七月七日の願い
七月七日、七夕。この日は、離れ離れになった織姫と牽牛が一年に一度だけ再会できる日だ。
私の母が、以前そんなことを言っていた。初めて聞いた時は素敵な物語だと思ったものだ。だが今は、間違ってもその話に憧れたりはしない。そもそもこの二人が離れることになったのは、彼ら自身の怠けた態度が原因だ。
だが、せっかく出会って家族になったのに、離れることになった二人の悲しみは理解できる。だからこそ私は、遊んでばかりいた織姫になるつもりはない。
そういえば七夕の日には、願いを書いた紙を笹に吊るすのだとも聞いた。実際に何度か、両親と一緒に笹を飾ったことがある。当時の私は紙に、「いつまでもお父さんやお母さんと一緒にいられますように」などと書いていた。でも結局、叶わなかった。
もし今、同じように笹を飾ることがあるとすれば、私は――。
「もう七月か」
夜空を見上げながら、エレンが呟く。それにアルミンも「そうだね」と頷いた。
「今年ももう、半年が過ぎたんだって思うと早いよね。そうだ。七月と言えば確か、ミカサが昔、七月七日の話をしてくれたっけ」
「七夕のこと?」
「うん、それ。星でできた天の川の真ん中で、愛し合う二人が再会する、なんておもしろいよね」
「……そうか?」
アルミンの言葉に、エレンが顔をしかめる。
「オレはあまり好きじゃないな、あの話」
「そうだね。堕落した生活を送ったせいで離れ離れになったところは、同情できないとは思うよ。でもせっかくミカサが教えてくれた遠い世界の話なんだから、そんな風に言い捨てちゃうのもどうかな」
「私は気にしない」
アルミンが私を見て苦笑した。
「あの話の二人は確か、織姫と牽牛だったっけ。ミカサはどう思ってるの?」
「お母さんが話してくれた時のことを思い出して、懐かしい」
「そういうことじゃなくて」
笑いながら再び空を見上げるアルミンから、視線を動かす。一瞬エレンと目が合ったが、すぐに顔を逸らされた。一体、どうしたのだろうか。
「でもさ、僕、天の川は好きだな。あの星々が壁外まで続いてるんだって考えると、少しわくわくしない?」
楽しそうなアルミンを見ながら、エレンが何かを考える。
「まあそれは、分からんでもないかもな」
そう答えながら、エレンも夜空に目を向けた。私も二人と同じ方向を見る。そこには、無数の星が煌めいていた。
夜風を受けながら、小屋の裏手を歩く。気温が上がってくるこの時期は、冷たい風が心地いい。夜とはいえ、さすがにマフラーを着けていると少し暑い。
今日は七月七日だ。空はよく晴れているし、天の川も綺麗に見える。織姫と牽牛に憧れはしなくても、二人が再会する日に曇ったりしなくてよかったとは思う。
「ミカサ」
背後からの声に振り返る。そこには、気まずそうな表情のエレンがいた。
「エレン、どうしたの」
エレンは困った顔で私を見ていたが、右手に持っていた物をゆっくりと差し出してくる。それは、細い木の枝だった。
「これは、一体」
「……悪かったな、笹じゃなくて。探したけど、見つからなかったんだ」
エレンが持つ枝は、青々とした葉をいくつもつけている。笹には似ても似つかないが、エレンの意図は分かった。
「ここに、願い事を書いた紙を吊るすの?」
「まあ、な。こんなので願いが叶うなら巨人なんてとっくにいなくなってるし、気休めにもならないと思うが、せっかくお前の母親が遺してくれたものだろ」
エレンの顔と、木の枝を交互に見る。枝をしばらく見つめた後、両手で握った。
「ありがとう、エレン」
エレンの気持ちはとても嬉しい。紙に願いを書いて笹に吊るす話を、エレンが覚えていてくれたとは思わなかった。だが、
「気持ちだけ、もらっておく」
枝を押し返すと、エレンが不機嫌そうな表情になった。
「どうしてだよ」
「エレンもさっき言った通り、こんなのは気休めにもならない。願いなんて書いたって叶わない。叶うのなら、お父さんもお母さんもいなくなったりしなかった」
エレンの顔を見ていられなくて、俯く。
「願いを書いて笹に吊るせば叶うなんて、他力本願もいいところだ。そんなものに頼っていたら、一緒にいるための努力を怠った織姫や牽牛と同じになる」
努力しなければ、離れ離れになるから。力を磨いて追い縋らないと、あなたは私を置いて行ってしまうから。
「私は、織姫と牽牛の話が嫌いだ」
もう二度と私は、笹に願いを託したりしない。織姫達の話に心をときめかせたりしない。自分を鍛えて、強くなって、私自身の力でエレンの傍に居続ける。
エレンの左手が、私の手に添えられた。額同士を軽くぶつけ合わせられる。
「馬鹿か、お前」
吐息が私の口元にかかった。暖かくて、くすぐったい。
「一人でそんな頑張ってどうするんだ」
「別に、どうもしない」
「まあそれはお前の勝手だよ。オレだってこの間も言った通り、あの話は好きじゃない。でも」
エレンの左手に力がこもる。
「話してもらった時のことを思い出して懐かしいって言ってたのは何だったんだ。お前は、その話を聞いた思い出まで否定する気か?」
顔を上げると、少し泣きそうな目をしたエレンがいた。
「こんな話でも、お前にとっては、母親から教えてもらった大事なものだろ」
今度はエレンが下を向いた。木の枝を私の方へ押してくる。
「別に、書いて損することもないじゃねえか。書くだけ書いてみろよ」
風が吹き抜けていく。エレンの髪も枝についた葉も、私の髪も揺らしていった。
織姫と牽牛は今の私達みたいに向かい合って、一年の間に募らせた思いを語り合っているのだろうか。エレンがしてくれているみたいに、相手の手を握ったりしているのだろうか。
エレンの手から木の枝を受け取る。改めて眺めても、笹にはとても見えない。
「うん、そうする」
エレンの目を見つめて言うと、安心したような表情を向けられた。
離れ離れになった夫婦の束の間の再会が終わり、また朝が来る。木の枝に吊るされた細長い紙が、朝日を受けて輝いた。
『もっと強くなれますように』
小さな紙に、私はそう書いた。決して、エレンと一緒にいることは星に願わない。それだけは、何としても自力で叶えてみせる。
しかし、このくらいの願いは許されてもいいのかもしれない。昨夜のエレンを見ていると、そう思った。
お父さんやお母さんとずっと一緒にいることは叶わなかったけど、いま胸の中にある願いは、まだ叶う可能性がある。いや、絶対に叶えてみせる。
私は太陽を眺めながら、来年も織姫と牽牛が無事に再会できることを祈った。
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初出 2014/7/6(広島コミケ190無料配布冊子)
update 2016/11/30