珍客な少女 | Of Course!!

珍客な少女

 武家である堀家の一室で、遊が息を吐く。夫である政行は所用で家を空けており、家事もやるべきことは一通りやってしまっている。家の当主から好きに読んでいいと言われた書物もあらかた読み終え、暇を持て余している彼女は、小さな机に肘をつきまた息を零した。日課である薙刀の練習を一人で行おうかとも考えたが、政行に稽古をつけてもらわないといまいちやる気が出ない。早く彼が帰ってこないものだろうか。

 きょう何度目になるか分からない溜息を漏らした瞬間、「お嬢ちゃん」と部屋の外から声が聞こえた。障子を開けると、年配の女中が座っている。

「お嬢ちゃんにお客さまですよ。佐倉さまとおっしゃる、かわいらしいお嬢さんです」

「えっ、それって千代ちゃん!?」

 女中に礼を告げ、遊が走り出す。玄関に辿り着くと、小柄な少女が立っていた。

「お久しぶりです、遊さん」

「千代ちゃん! ほんと久しぶり!」

 頭を下げた少女に遊が駆け寄る。少女――千代は顔を上げて微笑んだ。

「お元気そうで何よりです」

「千代ちゃんも変わりないようで安心したよ。一人で来たの?」

「野崎さんに送ってもらいました。用事があるからって、もう帰ってしまったんですけど」

 嬉しそうな千代に、遊も顔をほころばせる。

「そっかー、よかったね」

「あれ、客か?」

 千代の背後から聞こえた声のほうに、ふたり揃って視線を向ける。そこには、遊の夫である政行がいた。

「あっ、おまえ様お帰りなさい」

「おまえ様?」

「うん。武家じゃ旦那さんはこう呼んだほうがいいんだって」

「それじゃ、この方が堀家のご嫡男ですか?」

 慌てて千代が深くお辞儀をする。

「初めまして。私は鹿島家に仕える女房の娘で、佐倉千代と申します」

「女房って、女中みたいなもんだっけ」

「まぁ、そういう認識でいいですかね。一歳しか違わないのもあって、昔からよく遊び相手になってくれてた子です」

「遊のほうが年上か?」

「そうですけど、まさか背丈だけで判断してませんよね?」

 遊が苦笑する。政行が振り返ると、真っ直ぐ見つめてくる千代と目が合った。

「せっかく来たんだし、上がってくか?」

「いいんですか?」

「ああ。大したもんはねぇけどな」

「いえ、遊さんの今のおうちがどんな感じか楽しみです」

 嬉しそうに笑う千代を招き入れ、三人で家の中を歩き回る。家の造りや部屋を見ながら、千代が目を輝かせた。

「わー、すごいですね。こんな広い武家屋敷はじめて見ました」

「武家屋敷そのものは見たことあるのか?」

「はい。武士の方で、絵がお上手で貴族とも交流がある方がいて、その方のおうちに」

「それってもしかして、野崎か?」

「あれっ、おまえ様と野崎って知り合いなんですか?」

 遊が首を傾げる。

「まぁ、一応」

「そっか、武士同士ですもんね」

 納得したように遊が頷いた。

「あいつが貴族と付き合いがあるのは俺も知ってたけど、おまえ野崎と仲いいのか?」

「悪くはないと思いますよ。でも私より千代ちゃんが」

 二人で千代に目を向けると、彼女の頬が赤くなる。その反応に、政行も彼女の恋心を察した。

「へぇ、あいつも隅に置けねぇな。あんな仏頂面にも恋人が」

「ち、違います! 恋人じゃないんです!!」

 耳まで真っ赤になった千代が首を激しく左右に振る。その勢いに政行が目を丸くすると、千代が照れくさそうに俯いた。

「できれば、その、そういう関係になれたら嬉しいなって思ってはいます。でもなかなか、気持ちをうまく伝えられなくて」

「……そうか。それにしても、あの野崎に仲がいい女子がいるとはな」

 政行の脳裏に、無表情な野崎梅太郎の顔が浮かぶ。彼は悪い人間ではないが、お世辞にも異性の目を惹く男とは思えない。現に今まで一度も、彼の浮いた噂を聞いたことがなかった。

