合戦の行方
モブ死があります。
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堀家の家臣たちが確認した結果、やはり坂井家の火事は三田家によるものだった。緊張した状態が長引く中で、歩み寄る姿勢を見せない坂井家に焦れていったのだという。坂井家は当主も跡継ぎもみんな無事であったものの、三田家のやり方にたいそう立腹しており、もはや戦は避けられない状態だ。
「三田も坂井も、この機に決着をつけてやるって張り切ってるみたいだ。体制を整えた上で、改めて場所も決めてやり合うらしい」
「街中で暴れられても困るし、そっちのほうがいいな」とぼやく政行に、遊が身体を固くする。分かっていたことだが、やはり聞いていて気持ちのいい話ではない。
「うちが参戦するかは、状況によるな。三田があまりにも不利になるようなら、ってとこか」
「おまえ様。それなんですけど、本当に堀が戦うとしたら三田の側につくんですか?」
政行が宙を仰ぎ、少し考えた。
「そうなるだろうな。でも、おまえの言いたいことは分かる。この間の奇襲はまずかったな。街のど真ん中だったし、延焼での被害も出た」
「はい。いくら三田にお世話になってても、あれはさすがに」
「ああ、どう頑張っても擁護はできねぇ。でもだからって坂井につくかというと、そう単純な話でもねぇよ」
「えーでも、三田のやり方はよくないってことでみんな坂井についたら、物量の差で一気にかたがつくんじゃ」
政行が眉間にしわを寄せ、額を押さえた。
「それが通用するなら、世間に義理なんて言葉はねぇだろ。そりゃ、決着をつけるのを優先するならそれがいいんだろうけどな。あの件については、野崎んちが巻き込まれる寸前じゃあったけど、結局なんともなかったし」
「あの時は冷や冷やしましたよね。野崎は家や命より、絵の心配してましたけど」
「あれは、あいつらしいというか何というか」
絵巻物と筆を抱えて真っ青になっていた野崎梅太郎の姿を思い出し、揃って溜息を零す。火災の話を聞いた佐倉千代が梅太郎以上に血の気を失い、梅太郎は本当に怪我ひとつないのかと何度も確認してきたのは記憶に新しい。
「やっぱり、友人が巻き込まれかけたからってことでここは一つ」
「あのな、遊。分かってるのか? うちの動向を決めるのは父上だ。俺としては正直どっちについてもいいし、何ならおまえの言う通りの理由で坂井側に寝返っても構わねぇ。でも、父上は納得しねぇだろ。父上はずっと、三田と懇意にしてたんだ」
遊が唇を尖らせ、視線を逸らす。
「分かってますよ」
「本当か? 大体、今回ですぐ決着がつくかも分かんねぇぞ。例えば片方が撤退して、もう片方がそれを追わずに引き下がったりしたら、また落ち着いた頃に両家が争い始めるだろう」
「分かってますってば」
政行が呆れたように肩をすくめた。
「何にしても、情報がねぇことにはどうしようもねぇけどな。両家の動向を探ってる家臣たちからの報告を待たねぇと。あいつらだけでけりがつくなら、それが一番いいんだが」
「そうですね」
決着がついたとして、それで両家はどうなるのだろうか。堀家は、一体どうするのだろうか。
「おまえ様。万が一の時は、今ある武器で足りますか? 何なら私の薙刀を」
「いや、それはおまえが持っとけ。じゃねぇと、護身も何もあったもんじゃねぇだろ。武器ならなじみの鍛冶屋に頼んでる」
「間に合いますか?」
「できるだけ早くこさえるとは言ってた。まぁ三田と坂井の戦力に大きな差はねぇし、戦が始まったところで、一日や二日で大きく戦況が変わることもねぇだろ」
それならば、彼を送り出す心構えをする時間もあるかもしれない。そう考えながら、遊が息を吐いた。
三田と坂井が、国境にほど近い山の奥で交戦を始めた。堀家の家臣の一人が、そう報告してきた。
「始まったか」
政行が呟く。その隣で、遊が眉を寄せた。
「随分と早いですね。あの火災から十日も経ってないのに」
