そんな彼らの珍事
いつも身に着けているものを不注意で忘れてしまうというのは、こんなに落ち着かないものなのか。そう考えながら、鹿島遊は学校の廊下を歩いていた。それでも傍目にはいつもと変わらないし、下手に勘付かれるほうが気まずい。なので、周りには気づかれないようにしたいものだ。
溜息を吐きながら、階段の前を通りかかる。その瞬間、駈け下りてきた人間とぶつかった。
「うわっ!」
「わ、悪い……って、鹿島?」
尻もちをついた鹿島が、声のほうを見る。そこには、演劇部部長の堀政行がいた。
「堀先輩」
「おまえでも転ぶことあるんだな」
「そりゃありますよ! あんなに勢いよくぶつかられたら尚更です」
「悪い悪い」
しゃがんでいる堀の視線が、鹿島の顔から下がっていく。ある一点を見つめられ、鹿島が身じろぎした。
「あの、どこ見てるんですか」
堀の視線の先、脚の間をスカートで懸命に隠す。だが、彼の目はそこから動かない。
「おまえ、短パンは?」
「いやー、うっかり履き忘れちゃいました。習慣になってることでも、忘れてしまうことってあるんですね」
「へぇ」
鹿島の苦笑にも目もくれず、堀がスカートで覆われたそこを見る。
「それにしてもおまえ、意外とかわいいの履いてるんだな。薄いピンクか」
「わああああぁぁぁ!!」
悲鳴を上げた鹿島が、立ち上がり走り去っていく。堀はその背中を、ただ不思議そうに見つめるだけだった。
鹿島が二年G組の教室に駆け込む。自分の席に座ると、机に突っ伏した。
「お、おい鹿島。どうしたんだ?」
御子柴実琴が、訝しげな目を彼女に向ける。
「……られた」
「えっ?」
「堀先輩に下着みられた! 私もう嫁に行けない!!」
「なっ、えぇっ!?」
御子柴が目を見開いた。
「おまえ嫁に行く気あったのか!?」
「つっこむとこはそこなの!?」
顔を上げた鹿島が、涙目で御子柴を見る。御子柴は、気まずそうに顔を逸らした。
「冗談だって。それにしてもおまえ、短パン忘れたとは言ってたけど、どうやったら見られるような状況になるんだ。そんなにスカート短くねぇし、階段を上がってて見えたってこともねぇだろ」
「階段、階段ねぇ」
鹿島が溜息を吐く。
「それがね、階段の前を通ろうとした時、堀先輩が駈け下りてきてぶつかったんだよ。その拍子に転んでさ、見えちゃったわけ」
「ああ、なるほど」
「さっきはついあんなこと言っちゃったけど、見えたの自体は仕方ないと思うよ。堀先輩だって好き好んでぶつかってきたわけじゃないんだし、完全な事故なんだから。でも、見えたことを私に報告する必要ある?」
「報告されたのか?」
「色を言われた」
鹿島が、今度は両手で顔を覆った。御子柴が真っ青になりながら彼女を見る。一体、この状況でどんな言葉を返せというのか。しばらく考えて、何とか御子柴が口を開く。
「そういや、堀先輩この階に何の用があったんだろうな」
「えっ? そういえば何だろ」
ふたり揃って首を傾げる。部活のことで何か伝達でもあったのなら、鹿島にメールが届くか彼自身がこの教室を訪れることがありそうなものだが、今のところその気配もない。二年の教室が並ぶこの階に、三年生の堀がどういった用事があるのだろうか。思考していたが、結局ふたりには分からなかった。
その頃、堀は二年B組の教室の前にいた。長身の野崎梅太郎と向き合い、話しこんでいる。
「今回は随分と内容の指示が細かいですね」
「ああ。この劇はちょっとこだわりたくてな」
「分かりました。いま先輩が言った内容で考えます」
メモ帳にペンを走らせる野崎に、堀が頷く。
「助かる」
メモを終えた野崎は、メモ帳を閉じると堀を見た。
「ところで先輩。前から疑問だったのですが、どうして鹿島にはアシスタントのことを内緒にしてるんですか?」
