学校にはかろうじて通っているが、周りが自分に近づかない理由が父親にあることも、この頃にはさすがに気づいていた。魔王一族の眷属になれば箔がつくと考える者は、昔から多くいる。そのため、眷属の座を狙って自分にごまをする者がいてもおかしくないのに、そのような者が一向に現れないことをもっと早く疑問に思うべきだったのだろう。
このような状況でも、ユウはたびたび話しかけてきた。いつも笑いかけてくる彼女の姿に、マサユキは癒されていた。そしてその度に、彼女の生き方に不安を覚えた。身を委ねてもいいと思える相手に出会えるまで、彼女が無事に生きているのかも分からない。自分がその相手になれないかと思ったこともあるが、悪魔の精気の多さは魔力と比例していて、魔王一族の精気は一人のサキュバスが受け入れるには度が過ぎた量だ。それを与えることは、むしろ彼女を害することになる。だからマサユキは、彼女が考えを改めるか、自分以外の男に目を向けていい相手を見つけることを願った。だが同時に、彼女が自分から離れていくのが怖かった。彼女が誰かに組み敷かれることを想像しては、空想の男に嫉妬した。
そんな日常が過ぎていく中で、魔界学校の廊下を歩いていく。周りの者たちが自分から視線を逸らすのを見ながら、隅で談笑する男たちの傍を通った。
「それにしても、あのサキュバス馬鹿だよな」
聞こえた声に足を止める。
「確かに。なに張り切っちゃってんだろうな。逸材とか言われて調子に乗ってるけど、魔王の息子に勝てるわけねぇじゃん。さすがに実力が違いすぎて別枠だから、言わないようにしてるだけで」
「そういやあのサキュバス、その魔王の息子とよく一緒にいるよな。なに考えてるんだか」
「取り入ろうとしてんじゃねぇの? サキュバスって男がいなきゃ生きられないだけあって、他の種族とは段違いにいいもん持ってるらしいし」
「むしろもうヤってんじゃね?」
男たちが大声で笑う。一体こいつらは、何がそんなにおかしいのだ。これが彼女を悩ませる悪意なのか。ただ種族がサキュバスだというだけで、こんな下卑たことを言われないといけないのか。
「随分と楽しそうだな、おまえら」
マサユキの声に反応した男たちが、真っ青な顔で凍り付く。廊下がふさがるほど大きな黒い翼を広げ、膨大な魔力を余すことなく身体中から迸らせて睨みつけてくるマサユキに、男たちは怯えきっていた。その姿に、マサユキの怒りが増していく。
「おまえらにあいつの何が分かるんだ」
彼女がどれだけ悩み、それを見せまいとしているか。どうして誰も、気づこうとすらしないのだ。
「努力してる奴を馬鹿にして笑うなんて、見下げ果てた根性だな。おまえらのような奴が、同じ学校にいると考えるだけで反吐が出る」
足を踏み出すと、男たちが肩を跳ねさせ震え上がる。
「何が怖いんだ? 人を呪う奴は自分も呪われる、そんなの常識だろ? そんなことも知らねぇってんなら、母親の腹の中からやり直したらどうだ。そのまま戻るのは無理でも、転生くらいはできるかもしんねぇぞ。何なら手伝って」
「先輩!」
走ってくる足音が響いた。
「マサユキ先輩、やめてください!」
後ろから抱きつかれる。よく知っている匂いが鼻をくすぐった。
「駄目です先輩。こんなことしても、何にもなりませんよ」
切実な声に振り返る。ユウの顔がすぐ目の前に見えて、怒りがわずかに和らいだ。
「何でおまえは怒んねぇんだ」
「怒って何が変わるんですか? 私のことはいいですから」
「いいわけあるか。おまえのことを知ろうともしないで」
「別にいいですよ」
ユウが身体を離す。
「先輩が知っててくれれば、それで充分です」
顔をほころばせるユウに、マサユキの怒りは完全に静まった。男たちを再び見ると、泣きそうな顔を向けられる。
「こいつに免じて、今回は許してやる。次はないと思え」
男たちに背中を向け歩き出すマサユキを、ユウも追う。周りにいた生徒たちは、小声で好き好きに話を始めた。その中に混じる「やっぱりあの魔王の息子か」という言葉は、マサユキの耳にも届いた。
しばらく足を進め、ひと気のない場所で立ち止まる。ユウも止まって、マサユキを見た。