「いいじゃねぇか。どうせやるなら、さっさと終わらせてもらったほうがいい」
「そりゃ確かに、いつ始まるか分からずにじれったい状態が続くよりいいかもしれませんけど。何か実感が湧きませんね」
「うちが参戦するようなことにでもならねぇ限りは、それも無理ねぇよ。特におまえは今まで、戦なんて縁なかったんだし」
「……はい」
硬い表情の遊に、政行が肩をすくめる。彼女の頭に手を置くと、髪を撫で始めた。
「あまり気にすんな。仮に参戦したところで、普通に生活してるよりは少し死ぬ可能性が高くなるかもってだけだ。別に戦場に行かなくたって病気になることもあるし、事故で命を落とすかもしんねぇし、何があるか分かったもんじゃねぇ」
「それは、そうかもしれませんけど」
実際の戦場がどのようなものか、遊には想像がつかない。恐らく、実際に見ることもないだろう。だが少なくとも、彼が言うほど楽観視できるものではないとは感じている。
「不安か?」
「まぁ、多少は」
「そうか。そうだよな」
万が一の時でも、きっと彼は自分との約束を守ってくれる。遊はそう信じているが、やはりその時が来ないでほしいと願わずにはいられなかった。
「何にしても、今後の戦況によるな。しばらくは様子見だ」
「はい」
遊が頷く。考えてみれば、堀家が関わるかどうかに関係なく、戦が起これば死者が出ることは避けられない。どう転んでも、いい方向に事態が進むということはないだろう。負けたほうの家が断絶することもありえるかもしれない。
「おまえ様。何で戦いなんて起きるんでしょうね」
「そんなの知るか。学者にでも訊け」
つれない返事に、遊が俯いた。両手を握り締め、彼女が立ち上がる。
「私、薙刀の稽古してきます」
「ああ、分かった」
部屋を出て廊下を歩きながら、遊が息を吐いた。いま不安なのは、自分だけではない。みんなが明日どうなるか分からない状況に焦れている。だから、政行にいらない心配を与えたくない。自分を最高の妻だと言ってくれた彼に応えたい。
薙刀を持ち出して庭に出て、巻藁を用意する。家の者がたびたび入れ替えているので、いつ見ても真新しい巻藁ばかりだ。自分が切り裂いたものは一体いつ、どのように処分されているのだろうか。そう思いながら遊はたすきを掛け、薙刀を中段に構えた。
この日の夜も、遊と政行は閨で身体を重ね、寄り添い合っていた。少し前まで当たり前のように感じていたそれが、今はとても得がたいものに思える。
「おまえ様、もっとしてください。もっと、おまえ様を感じさせてほしいんです」
「へぇ、言うじゃねぇか。いいぞ、覚悟しろよ」
政行の手に触れられることが、遊にはとにかく嬉しかった。この感触を、失いたくない。
「おまえ様、そこ、もっと」
「ああ、たっぷりかわいがってやるよ。遊」
近いうちに、このように抱き合うこともできなくなるかもしれない。その時に離れがたくならないようにしたほうがいいと思いつつも、止まらない。いやむしろ、子を残そうとする本能を考えれば、余計に激しく求め合うのは必然かもしれない。だが、理由が何であろうと二人には関係なかった。
「遊、もっと欲しいか?」
「はい。たくさんください」
いま目の前にいる相手が欲しい。それだけが、彼らにとっての事実だ。熱を奪い合い、相手を感じ合えれば、それでいい。そう思いながら、唇を寄せ合い互いの手を握り締めた。
三田と坂井の争いは三日三晩のあいだ続き、両者とも少なくない死傷者を出した。その時点でどちらの家も、撤退し態勢を整えることを考えた。しかし、他の武家が援軍を出したことで引っ込みがつかなくなり、三田も坂井も疲弊したまま戦いを続けている。このままでは、両家が共倒れになるのも時間の問題だ。
「この戦は、決着がつくまで終わらないだろう。三田と坂井の両家が終えたがっていても、援軍がそれを許さない。ならば一刻も早く決着がつくよう、我々も馳せ参じよう。不毛な戦を長引かせ、優秀な兵の犠牲を増やすわけにはいかない」
