新兵の悲願
オレの好きな人は、とても強い。手にした刃で巨人を屠る姿は、若い女性とは思えない頼もしさだ。
それでも抱きしめた身体は、女性らしい柔らかさがあって、離れるのが惜しいくらい心地よかった。
「エレン、アルミン。もう、私が知っている東洋のことは全て話した」
いつも通り、食堂で話しかけたオレ達に、ミカサさんが告げた。
「もう、終わり」
寂しそうな黒い瞳が、オレ達を見つめてくる。
アルミンは残念そうに肩をすくめ、
「そうですか。今までありがとうございました。班長もあまり僕達とばかり一緒にいるわけにもいかないでしょうし、僕は同期と食べます」
「ええ、それがいい」
ミカサさんに一礼し、遠ざかっていくアルミンの背中を見送る。ミカサさんに視線を戻すと、彼女は瞼を伏せた。
「エレンは、どうするの」
スプーンでスープを掬い、口に含むミカサさんの、向かいに腰を下ろす。
「一緒にいていいですか? ミカサさんは拒絶したけど、オレが無理矢理ここに陣取ったってことにしてもいいです」
ミカサさんは数回瞬きをして、またスープを口に運んだ。
「好きにすればいい」
「分かりました」
パンを一口かじりながら、オレはミカサさんの右手を見る。スプーンを持つあの手の柔らかさを、オレは知っている。肩も、壁外調査での勇ましさからは想像できないくらい細い。オレは、ほんの少しとは言え、彼女のぬくもりを知ってしまった。
もっと触れたい。もっと、彼女を感じたい。
「どうしたの? 私の手に何かついている?」
「……いえ、何でもありません」
「そう。ならいい」
食事を続けるミカサさんは、今までと変わらない。まるで、オレの告白なんてなかったみたいだ。かわいいって言われただけで、真っ赤になるような人なのに。
いくらでも待つと言った手前、本人には聞けないけど、やっぱり知りたい。ミカサさん。オレのこと、どう思ってるんですか?
「最近、新兵の男にうつつを抜かしているらしいな」
廊下の角を曲がろうとした時に、男性の声が聞こえた。
「誰が、そんなことを?」
答えた声はミカサさんのもので、思わず立ち止まって声の方を見る。そこには、ミカサさんと小柄な男性が向き合って立っていた。
「ハンジから聞いた。新兵だらけのお前の部下はごまかせても、上司はごまかせないってわけだ」
「そうですか。本当に、ハンジ分隊長と仲がいいんですね。兵長は」
兵長!? あの人が、人類最強の呼び声高いリヴァイ兵士長なのか!
「そんなんじゃねえ。仕事の話をしているだけだ」
「では、ペトラという人と」
「ただの部下だ。お前でも、あんな噂を真に受けることがあるのか。確かに、相当ヤキが回ってるみたいだな」
ミカサさんが眉を寄せる。
「私は、ハンジ分隊長の部下。気になるのは当然です」
「少し前までのお前なら、その手の噂なんか気にしなかっただろう。お前がそういう、浮ついた話に興味を持つとはな。惚れてんのか? 例の新兵に」
「な、何を言って」
真っ赤な顔で、ミカサさんが俯く。リヴァイ兵士長は無表情でミカサさんを見つめ、
「これもハンジから聞いたことだが、親の具合が悪いらしいな」
「はい。恐らく、もうそんなに」
「それで、自分を構ってくる奴に縋ってるのか」
「それは」
ミカサさんは兵士長を見たものの、すぐに目を逸らした。
「勝手にすりゃいい。ヘマさえしなけりゃな。他人の色恋に首をつっこむ気もねえ」
リヴァイ兵士長が、ミカサさんに背を向ける。
「だが、自分の感情がどういうものなのかは、きちんと見定めた方がいい。いざという時に、迷わないためにもな。ただ慰めが欲しくてそいつに擦り寄ってるだけなのか、そうじゃないのか。どっちにしろ、さっさとけりをつけろ」
振り返ることなく歩き出した兵士長の背中へ、ミカサさんがお辞儀する。身体を起こしたミカサさんの横顔は、泣きそうに見えた。
リヴァイ兵士長とは反対の方向へ歩いていくミカサさんの後ろ姿は、とても頼りなげだ。多分、彼女はまた悩んでるんだろう。ミカサさんを告白した時みたいに抱きしめて、オレが傍にいると囁きたい。
だけど今、彼女を悩ませているのは、きっとオレだ。なのに、オレがそんなことを言っていいのだろうか。余計に彼女を混乱させるだけじゃないのか?