「ユウ。おまえも知ってるんだろ? 親父の噂」
「……はい」
彼女のほうへ振り向く。硬い表情の彼女の目を見つめた。
「あまり俺と関わらねぇほうがいい」
「な、何でですか!」
「イメージが悪い俺と一緒にいても、おまえにいいことなんて」
「イメージなんてそんなの、私だってよくないですよ! 噂なんて関係ありません。先輩がみんなの言うような人じゃないってことは、私がよく知ってます。私は先輩と一緒にいたいです」
マサユキの胸が痛む。マサユキに対するイメージの悪さはもちろんのこと、彼女に精気を与えられない自分といても彼女にメリットはない。だが、
「勝手にしろ」
口から漏れた言葉に、ユウの表情が輝く。彼女がこんな顔を見せてくれるなら、それが正解なのだと自分に言い聞かせた。
結局のところ、マサユキも彼女を手放せるほど強くはないのだ。
「先輩は、魔王さまを倒して自分が魔王になろうって考えたことはないんですか?」
「考えてるけど、まだ無理だ」
ユウが目を丸くする。
「えっ、そんな。まさか、魔力が足りないとでもいうんですか? だってこのあいだ見た先輩の魔力、本当にすごかったですよ! あんなの今まで見たことないです」
「それでも、親父には敵わねぇよ。親父が仕事をしねぇから案の定、人間を狩りすぎてる奴も出てるし、早くどうにかしたほうがいいんだけどな」
「えー、そうなんですか? 私には、先輩以上に強い人がいるとは思えませんけど」
不満げなユウに、マサユキが呆れ顔を向けた。
「そりゃおまえ、親父を見てねぇからそんなこと言えるんだ」
「そうかもしれませんけど、私は先輩が最強だって信じてますよ!」
「そうかよ」
マサユキが小さく息を漏らす。
「どうにかしたいっていうと、親父の仕事もそうだが、眷属のこともだな」
「眷属って、従者ってことですか?」
「どうだろうな。確かに魔王やその一族の配下のことだけど、眷属のほうが完全に下って感じでもなくて、パートナーって意味合いが強いから」
「パートナー、ですか」
思考するそぶりのユウに、嫌な予感を覚えた。
「なに考えてるかは訊かねぇからな。まぁその眷属にだな、親父がサキュバスを選んでるんだ。何人もな」
「え? それって」
マサユキが頷く。
「眷属にしたサキュバスと寝ては、そいつが壊れたら捨てて次の奴にって感じなんだ。本来、眷属ってそういうもんじゃねぇんだけど」
ユウが息を呑んだ。
「でも、眷属の契約っていうのはあくまで当事者同士のもんだ。他の誰も指図できねぇ。サキュバス側も同意して親父の眷属になった以上、俺には何もできねぇんだ」
話したこともない相手とはいえ、使い捨てられていく様を見るのは気持ちがいいものではない。ましてや、相手はユウと同じ種族の者たちなのだから尚更だ。
「確かに、それは嫌ですね。魔王一族の精気が逆に毒なのはサキュバスの間では有名だし、乗るほうも乗るほうではありますけど」
「たまに耐えられる奴もいるとは聞くし、自分は大丈夫って思うのかもな」
「上手くいけば、精気に困らない環境を得られますもんね。リスクが大きすぎますけど、本人がそれでいいと思ったのなら仕方がないんですかね」
「現状、そう思うしかねぇな」
ユウが眉を寄せる。
「そう、ですよね。ところで先輩って、魔王さまと離れて暮らすとかは考えてないんですか? 魔王さまの愛人と鉢合わせした時に気まずいって、前に言ってたじゃないですか」
「考えてねぇ。弟を放っておくわけにいかねぇし」
「あ、そうか」
また何かを思案した後、ユウが顔を寄せてきた。
「何だよ」
「提案があります。弟さんと一緒に、私のうちに来ませんか?」
「はぁ!?」
ユウの表情は真剣そのものだ。
「私、ひとり暮らしなんです。なのでちょうどいいかと」
「何がちょうどいいんだよ。血縁でもなんでもねぇ男ふたりと一緒に暮らそうなんて、正気かおまえ。しかも相手が両方とも評判の悪い魔王の息子なんて、おまえにとってマイナスでしかねぇぞ」
ユウが眉を下げる。
「駄目ですか? いいと思ったんですけど」
「いいと思えるポイントが一つも見当たらねぇんだが」
溜息を吐いて、マサユキが腰を上げた。地面に座ったままのユウが見上げてくる。