初老の堀家当主の発言に、家臣たちが真剣な面持ちで頷く。
「政行。遊を置いて戦場に行くのは落ち着かないだろうが、おまえにも堀家の嫡男として、がんばってもらいたい」
「父上、家族を残して戦場に行くのは私だけではありません。ここにいる者たちにも、妻や子があります」
「うむ、確かにそうだ」
当主が顎にたくわえたひげを撫でる。
「おまえ達も知っての通り、かねてから私は三田と親しくしていた。街中で火を放ったことについては思うところもあるが、だからといって三田を切るのは私には難しい。我々は三田の援軍として参戦する。坂井を取り潰すことも辞さずに戦ってほしい」
家臣たちの表情がより硬くなった。「取り潰す」という言葉が、彼らの心に重くのしかかる。
「私からは以上だ。準備が整い次第、出立する」
当主が膝を打つと、家臣たちが威勢よく了承の返事をして立ち上がった。そしてそれぞれ分かれて、農民の徴兵を行ったり馬の手入れをしたり、今ある武器を見直している者や女中たちと兵糧の準備を行う者もいる。遊も道具や食料の用意に追われ、慌ただしく時間が過ぎていった。
準備が整うと、息を吐く間もなく揃って馬に乗りこんでいく。出立する面々を見送りにきた遊は、馬上の政行を不安そうに見上げた。
「おまえ様」
振り返った政行が微笑む。
「こういう体勢って新鮮だな。いつもおまえを見上げることが多いし」
政行が手を伸ばし、遊の頭を軽く叩いた。
「行ってくる」
「はい」
遊が政行の手を取り、自分の両手で握り込む。
「ご武運を」
「ああ。すぐ戻ってくる」
二人の手が離れ、政行が前を向く。その後ろ姿を見上げる遊は、少し泣きそうな表情だ。
「皆の者、準備はいいな?」
「はい!」
揃って返ってきた声に、当主が首を縦に振った。
「よろしい。ならば、出陣だ!」
当主が馬を走らせる。声を張り上げて彼の言葉に答えながら、他の者たちも進み始めた。その様子を、遊だけでなく当主の妻や女中たちも心配そうに見つめている。
遠ざかる彼らを見送りながら、遊は自分の手を握り込み、政行の無事を祈った。
堀家の一行が戦場に着いた頃には、辺り一面が屍で埋め尽くされていた。生きている人間はほとんどおらず、いても疲弊しきっていて敵に切りかかる余裕もない。
「ただ二家の間のそりが悪いというだけで、このようなことになるとは」
当主が呆気にとられながら呟く。だが、この状況であれば坂井側の人間にとどめを刺すのもたやすい。これならほとんど兵力を使わずに戦いを終えられるだろう。誰もがそう考えた時、
「お、お館さま! あれを!」
家臣の一人が声を上げる。そちらへみんなが目を向けると、到着したばかりの軍隊が見えた。
「坂井の援軍か!」
全員が身構える。相手の軍隊も敵の増援に気が付き、腰の刀に手をかけた。どうやら、彼らをどうにかしないことには帰れないようだ。政行は溜息を吐きながら、刀を抜いて前方の軍隊を見据えた。
同じ頃、堀家の屋敷には佐倉千代と御子柴実琴が来ていた。遊と向き合って座る二人の表情は真剣そのものだ。
「だから、堀さんが帰られるまででいいんです。その間だけでも鹿島の家に」
「いやー、それはちょっとなぁ。あの人が帰ってきた時に、私が留守じゃしょうがないし」
「ここにいたら危ねぇかもしんねぇって言ってんだろ」
「何で? 敵だって堀の屋敷を襲う気力があるくらいなら、それを戦に向けるでしょ? ここが狙われるようなことはないって」
意地でも動こうとしない遊に、千代と実琴が焦りを見せる。
「私たちは遊さんが心配なんです」
「それはよく分かるよ。気にしてくれてありがとう。でもやっぱり、あの人が帰ってきたら、ちゃんと私が出迎えてあげたいしさ」
「俺たちだって、おまえの気持ちは分かるんだよ。でも、何かあってからじゃ遅ぇだろ」
「むしろ、その何かを警戒するなら、余計に私が残ってたほうがいいと思うよ。男性はみんな出陣しちゃったし、奥方さまも女中さんも武器の扱いとか分からないからね。私はあの人から薙刀を教わってるし」