「ミカサさん。入っても、いいですか」
目の前の扉をノックするものの、返事はない。
「変なことはしませんから。ちゃんと、ミカサさんの答えを聞けるまで待ちます。だから、今までみたいに入れてくれると嬉しいです」
鍵が開く音がする。扉が動き、ミカサさんが姿を現した。
「すぐに入って。誰にも見られないうちに」
俯いている彼女に促されるまま、部屋に入り、定位置と化したベッドに腰を下ろす。
「ミカサさん。何か、あったんですか?」
「……何もないと言っても、信じないのでしょう」
ミカサさんが、枕元へ視線を向ける。同じ方向を向くと、紙が置かれているのが目に入った。
「何ですか、これ」
「父からの手紙」
「オレが、見てもいいんですか?」
ミカサさんは何かを考える素振りを見せた後、頷いた。伏せてある紙を手に取り、書かれている文字に目を走らせる。内容は、簡潔に言うと「母親が危篤」というものだった。
「もう、駄目だ。間に合わない。東洋に辿り着くどころか、壁外での活動もまだ満足にできないのに」
細い声でしゃべる彼女へ目を向けて初めて、その目元が赤いことに気が付く。どうしてこの人は、また一人で、
『自分を構ってくる奴に縋ってるのか』
リヴァイ兵士長の声が、頭をよぎる。
『自分の感情がどういうものなのかは、きちんと見定めた方がいい。ただ慰めが欲しくてそいつに擦り寄ってるだけなのか、そうじゃないのか』
そうか、あれを気にしているのか。ミカサさんのことを好きなオレに頼ることに、罪悪感があるんだ。
「エレン。あなたはもしかして、なぜ私が一人で泣いていたのかと考えている?」
「まあ、多少は」
「私が兵長と話しているの、聞いていたでしょう」
「気づいて、たんですか」
さすがと言うべきか。兵士長との会話に気を取られて、オレの方へは注意が向いていないと思っていたのに。
「兵長の言葉を覚えているのなら、大体は察しがつくのでは」
「そうですね、大体は。でも実際にミカサさんがどう思ってるかまでは、分かりませんよ」
ミカサさんが、目を逸らす。そんな彼女に苦笑して、溜息を零した。
「ミカサさん、言ったでしょう。どんどん、オレに甘えてください。都合のいい存在として、利用してください。ミカサさんは、頑張りすぎなんですよ」
「そんなこと、できない」
「そう言うと思いました。ミカサさんは、そういう人です」
そしてオレは、そんなミカサさんが好きなんだ。最初は、綺麗な人だと思っただけだった。だけどミカサさんの人となりを知るほどに、この人と一緒にいたくなってきた。
「ミカサさん。これからも、一緒にいていいですか」
「いいも何も、あなたは私の班のメンバーだ。勝手にいなくなられても困る。ただ、ずっと一緒にいられる保障はない。お互いに」
「分かっています。ミカサさんもオレも、調査兵団にいる以上は」
互いに、いつ死ぬかは分からない。次の壁外調査で、もしかしたら永遠の別れになるかもしれない。それでも、生きている限りは、この人に寄り添えたらいい。
「ミカサさん。告白の返事、やっぱり期限を決めてもいいですか」
「構わない。こういうのは、あまり先延ばしにするのもよくないので」
「ありがとうございます。じゃあ、四年後に返事をください」
ミカサさんが、目を丸くしてオレを見る。
「よねん、ご?」
「はい。少し前に、アルミンから聞いたんです。恋愛は大体、四年くらいしか続かないものだって。四年経ったら、完全に気持ちが覚めるか、恋情が愛情に変わってずっと一緒にいるか、どっちかだって」
「人間も動物だから、子孫を残すために恋愛のプロセスも仕組まれてるんだって。夢がないよね」なんて、アルミンは苦笑していた。だが、四年経ったら絶対に相手への気持ちが覚めるってわけじゃないなら、問題はないと思う。
「四年経っても二人とも生きていて、オレにミカサさんへの気持ちがまだあったら、また告白します。その時に、答えを聞かせてください」
ミカサさんは数回瞬きをして、頷いた。
「分かった。だが、四年というのは中途半端ではないだろうか」
「それもそうですね。じゃあ、五年後で」
「……随分、気の長い話になってしまった」