「そろそろ帰る。おまえもあまり居残ってねぇで、さっさと帰れよ」
「分かってますよ。先輩が帰るなら私も帰ります」
立ち上がった彼女と並び、歩いていく。校門を出たところで別れて、それぞれ家路に着いた。遠くからでも目立つ真っ黒な城を見ながら、小さく息を漏らした。あそこに帰りたくない、ユウと一緒にいたい。正直なところ、彼女の申し出はとても魅力的だった。だが、彼女にかける迷惑が大きすぎる。そこまで甘えるわけにはいかない。
城に着くと、ゆっくり扉を開けて入り、中の気配を探りながら進んでいく。父親、あるいはその愛人や眷属と会うことのないよう、細心の注意を払って部屋に入った。ベッドに腰かけ、一息つく。城の中で安らげる場所は、この自室だけだ。
ノックの音に、顔を上げる。気配で弟だと分かったので、返事をして招き入れた。入ってきた弟は、随分と思い詰めた表情をしている。
「どうしたんだ、一体」
「兄貴、俺もう限界だ。こんな生活、我慢できない」
マサユキが目線を落とした。
「俺だってそうだ。でも、親父をどうにかしようっていうのは、今のとこ現実的じゃねぇ」
「それでも、もうやるしかねぇよ。親父が死ねば、兄貴が魔王になる。そうすれば今よりずっとよくなって、あることないこと言ってる住人たちも黙らせられる。これからの魔界を導いていけるのは、兄貴しかいねぇよ」
「俺を買いかぶりすぎだ。親父を倒すのは無理だし、少なくとも当分は今のままだろうな」
弟が、焦れたようにマサユキを見る。
「確かに、いま親父を始末しようってのは無理があるよ。でも、行動しなきゃ何も変わらないだろ」
背中を向けて、弟がドアに向かった。
「兄貴がやらないってのなら、俺がやる」
「お、おい待て。早まるな!」
出ていった弟を追いかけ、マサユキも部屋を後にする。走る彼を追いかけるが、距離は広がるばかりだ。走り続けて廊下の角を曲がったところで、前方から光が迫ってきた。目をつぶったと同時に、激しい風が吹き抜ける。魔術による攻撃が行われたことは、すぐに察しがついた。それを、誰が放ったのかも。
恐る恐る足を進めていく。少し進むと、前方に黒いものが見えた。よく見ると、人の形をしている。足がすくみそうになるが、堪えて歩み寄り、それを抱え上げる。少し先に父親の気配を感じながら、足早に廊下を戻り城から出ていった。翼を広げ、空へ飛び立つ。地上を行くより目立つだろうが、一刻も早く城から離れたかった。そのまま飛び続け、山の中にある墓地に降り立った。そこは今までの魔王一族が葬られている場所だ。城からも街中からも遠く離れており、なぜこのような場所に墓を建てたのかは謎だが、今はそれが好都合だ。
空いている部分を掘り返し、抱えてきたもの――弟の遺体を横たえる。土をかぶせ、彼の姿が見えなくなると、埋めた場所をひと撫でした。
「おまえは先祖に恥じない、立派な一族の一員だったよ。ここで静かに眠れ。当分、墓石は建てられそうになくて悪いな」
魔界の将来を思い散っていった弟の無念を晴らすためにも、自分が父親を何とかしなければならない。だからこそ、行動は慎重に起こす必要がある。魔王一族を倒せる可能性があるのは、同じ一族の者だけ。弟が倒れた今、一族は父親と自分だけだ。自分が倒れれば、父親を止められる者は誰もいなくなる。それだけは避けなければいけない。恐らく今回のことで、父親は息子から命を狙われていることをはっきり自覚しただろう。城には戻らないほうがいい。
翼を広げ、マサユキがまた飛び始める。墓地に居続けても仕方がないが、どこに行けばいいのだろうか。そんなことを考えていると、かすかに覚えのある気配を感じた。
「先輩!」
地上から聞こえた声に、下を向く。
「ユウ」
「先輩、どうしたんですか? 先輩が飛んでるなんて珍しいですね」
「ああ、ちょっとな」
ユウの前に降り立つと、彼女が顔をほころばせた。
「びっくりしました。でも、先輩に会えて嬉しいです! どうしたんですか、こんなところで」
「それはこっちのセリフだ」
「私はちょっと、学校で習ったばかりの魔術を試してました。私の家、この近くなんです。よかったら上がっていきませんか?」