遊の返答に、千代と実琴が肩を落とした。余計なおせっかいであることは二人も承知していたが、ここまで取り合ってもらえないとは思わなかった。
「遊さん、どうしてそこまで」
「そりゃ私は、今後の堀家を背負っていく人の、堀政行さんの妻だからね。あの人が戦ってるのに、私が実家に逃げ帰るわけにはいかないよ。まぁでもせっかく来たんだし、囲碁でもやろうよ御子柴」
「……いや、そんな気分じゃ」
実琴が小さく答えた瞬間、ふすまの向こうから女中の声が届く。
「お嬢ちゃん、野崎さまがお見えですよ」
「えっ、野崎さん!?」
千代のほうが反応し、遊を引っ張って外に向かった。その後を実琴が追いかける。
「野崎さん!」
「ああ、佐倉に御子柴も来てたのか」
野崎梅太郎の前で立ち止まった千代が、嬉しそうに彼を見上げた。
「遊さんにご用ですか?」
「いや、俺は道案内だけだ」
「道案内?」
三人が首を傾げると同時に、梅太郎の後ろから女性が顔を見せた。
「よっ、千代」
「ゆ、結月さん!?」
「俺もいます!」
「若松くんまで!?」
「何でこいつらが堀家に!?」
驚く三人の前に瀬尾結月と、彼女の背後にいた若松博隆が並ぶ。
「うちの商売は貴族相手が主で、武士と関わることがほとんどねぇからな。いちど武家屋敷ってのを見てみたくて」
「俺は、瀬尾さんの歌が聴けるならどこへでもついていきます」
「本当なにしに来たんだおまえら」
実琴のつっこみを無視し、結月が遊を見た。
「あんたが鹿島の長女だよな。男装してたっていう」
「うん、初めまして。今は嫁いでるから、堀遊って名前なんだ。よろしくね」
「ああ、こっちこそ。私は瀬尾結月だ。よろしくな」
遊と結月が握手を交わす。結月が屋敷を見上げ、「これが武家屋敷か」と感心したように呟いた。
「中、見てみる?」
「いいのか?」
「俺もいいですか? 武家のお屋敷に上がることってないですし」
「いいよー、上がって。野崎もお茶くらい飲んでく?」
「俺か?」
梅太郎が視線を動かす。期待するように彼を見る千代と目が合うと、頷いた。
「そうするか」
千代が瞳を輝かせる。そんな彼女を微笑ましく感じながら、遊が家の中へ戻った。その後に続き、五人が中に入っていく。全員で家の内部を歩き回り、結月や博隆にそれぞれの部屋について説明していく。一通り家の中を見ると、客間に座りみんなで茶を啜った。
「前も見た千代ちゃんや、武士の野崎には退屈だったと思うけど」
「そんなことないですよ。やっぱり貴族のお屋敷とは違いますし、新鮮で楽しいです」
微笑む千代の右で、結月が団子を頬張っている。千代の左に座る梅太郎が、手元の湯のみに目を落とした。
「やっぱり堀さんがいないと寂しいな」
「そうだね。早く帰ってきてくれるといいんだけど」
「ちゃんと帰ってくるのか?」
「結月さん! 縁起でもないこと言わないでください!」
千代が青い顔で結月を見る。
「悪い悪い」
「本当に悪いって思ってんのか?」
実琴が顔をしかめた。彼に視線を向けられ、遊が笑う。
「大丈夫だよ。帰ってくるって約束してくれたから。誰が何を言おうと、あの人は約束を破ったりしないって、私は信じてるよ」
「でも、本当に絶対に、何があってもそいつが約束を守る保証はあんのか?」
「私に、その時のための心構えが足りないって言いたいのかな?」
笑顔のままの遊に、結月が両肩を上げる。
「それは私が判断することじゃねぇよ。ただ、もし本気でその可能性を考えてねぇなら、ちょっとやべぇなって思っただけで」
「まさか。肝心の三田と坂井がそうとう損害を受けてるといっても、そこまで甘いもんじゃないでしょ。でもさ、あの人がくれた約束を、私が信じないで誰が信じるの?」
遊と結月が視線をぶつけ合う。しばらく互いを見た後、結月が息を吐いた。
「悪い。言いすぎた」
「いや、別に気にしてないよ。でも悪いって思ってるならさ、お詫びに歌でも聴かせてよ。すごく上手いんだってね」
