熱烈な月夜
本文中に出てくる「天火明命」は「あめのほあかりのみこと」と読みます。
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娘を嫁に出したくない。そんな父親のわがままのために、男として振る舞うことを求められた公家の姫がいた。その感覚は公家の中では異端で、母親も当然よい顔はしなかった。だが彼の意見を退けることはできず、姫は家の長男として世間を渡ることとなった。後に夫となる人物に女と知られ、見初められるまでは。
男としての立場を捨て、武家へ嫁いだ姫――遊は、閨の障子を僅かに開けて空を見上げていた。ほの明るく辺りを照らす満月が、まるで自分たちを見守ってくれているように思える。既に家の者は床に就いており、物音ひとつ聞こえない。彼女も本来であれば眠っているはずだったが、完全に目が冴えていた。月を見たまま、溜息を小さく吐く。柔らかな光に優しさを感じる月だが、冷たい印象を受けると言う者もいる。そんな月を最初に女性に例えたのは誰なのだろう。
「眠れないのか」
声に振り返ると、夫の政行と目が合った。
「すみません、起こしちゃいました?」
「いや、たまたま目が覚めただけだ。おまえ、たまにこうやって月を見てるよな」
「やだなぁ、気づいてたんですか? 早く言ってくださいよ。恥ずかしいじゃないですか」
遊が笑顔を浮かべる。政行は身体を起こすと、彼女の背後につき空を見た。
「いつも月を見てる時、なに考えてるんだ?」
「大したことじゃないですよ。太陽は男性、月は女性に例えられたりするじゃないですか。武家でも戦場に行くのは男性で、女性は男性が戦で活躍できるよう支える影の存在ですよね。でも私は、そんな月のような女になれるのかなって」
政行の目が遊を捉える。
「確かにおまえ、月って感じじゃねぇよな。よく表情が変わって騒がしいし」
「えー、何ですかそれ」
「おまえが笑ってると安心できるし、家が明るくなるんだよな」
遊が目を丸くした。
「そうですか?」
「ああ。おまえが来てから、うちの空気が変わったよ。いい方向に」
照れ笑いになった彼女の腰を抱き、引き寄せる。
「別にいいんじゃねぇのか、うちの太陽はおまえってことで。無理に月になる必要ねぇよ」
「私ですか? おまえ様じゃなくて?」
今度は政行が目を見張った。
「なに言ってんだおまえ」
「私から見れば、おまえ様の方こそ輝いてますよ。生気がみなぎっているといいますか」
赤い頬のまま笑う遊は楽しげだ。
「そうか?」
「はい。私にとっての太陽はおまえ様です。そんなおまえ様を、陰で支える存在でいたいと思っています。だから私は、月になりたいんです」
遊が政行を見つめる。その視線を受け、彼は口元を緩めた。不審げに首を傾げる彼女に、政行が笑い声を立てる。
「おまえほど月が似合わねぇ奴いねぇよ。毎日さんざん薙刀を振り回しておいてよく言う」
「ひどい! 最初に言い出したのおまえ様なのに!!」
「勧めるだけ勧めといてこの仕打ちですか!?」と喚く遊の頭を撫で、腕の中に閉じ込める。拗ねる彼女の頬をつつくと、政行の腕から逃れようとした。
「そんなのでごまかされませんよ!」
「悪い悪い」
「本当に悪いって思ってるんですか!?」
暴れる遊を押さえつけ、口づけする。動きを止めた彼女の唇を軽く吸い、離れた。
「あまり騒ぐと家の者が起きるぞ」
遊が不服そうに政行を見る。
「それはすみません」
目を逸らした遊に肩をすくめる。彼女の前髪をひと房つまみ、唇を落とした。
「本当におまえ、見てて飽きねぇな。やっぱおまえが月っていうのだけは、天地がひっくり返ってもありえねぇわ」
「……さすがに大げさじゃないですか?」
「そうか?」
遊がまた政行へ目を向ける。
「あと私、おまえ様こそが太陽だっていうのは譲る気ありませんから」
「まだ言ってんのかよ」
「当たり前です。おまえ様が折れるまで何度でも言います」
「何で俺が折れねぇといけねぇんだ。こっちだって引き下がるつもりはねぇぞ」
顔を見合わせた二人は、そのまま視線を交わし合った。どちらも目線を外すことなく、相手を真っ直ぐ見据える。そうしてどれほどの時間が経ったか分からなくなった頃、同時に噴き出た。ひとしきり笑うと、揃って再び月を見る。
「光があれば影もあるってよく言うけど、太陽ばかりってのも悪くねぇかもな。すげぇ暑苦しいが」
「寒いよりいいじゃないですか」
「言えてるな。ところで遊、寒いといえば、今はどうだ?」
「そう言われれば、夜風に当たってるうちに身体が冷えてきた気がします」
互いの顔を再度みる。相手の瞳に宿る熱を確認した二人は抱き合い、布団の上に身体を倒した。横たわった遊の上に、政行が覆いかぶさる。
「そういや、太陽神は女だよな」
「天照大神のことですか? でも天火明命っていう男の太陽神もいるんですよ」
「へぇ、初めて聞いたな。けどそれならなおさら、どっちも太陽で問題ねぇんじゃねぇか?」
遊の手をとり、滑らかな手の甲に口付ける。
「おまえの存在がどれだけ俺を熱くさせてるか、教えてやるよ」
顔を覗き込まれた遊は、不敵な笑みを浮かべた。
「むしろこっちこそ、おまえ様がいかに激しくきらめいているか分からせてみせます」
政行が口角を上げる。
「いい度胸だな。覚悟しろよ、遊」
「望むところです。きてください、おまえ様」
遊が脚を開く。その隙間に潜り込んだ政行の手が、寝間着の懐から彼女の胸元に差し入れられた。
夫婦の熱い夜は続く。それを見ているのは、夜空に浮かぶ満月だけ。
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初出 2015/6/14(別冊ラブロマンス3無料配布冊子)
update 2015/6/16