彼女の笑顔に、心臓が締め付けられる。
「じゃあ、少し」
「本当ですか!? やった! じゃあ案内しますね」
歩き出した彼女の後ろにつき、足を進める。いつもと変わらない彼女を見ていると、さっきの出来事が嘘のように感じられた。
一軒の家の前で、彼女が立ち止まる。
「ここです。さぁどうぞ、入ってください」
扉を開けた彼女に促されるまま、中に入る。
「一人で住むには大きいな」
「元々は母親と、妹もいたんです。二人とも家を出ちゃってどうしてるか分からないんですけど、音沙汰ないのは元気な証拠って言いますしね。まぁ座ってください」
示された椅子に腰かけると、「お茶でも入れますね」と彼女がキッチンへ向かった。家の内装はシンプルで飾り気がなく、生活感もあまりない。部屋中に満ちるユウの匂いがなければ、本当にここで生活しているのかさえ疑問に思うところだ。初めて来る場所、それも異性の家だというのに、とても気分が落ち着く。マサユキは、彼女の匂いが好きだった。
お茶とお菓子を盆に載せ、彼女が姿を現す。目の前に置かれたティーカップから、紅茶の芳醇な香りが上がった。お菓子はスコーンで、いちごジャムも差し出される。
「お好みでどうぞ。マーマレードのほうがいいですか?」
「いや、どっちでも。悪いな」
「いえ、大丈夫です。うっかり作りすぎちゃったんで、食べてもらえるとむしろありがたいです」
「おまえが作ったのか!?」
「はい。ちなみにジャムも自家製です」
ユウが頷く。スコーンを手に取り、ジャムをひと塗りした。それをかじり、紅茶を口に含む。
「どうですか?」
「うん、うまい」
「よかった。先輩の口に合わなかったらどうしようかと思いました」
ユウは笑顔で、マサユキがスコーンを食べるのを見つめていた。彼が全て平らげ、紅茶を飲み干したのを見て、口を開く。
「何があったんですか?」
「何だその質問」
「空を飛んでたのもそうですけど、先輩の表情が、何か悲しそうだったので気になってて」
マサユキが俯く。自分はそんな顔をしていたのか。
「も、もちろん無理にとは」
「弟が死んだ」
「えっ?」
「今の生活に耐え切れなくなって、親父を倒そうとして反撃された。真っ黒に焦げてて、見ただけじゃ誰なのか分かりゃしねぇ」
自分を見つめているであろう彼女は、どんな顔をしているのだろうか。
「弟がいたから、あの城の中でも何とかやってこれたんだ。あそこじゃ、俺と弟は互いだけが味方だった。あいつがいなくなったら、俺はどうすれば」
彼女が近づいてくる気配がする。抱きしめられて、背中を撫でられた。
「つらかったですね。弟さんも、先輩も。大丈夫です、我慢しなくていいんですよ。私しか見てませんから」
彼女の身体を、抱きしめ返す。目に滲んだ涙が、頬を流れた。溢れてくる涙をそのままに、彼女に顔をすり寄せた。ユウは何も言わず、背中をさすってくるだけだ。弟に報いなければならないと張りつめていた気が緩んで、肉親を失った悲しみが胸を満たしてくる。彼女のぬくもりが、ただ心地よかった。
どれくらいそうしていたのか分からないが、マサユキが落ち着いてきた頃に、ユウが口を開いた。
「先輩。しばらく、うちに泊まりませんか」
マサユキが顔を上げる。
「一緒に住もうとは言いません。他に行く場所が見つければ、出ていってもらって構いません。でも今のとこ泊まるところがないなら、ひとまずうちに泊まりませんか。お城にも戻れないでしょうし」
他に行くあてなど、見つかるとは思えない。
「おまえに迷惑をかけるのは」
「迷惑じゃないです。そんなに私とひとつ屋根の下が嫌なんですか?」
不満げな彼女の表情に、口元が緩んだ。
「じゃあ、頼む」
ユウが笑顔になり、首を縦に振る。
「分かりました! 部屋は余ってるので遠慮なく使ってください。あっ、何なら私、寝室ととのえてきますね!」
立ち上がった彼女が、リビングから姿を消す。彼女の背中を見送りながら、不安を覚えた。彼女とはいつまで、一緒にいられるのだろうか。