「えっ、瀬尾さんの歌ですか!?」
茶を啜っていた博隆が食いついたことに、千代が苦笑する。
「別に、言われれば普通に詠むけどな。どの歌がいいかな」
「そうだなぁ。君がどういう歌を知ってるかにも」
遊が言葉を止め、口元を押さえる。その顔は、先ほどの千代以上に青い。
「どうしたんだよ鹿島!?」
「遊さん!? 気分わるいんですか!?」
千代と実琴が駆け寄り、千代が遊の背中をさする。
「何の騒ぎですか!?」
慌てて走ってきた女中が、遊を見て駆け寄ってきた。遊をすぐに手水場へ連れていき、吐いている彼女の背中を撫でる。
「そういえばお嬢ちゃん。ご気分が悪い時に訊いて申し訳ないんですけど、さいきん月のものは来ましたか?」
あるていど戻して落ち着いた遊が、女中の質問に考え込んだ。
二十日以上も続いた戦は、三田と坂井の両方が当主も跡継ぎも失うという結果に終わった。この戦の根本的な原因を知ることが叶わないまま、残った者たちは戦場を後にする。一体、最初に亀裂が生じたのはいつのことで、どういった理由だったのだろうか。
「戦が終わったって話は聞きますけど、うちの人たちはなかなか帰ってきませんねぇ」
女中の一人が、洗濯物を干しながら呟く。隣の遊は、干された着物を見上げて小さく息を零した。女ものの着物しかない洗濯物は、もう見飽きた。
また溜息を吐こうとした時、微かに蹄の音が聞こえた。近づいてくるその音に、遊も女中も振り返る。音を聞きつけたのか、他の女中や当主の妻も家の外に出てきた。遊は手にしていた洗濯物を急いで干すと、門へ足早に向かう。
遊が着いた瞬間、門が開く。そこには、身体のあちこちに包帯を巻きながらも、馬を引き連れて歩く政行がいた。
「ただいま、遊」
優しく微笑む彼に、滲んだ涙を拭った遊が笑ってみせる。
「お帰りなさい、おまえ様」
政行の後ろから、家臣たちも現れた。出立した時より人数が減っていることに、場の女たちは複雑な表情を浮かべる。
「政行、よく帰りました」
「母上」
近づいてきた当主の妻に、政行の顔が曇った。
「母上、その」
「分かっています。お館さまのことでしょう」
「はい」
遊はその会話でやっと、当主の姿がないことに気がついた。
「父上は、坂井の援軍の武将と相討ちとなりました。立派な最期でした」
「……そうですか」
俯いた当主の妻に、政行が懐から取り出したものを渡す。
「父上のご遺髪です。少ししか持ち帰れませんでしたが」
当主の妻が遺髪を受け取り、握り締めた。
「おまえ様、よくがんばりました。お帰りなさいませ」
声を震わせる当主の妻を、周りの者たちが沈痛な面持ちで見つめる。そんな中、彼女は顔を上げると、政行を真っ直ぐ見た。
「政行。お館さまが亡くなったとなれば、今後この堀家を担うのはあなたです。今日から、あなたが当主としてみんなを導いてください」
「私が、ですか」
「そうです。他に誰がいるというのですか。異論のある者はこの場にいませんよ」
政行が家臣たちを見渡す。家臣たちが一様に頷いたのを見て、母親に向き直った。
「分かりました。今日から当主としての自覚を持ち、誠心誠意つとめてまいります」
政行を見つめていた遊が、彼の腕を引く。
「あの、おまえ様」
「ん? どうした、遊」
「あのですね。多分なんですけど、その、できたみたいです」
政行が目を丸くする。遊は自分の腹をさすってみせ、彼に笑みかけた。政行が彼女の腹へ目を落とし、また彼女の顔を見る。
「そうか。遊、よくやった」
「いやー、多分ですけどね」
照れくさそうに笑う彼女を、政行が抱きしめる。遊も彼を抱き返し、彼の肩に頭を乗せた。
「これからもよろしくお願いしますね、おまえ様」
「ああ、もちろんだ。こちらこそよろしくな、遊」
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update 2015/10/8