それはとても苦しかった | Of Course!!

それはとても苦しかった

前回同様、ギャス×ケネではなくギャス→ケネです。

 

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 カイエ・デ・ドロゥボー社にある社主のデスクで、ギャスパーが軽く伸びをする。視線の先には、無人のデスクがあった。所属記者の一人であるケネスは、先ほどから外出している。行き先は競馬場かドッグレース場だろう。同じく所属記者の黒猫こと魔法使いは、しばらく姿を見ていない。異界の存在である黒猫は今、神都にいないのだ。カフェオレ汲みのちゆうも本業をこなしに行ったようで、姿が見えない。

 思い起こせば、このカイエ社も随分とにぎやかになったものだ。ついこのあいだまで、ギャスパーとケネスの二人しかいなかった場所だとは思えない。それでも黒猫を含めて四人しかいないのだが、やはり二人だけの時とは雰囲気が違う。特に黒猫がいると、ケネスがそちらに構うことが多い。

 ギャスパーとケネスの関係は、昼は上司と部下で、夜は仕事の相棒で、買った者と買われた者でもある。自分とケネスのあいだには、横たわるものが多すぎる。そういう意味では、ケネスにとっての黒猫は、複雑なことを考えず気楽に話せる相手なのだろう。向こうがこの世界の存在じゃないというのも、関係を割り切りやすい要因だ。黒猫が今後、再び姿を見せるという確証すらない。もし二度と現れなかったとしても、そんなものだ。黒猫は自分の異界で、ギャスパーたちはこの世界で、それぞれの生活を送るだけ。だからケネスが黒猫に対して、特別な感情を抱くことなどない。元から、黒猫と深く関わるつもりもないだろう。

 分かっているのに、黒猫と話すケネスの様子を思い出すと、胸が苦しくなる。黒猫に対して、ギャスパーと話す時とは違う接し方をするケネス。その姿は、ギャスパーでは引き出せない。昼の同僚ができて嬉しそうな彼の様子を、喜びたいのに。ケネスが自分以外の相手と駆け引きなしでの会話を交わして、楽しそうにしているのを、最初は微笑ましく感じたはずなのに。ケネスのあんな姿を引き出す黒猫に、また来てほしい気持ちと、二度と現れてほしくない思いがないまぜになっている。黒猫がまた現れたらきっと、楽しげなケネスに嬉しくなって、同時に悲しくなる。ギャスパーに見せてくれる顔ではないことを、実感させられる。

 ギャスパーが溜息を漏らす。外から足音が近づいてきて、入り口の扉が開いた。顔を覗かせたケネスが、中を見回す。

「ギャスだけか」

 入ってきたケネスが扉を閉め、ソファに近づいた。

「また負けてきたのか?」

「ああ。財布が空になっちまった」

「次の給料日を待て」

「そうですか、相変わらずうちの社主さまは容赦がないですね」

 ソファに寝転がったケネスへ目を向ける。彼が、視線を返してきた。

「そういや、黒猫を見なくなってからけっこう経ったな。そろそろ来てもいい頃じゃねえか?」

 ギャスパーが少し眉を寄せる。

「どうした、急に」

「なんとなく思っただけだ。まあこの世界のやつじゃないんだし、このまま来ないかもしれないけどな」

「そうだな。だが、そのうち現れるかもしれない。その時のために、黒猫の席は残しておいたほうがいい。黒猫の魔法は頼りになるからな。味方につけられるなら、それに越したことはない」