「まぁ、人によって異性の趣味もいろいろだしな」

「それは、野崎さんに男性としての魅力がないって言いたいんですか?」

 千代が眉を寄せる。

「いや、その、そういう意味じゃなくて、女っ気ない奴だから意外だなって思っただけだ」

 困った顔の政行に、遊が笑みを零した。

「でも、異性の趣味が人によって違うのは本当ですよね。私なんて娶ろうと思うのはおまえ様くらいでしょうし」

「おまえの場合は男のふりをしてた時点で、趣味がどうこうって話じゃねぇだろうが」

「それもそうですけど、女だって分かってても同じですよ。女にしては背が高いし、胸も全然ないですし。他にかわいらしい姫が大勢いる中で、敢えて私を選ぶ理由なんてないですから」

「俺の一目惚れを全否定かおまえ」

「えっ? いえ、別にそんなつもりは」

 小さな笑い声が聞こえる。遊と政行が目を向けると、千代がおかしそうに笑っていた。

「お二人とも仲よしなんですね」

 何が彼女の壷にはまったのか分からないながらも、遊が笑顔を返した。

「やっぱり分かる? 何せ床の中でも毎日」

「遊!」

 政行が大声を上げても、遊は「本当のことじゃないですか」と笑うだけだ。

「床の中ってことは、その、つまり」

 千代が再び頬を染める。随分と初々しいことだ。

「よっぽどそういうことと無縁なんだな」

「千代ちゃんは野崎が初恋ですからね。男性と話す機会もあまりないですし」

「そうなのか? 付き合いのある貴族の連中とかいたんじゃないのか」

「いましたけど、私が女だって気づかれたらまずいってことで、まず家に上げることはなかったです。野崎も、鹿島の家に入ったことはないはずですよ」

 千代が頷く。

「遊さんがいらっしゃった間はそうですね」

「あれ、私がいなくなってから家に上げたの?」

 遊が目を丸くしたが、すぐに両手を打ち鳴らした。

「そういえば、おもうさんが野崎の絵を気に入ってたね」

「はい。今まではやっぱり遊さんのことが気になって、家に招くのをためらっていたそうなんですけど、前から野崎さんと絵のことで語り合いたかったって」

「えー、何それ。私はお邪魔虫ってこと?」

 声を立てて笑う遊に、「そういう意味じゃないです」と千代が苦笑する。そんな彼女に嬉しそうな顔を見せた遊は、千代の頭を撫でた。

「じゃあ私が家を出てから、野崎と会える機会が増えたんだね」

「……はい。実は今日も、御所さんに会いに来ていた野崎さんに、遊さんの様子が気になるって話したんです。そうしたら、ここまで連れてきてくれて」

「そっかー、よかったね」

 千代が口元を緩める。幸せそうな笑顔からは、彼女の梅太郎に対する思いが溢れていた。

「はい」

 彼女が梅太郎と共にいることで得ているものと、自分が遊の隣で感じているものは、きっとよく似ているのだろう。そう考えていた政行に、千代が視線を合わせてくる。

「何だ?」

「私、実際に堀さんとお会いするまで、遊さんが女性だと知ってるなんて怪しい人だって思ってました。野崎さんからは頼りになるいい人だって聞いてましたけど、どうやって知ったのか謎だし、油断ならないなって」