見た目に反して少女漫画家の肩書きを持つ野崎は、それを周囲に隠していない。自分のアシスタントであることを堀が伏せるメリットも、特に感じなかった。
「俺がおまえのアシスタントをして、わざわざ王子が主役の台本を書いてもらってるなんて知ったら、鹿島が気に病むだろ。いちばん尊敬している先輩が、自分のためにそんなことをしてたなんてって」
「そうですかね」
むしろ、話したほうが鹿島からの好感度が上がるような気もしたが、野崎はそれを言わなかった。
「鹿島と言えば、さっきあいつには悪いことしちまったな。あんな思いきりぶつかっちまって」
「何でまたそんなことに」
「今回の劇の内容を、この時間でおまえに伝えきるために、急いできたから」
「わざわざそんなことせずに、俺の家で話してくれてもよかったのですが。今回みたいに、内容が多いなら尚更」
「少しでも早く書いてもらって、鹿島に演じてもらいたいからな。時間が惜しい」
野崎が肩をすくめる。
「分かりました。ではなるべく早く書き上がるよう努力します」
「頼んだぞ。じゃあ、俺はそろそろ教室に戻るから」
「はい。お疲れ様です」
堀が踵を返し、野崎の元から去っていく。野崎はそれを見送って、メモ帳に目を落とした。
「鹿島。この間は悪かった」
堀の謝罪に、鹿島が目を丸くした。
「この間って?」
「ほら、階段でぶつかっただろ」
「それはもう謝ってもらったじゃないですか」
「おまけにパンツも見ちまって」
「そっちは気にしてないです。事故なんで」
それよりもっと他にあるだろう。そう思う鹿島の前で、堀は気まずそうに頭を掻くばかりだ。
「堀先輩。その、下着が見えた時、正直どう思いました?」
「どうって、ラッキーだと思ったけど」
「訊くんじゃなかった」
鹿島が片手で顔を押さえる。
「いいですか、先輩。私だって一応は女子です」
「それくらい分かってる」
「女子の下着がうっかり見えても、見ないふりをするのがせめてものマナーだと思うんですよ。例えば、千代ちゃんのスカートが風でめくれて下着が見えちゃったらどうします? それ千代ちゃんに言いますか?」
「言わねぇよ。セクハラじゃねぇか」
「私が相手でもセクハラです」
不思議そうに首を傾げる堀に、鹿島は頭痛を覚えた。
(もしかしてこの人、私のことを女として認識してない? でもこないだカフェで付き合うとか何とか言い出したりしたし、さっきラッキーって……ああもうこれは忘れよう)
そんなことを考える鹿島を眺めていた堀が、彼女の手首を掴んだ。
「堀先輩?」
「悪い、気づかなくて。俺が思っていた以上に、おまえはパンツを見られたことを気にしてたんだな」
「だから、見られたことじゃなくて」
「鹿島、おまえのパンツを見たことは責任を取る。結婚しよう」
手を握りながら告げられた言葉に、鹿島が硬直する。堀が真っ直ぐ彼女を見つめていると、やがて目を見開いて後ずさった。
「な、ななななに言ってるんですか!!」
「えっ、そういうことじゃねぇのか?」
「違いますよ!!」
一体、どう転べばそういう結論に辿り着くのだ。
「まず私たちまだ高校生ですし、そもそも付き合ってすらいないじゃないですか!」
「じゃあ付き合うか」
「結局そこですか!? 何でそんなに私と付き合いたいんですか!?」
「何でって、結婚する前段階として必要なんだろ? おまえの考えとしては」
「どうしてそうなるんですか!? もうやだ! 何でそんなに話が通じないんですか!」
それでも、普通にしていれば彼も格好いいのにという思いが捨てられない辺り、自分も相当なものだろう。そう考えながら、鹿島が涙ぐむ。
「鹿島おまえ、あのことが泣くほどショックだったんだな。安心しろ、ちゃんと責任は果たす。ぜったい浮気したりしねぇから」
自分の手をまた握り、妙な方向に盛り上がる堀へ反論する気も起きず、鹿島はただうなだれた。
----------------
update 2015/10/28