「まあな」

 ケネスが天井を見上げた。彼を見つめながら、ギャスパーが口を開く。

「お前は、黒猫のことをどう思ってるんだ?」

 不思議そうに、ケネスが顔を向けてきた。

「なんだその質問」

「深い意味はない。なんとなく訊いただけだ」

 ケネスがギャスパーに視線を注ぐ。彼から目を逸らし、窓のほうを向いた。前に浮かんだ、ケネスを組み敷くという考えが、なぜか脳裏によみがえる。

「甘ちゃんだと思うぜ。グレンへの対応を見ても」

 目線を動かすと、天井を見るケネスが視界に入った。

「同感だな」

「クエス=アリアスとやらは、黒猫みたいなやつでもやってける世界なんだな。平和そうで何よりだ」

 ケネスの顔は、なんの感情も浮かべていない。

「そっちで元気にやってるならそれでいいけど、また会えりゃいいなとは思うぜ」

 ギャスパーの肩が、わずかに跳ねた。

「そうか」

「なんだその反応。自分で訊いたくせに淡泊だな」

 ギャスパーに呆れた目を向けた後、ケネスがまた天井を仰ぎ見る。そんな彼を見ながら、ギャスパーは胸の内がざわつくのを感じた。

 ケネスは、ギャスパーが買って傍に置いている存在だ。自分たちを結びつけるのは、その事実しかない。それがなければきっと、ケネスは自分と一緒にいない。だが黒猫は、そんなものがなくても、ケネスに気にかけてもらえる。また会えるといい、くらいには思ってもらえる。黒猫と自分の差はなんなのだ。自分は何を間違えたのだ。そもそも、ケネスを金で買ったのが間違いだったのか。そんな思いが、ギャスパーの頭の中を駆け巡る。

 買われたからではなく、ケネス自身の意思で、ギャスパーの傍にいたいと思ってほしい。彼に求められて、必要とされたい。どんな形でも、それが叶うのなら。

 ギャスパーが席を立ち、ケネスに歩み寄る。彼に覆いかぶさり、両肩を押さえた。ケネスが、ギャスパーの目を見つめてくる。意図を探ろうとしてくる瞳に、ひるみそうになった。

「難儀なやつだな、お前」

 ケネスが、自分のネクタイをほどく。

「俺を抱きたいなら、そう言えばいい」

 ギャスパーが困惑を見せた。

「ケネス?」

 襟元を緩めて、ケネスがギャスパーを見上げる。

「いいぜ、好きにしろよ。お前は俺を買ったんだからな」

 目を見張って、ギャスパーがケネスを眺めた。彼からは、感情が読み取れない。本気で抱かれてもいいと思っているのか、買われた身である以上は仕方がないと割り切っているのか。ギャスパーを軽蔑しているのか、そうでないのか。何も分からない。分かることがあるとすれば、このまま彼を抱いたとしても、自分の望む結果にはならないことだけだ。彼の身体に自分を教え込めば、例え肉体関係だけだとしても、彼から自分を求めてくれるようになるかもしれない。そんな考えは、思い上がりだったのだ。

 ケネスの肩から、手を離す。身体を起こし、ソファから降りた。ケネスの目が、ギャスパーを捉える。

「やらないのか?」

 ケネスから視線を外す。彼に、身体を差し出させる真似をさせてしまった。恐らくそれは、彼自身の意思ではない。買った側であるギャスパーに押さえつけられるという状況が、彼に言わせたのだ。自分が欲しいのは、そんなものじゃないのに。

 ギャスパーがケネスに背中を向ける。

「少し外を歩いてくる。服装の乱れは直しておけ。ちゆうもじきに戻るだろう」

 そのまま入り口に向かい、扉を開けて外に出た。何歩か進んで、息をつく。

 この短い時間で、自分の醜さを嫌というほど突き付けられた。黒猫に嫉妬して、ケネスを襲おうとして、自分は何をやっているのだ。ケネスに必要とされたいという望みと、真逆に向かっているだけではないか。

 ケネスが見た自分の顔は、果たしてどんなものだったのか。自分で見たわけではない以上、それは分からない。だがきっと、ひどく歪んだ顔だったのだろう。

 感情が見えない、ケネスの顔を思い出す。ギャスパーに対して、気持ちを動かす価値もないと言われたような気がした。

「ケネス」

 胸の奥が締めつけられる。次に顔を合わせた時、ケネスは今までと同じようには呼んでくれないかもしれない。そんな思考が頭を占めた。

 

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update 2019/12/9