遠い記憶 | Of Course!!

遠い記憶

前世の記憶があるアポロニオの話。谷山浩子さんの『再会』という曲がモチーフです。

 

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  アポロニオは夢を見た。遠い昔の光景だ。数十年どころではない。百年、二百年。それくらい前のものだ。もちろん、アポロニオ本人が百歳や二百歳ということはない。神話還りとはいえ人間だ。そんなに長くは生きられない。

 アポロニオが夢に見たのは、いわゆる前世の記憶というものだ。断片的ではあるが、時おり夢に現れる。誰かにその話をしたことはなく、他人から同じような話を聞いたこともない。しかしアポロニオは、それが前世で体験したものであることを確信していた。

 あのころ暮らしていた町は、もう名前も思い出せない。まだどこかに、町そのものは存在するのだろう。それを確かめるほどの暇は、アポロニオにはない。ヒーローとして、悪と戦う日々を過ごしているからだ。

 今回の夢で見たのは、ある朝の出来事だった。

『行ってくる』

 後ろに立つ人物に告げて、家の外に出る。

『行ってらっしゃい、――』

 微笑んだその人物に笑み返して、歩き出した。少し経って振り返ると、まだ戸口に立っていたその人物が苦笑する。その口がかすかに動いたが、なんと言ったかまでは思い出せない。前髪を風に遊ばせる姿が、とても美しかった。

 その人物は、前世の夢を見るたびに登場した。それが誰なのか、アポロニオはとっくの昔に分かっている。前世でも現世でも、かけがえのない大切な存在だ。顔も声も髪もあの頃と今では違うが、アポロニオが彼を間違えるわけがない。

 夢に出てきた彼の髪を、アポロニオが思い返す。明るくて鮮やかな金髪。今はどちらかというと、アポロニオのほうがその髪色に近い。それに対して前世でのアポロニオは、ミルクティーのような淡い栗色の髪だった。現世では、彼が持っているものだ。髪色を交換したような現状が、なんだかこそばゆい。

 自分の髪をつまんで、見つめる。夢で見た彼の金髪のほうが、ずっと綺麗だ。今の彼も、ヒーローとして力を振るう時は、あの頃のような髪色になる。だがそれを目にすることは、もうないだろう。そのほうがいいのだ。

 目を閉じて、前世の彼が自分を呼ぶ声を思い返す。『アポロニオ』ではない名前で呼びかけてくる声。今の彼のものとは違っていても、彼の声で呼ばれているというだけで、愛しさが募っていく。前世と今世、二つも彼と過ごした記憶を持つ自分は果報者だ。そう感じた。

 

 

 別の日、また夢を見た。家の窓から、彼と共に外を眺めている。嵐が吹きすさぶ光景を、二人で見つめていた。

『風、大丈夫かな』

 つぶやく彼の横顔は、不安そうだ。恐らく、古ぼけた木造の家を心配しているのであろう。

 彼の手を握ると、不思議そうに振り返る。笑いかけると、間を置いて彼も笑顔を返してくれた。彼の手が、自分の手を握り返してくる。

 二人でまた、外を見る。激しく吹き抜ける風の音が耳を突き、窓を揺らした。

 横目で彼を窺う。不安が消えた表情に、口元をゆるめた。

 そこまで見て、目を覚ます。暗い部屋で天井を眺めて、考える。最初に前世の夢を見たのは、いつだっただろうか。少なくとも、かなり幼い時だった気がする。彼と現世で再会する前だったのは確かだ。彼を見た瞬間に、また会えた喜びが胸を満たしたのだから。

 肩にくすぐったさを覚える。見ると、彼が頭をもたれさせていた。あどけない寝顔に、笑みがこぼれる。きっといい夢を見ているのだろう。

「ヴァッカリオ」

 小声で呼んで、彼の髪を撫でる。前世の記憶を抜きにしても、愛しい弟。十年間、交流を絶ってしまった相手。だが今、彼は自分の隣で寝ている。つらい過去を抱えた彼が、甘えてくれている。これほど嬉しいことはない。

「こういうのは久しぶりだな」

 彼の身体を、慎重に抱きしめる。そのぬくもりに、目頭が熱くなった。きっと彼はヒーローとしての生き方をまっとうして、自分より先に逝くのだろう。そんなところを誇りに思うのは事実だが、この温かさを失いたくない。

 思えば前世での最期がどうだったのか、どちらが先に逝ったのか、それを夢に見たことはない。だが、見る必要はない。もし前世でも彼が先に逝っていたら、彼を失う瞬間を二度も見ることになるのだとしたら。考えただけで、気が狂いそうだ。

 彼の髪をまた撫でつける。柔らかなそれが猫みたいだと、小さく笑った。

 

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update 2020/6/29