「おまえ、結構ずばずば言うな」

 鹿島側から警戒されるのは分かるが、本人を前に言うことだろうか。

「でも今日お会いして、遊さんの様子を見て安心しました。きっかけが何だとしても、堀さんが遊さんのことをとても大事にしてるんだって分かったので」

「ごめんね、千代ちゃん。心配かけて」

 千代が首を左右に振る。

「いいです、遊さんが幸せなら。私も、いつまでも男性のふりはできないって思ってたし、これでよかったんだなって」

「うん。私は一番いい選択をしたって思ってるよ」

 満足げな表情を浮かべる遊を、政行が見つめる。何年たっても、彼女は同じように思っていてくれるのだろうか。

 横から袖を引っ張られる。見ると、千代が何か言いたそうな表情で立っていた。腰をかがめた政行の耳元に、彼女が顔を寄せる。

「これからも、遊さんを幸せにしてあげてくださいね。私の大切な友達を泣かせたら許しませんよ」

 千代を見ると、満面の笑みを向けてくる。彼女の目を真っ直ぐ見ながら、政行が口を開いた。

「ああ、もちろんだ」

「あれっ、なに話してるの? 私に言えないようなこと?」

「何でもないです。迷惑だから長居しないようにって母からも言われてますし、そろそろ帰りますね」

「じゃあ、家まで送ろうか。女ひとりで出歩くのは危険だからな」

 その提案に、遊が頭を縦に振る。

「そうですね。そうしてもらいなよ、千代ちゃん」

「はい。じゃあお言葉に甘えて」

 三人で廊下を歩き、玄関を出た。その瞬間、門の前に立っている人物が見える。

「あれっ、野崎さん?」

 何度かまばたきした後、千代がその人物――梅太郎に近づいた。

「用事が終わったから来てみたんだが、もう帰るのか」

「はい。母も心配しますし」

「じゃあ俺が送ってこうか」

「えっ!?」

 千代が慌てた様子で、梅太郎と政行を交互に見る。政行は息を吐き、

「じゃあ頼むわ、野崎」

「分かりました」

「えぇっ!?」

 千代の肩が跳ねる。梅太郎が首を傾げ、彼女を見た。

「俺じゃ嫌か?」

「いいい嫌じゃないですけど、来る時も送ってもらったのにそんな」

「気にするな。さっき済ませてきた用事も鹿島の当主に頼まれたものだし、どうせこれから鹿島の家に行くからな」

 彼の言葉に、千代が俯く。その顔は熟れた果実のように赤い。

「じゃ、じゃあ、お願いします」

 梅太郎が首を上下に振った。

「暗くなる前に行くぞ、佐倉。急がせることになるかもしれないが」

「いえ、大丈夫です。早く帰りたいのは私もですから」

 梅太郎の手が、千代の背中に回る。赤い顔で見上げてくる彼女には目もくれず、梅太郎が頭を下げた。

「じゃあ堀さん、失礼します。鹿島もまた……って、『鹿島』って呼ばないほうがいいのか?」

「えっ? いいよ別に。君が『鹿島』って呼び捨てにするのは私くらいなんだから、逆に分かりやすいでしょ」

 政行が眉を寄せながら遊を見る。

「分かった。じゃあこれからも『鹿島』と呼ばせてもらう」

「うん、よろしくね」

 遊の手が、梅太郎の二の腕を軽く叩いた。

「じゃあ、また」

「うん、またね」

「遊さん、私もまた来てもいいですか?」

「当たり前だよ! いつでも大歓迎!」

 千代に笑顔を向けると、遊が右手を左右に振った。二人の背中が見えなくなってから家の中に入ろうとすると、不機嫌そうな政行と視線がぶつかる。

「あれ、どうしたんですか? おまえ様」

「いや、おまえもじゅうぶん野崎と仲いいなと思って」

 政行が玄関に向かい足を進める。不思議そうな表情をしていた遊が、笑顔になって彼を追いかけた。

「焼きもちですか?」

「別に、そういうのじゃねぇ」

「じゃあ何なんですか?」

「うるせぇ」

 政行が遊の頭を抱えるように腕を回し、身体を寄せる。遊も彼にもたれかかり、嬉しそうに微笑んだ。

「心配しなくても、私にはおまえ様だけですよ」

「別に心配はしてねぇよ」

 

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update 2015/7/27