夜が更け、ユウに示された部屋でベッドに横たわりながらマサユキは考える。弟がいなくなった今、自分には本当にユウしかいない。だがその彼女も、サキュバスとしての自分を拒んでいる以上、いつまで一緒にいられるか分からない。一体、どうすればいいのだろうか。
結局、一睡もできないまま朝を迎えた。リビングで見た彼女は、とても清々しい表情を浮かべていた。
それから、ユウと一緒にいる時間は増えていった。学校の授業では別れるものの、それ以外の時間はほぼ彼女と一緒だった。周りがあることないことを噂しているのが分かったが、どうでもいい。ユウも気にする様子を見せないし、それでいいと思った。
彼女と共に過ごし、彼女の生活ぶりを見ていると、改めてその男っ気のなさが目についた。今でも彼女がサキュバスであることを気にせず接する男友達はいるようだが、その誰もが彼女にとってはあくまで友人であるのだと実感した。朝おきて朝食をとり、学校に行って授業を受け、休み時間などに予習や復習を行いつつ時間を過ごし、家に帰って夕食をとって眠る。彼女の生活はその繰り返しだ。
今のユウは元気に生活しているが、精気を得ていないことがいつ彼女の身体に影響してくるか分からない。もしかしたら無理をしているだけで、既にだいぶ苦しいのかもしれない。何度もそう考えて、彼女を犯し自分の精気を与えるという選択肢が頭に浮かんだ。マサユキを信頼して家に泊め続けている彼女を襲うのは、造作もないことだ。だが彼女を犯したとして、それで彼女が壊れてしまえば意味がない。しかし、今のままでは彼女は少しずつ弱っていくだけだ。それなら、彼女が自分の精気に耐えられる可能性を期待して行動したほうがいいのではないか。
ユウが寝室に入ってから数時間が経った夜中に、マサユキがゆっくりと彼女の寝室に入っていく。彼女は熟睡しているようで、健やかな寝息を立てていた。彼女を起こさないというのは不可能にしても、抵抗できないよう拘束することはたやすい。ユウに手を伸ばしたところで、彼女の口が動いた。
「せんぱい?」
手を引っ込めて彼女を見ると、変わらず寝息が聞こえる。どうやら寝言らしい。果たしてどのような夢を見ているのだろうか。夢の中の自分は、どのように振る舞っているのだろうか。そんなことを考えながら彼女の寝顔を見ていると、脳裏に城で見た光景が浮かんだ。目を見開き手足をひくつかせて、身動きすることも言葉を発することもできなくなったサキュバス達。彼女たちは抵抗することすらできず、父親の魔術でその身を焼かれていった。自分の手でユウを、彼女たちと同じようにするのか。それでは、父親と同じではないか。
彼女から離れ、寝室を出て行く。あどけない彼女の寝顔を壊すことなど、彼にはできなかった。そしてその次の日から、彼女に言うようになった。
「おまえ、狩りはしねぇのか」
「だから、しないって言ってるじゃないですか。なんど言われても、私の答えは変わりません」
サキュバス扱いするなと、彼女の目が訴える。だがそれでも、彼女にそう言う以外、方法が浮かばなかった。
* * * * *
「死んだほうがまし、な」
先ほど聞いた言葉を口にして、小さく息を吐く。まさか彼女の決意が、そこまで固いとは思っていなかった。
自分の命すら懸けるつもりの相手なら、壊してしまうことなど恐れなくていい。少しでも助けられる可能性があるなら、犯してしまえばいいじゃないか。そんな気持ちが湧いてくる。だが同時に、そこまでして守りたい彼女のプライドを自己満足で壊してしまうことに対する抵抗感もあった。けっきょく自分は、彼女に触れられるほど思いきれないのだ。
だから彼女の意思を改めて突きつけられても、自分はやはり彼女に狩りを勧めるのだろう。自分が魔王の息子という立場から逃れられないように、彼女がどれだけ否定しようとも、彼女はサキュバスなのだから。男の精気を得ないと、生きられない存在なのだから。
なぜこれほどまでにサキュバスとしての自分を拒む少女が、その種族に生まれてしまったのだろう。運命は不思議なものだと、マサユキはまた溜息を零した。
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update 2016/1/12