「こんな約束をしてしまったら、そうそう途中で死んでいられない」と、ミカサさんが微笑む。初めて会った時のように。そんな彼女に、オレも笑み返して見せた。
オレの好きな人はとても強くて、若い女性と思えないくらい頼もしい。けど、それはそれは綺麗に笑う、とても素敵な女性なんだ。
ミカサさんの元へ、母親の訃報を知らせる手紙が届いた。オレ達が約束を交わしてから、二週間後のことだ。
その知らせについて知っているのは、ミカサさんの上司であるハンジ分隊長と、分隊長経由で話を聞いたリヴァイ兵士長にエルヴィン団長、それにオレだけだ。
手紙が届いた日、ミカサさんは自分の部屋で、今まで見たことがないくらい泣き崩れていた。
「私、本当は分かってた! ずっと分かってた! 壁の外を探検するなんて、夢のまた夢なのに、間に合うわけないって思ってた。だけど、だけど」
涙を流しながら叫び続けるミカサさんを、オレは抱きしめるしかできなかった。抱きしめて、ミカサさんは一人じゃないんだと、今は泣いていていいんだと伝えるしかなかった。
ミカサさんは、背中に手を回してきて、しがみつくようにオレの服を掴んだ。
「エレン、エレン。あなたはいなくならないで」
「いなくなりません、絶対に」
この調査兵団で、絶対なんてない。分かっているけど、この人を置いて逝くわけにはいかない。何があっても。
「今年も、あまりいませんでしたね。入団希望者」
「仕方がない。未だに、芳しい成果が挙がっていないので」
溜息を吐くオレの横で、ミカサさんが肩をすくめる。
「しかし、新兵を見るといつも新鮮な気分になる。敢えて調査兵団を選ぶ新兵の士気は相当なものだ。彼らを見ると、負けていられないと思う」
「本当ですよ。オレも頑張らないと」
ミカサさんに微笑むと、彼女もオレを見上げて笑った。かつては同じ目線だったのに、いつの間にかオレは彼女を見下ろすくらいの身長になっていた。
「エレンは充分すごい。この調査兵団で五年、生き残っているのだから」
「いや、ミカサさんの方がすごいですよ。入団してから、今日でもう十二年でしょう」
「それは言わないでほしい。自分の歳を実感せざるをえなくなる」
「何でですか。二十七歳なんて、まだまだ若いじゃないですか」
「年上に言われるならともかく、二十歳のエレンでは全くそう思えない」
唇を尖らせるミカサさんがかわいらしくて、つい笑みが零れる。彼女も、この五年で随分と表情のバリエーションが増えたものだ。
「何がおかしいの」
「違いますよ。かわいいなって思っただけで」
「か……っ」
ミカサさんが真っ赤な顔で、オレから目を逸らす。さすがにそろそろ、かわいいと言われることに慣れてもよさそうなものなのに。
「エレンはなぜ、そんな恥ずかしいことを平気で言えるの」
「何でって、かわいいって感じるからですよ」
「だから、そういうのが」
ミカサさんは顔を赤くしたままで、息を吐いた。
オレが調査兵団に入団してから、五年。未だに巨人の謎は解明されていないことも多く、まだまだ人類は壁の中でしか生活ができない。調査兵団に対する世間の風当たりも強い。それでも、オレ達は巨人と戦い続ける。戦って、いつか壁外を旅するんだ。
「それにしても、私が分隊長になるとは驚きだ」
「そんなこと言うの、ミカサさんだけですよ。オレが入った頃の分隊長達だってもう何人もいなくなってるし、次はミカサさんが新しい分隊長になるんじゃないかって、もっぱらの噂でしたよ」
「それは知らなかった。だが、それだけでも驚きなのに、エレンが私の副官に任命されたのはもっと驚いた」
「確かに、それはオレも驚きました。ハンジ分隊長には散々からかわれましたし」
エルヴィン団長から、分隊長に昇格するミカサさんの副官になるよう命じられた時には、耳を疑った。オレはどっちかと言うと、先に出て戦いたがる方だし、他人のサポートなんて向いているとは思えない。それでも引き受けたのは、ミカサさんと一緒にいて、誰よりも近くで支えたかったからだ。
「しかし、順当だとも思う。私の戦い方を一番よく分かっているのはエレンだ」
「オレの戦い方を一番分かってるのも、ミカサさんですよね。いつも適切に補佐してくれますし」
「あなたが入団した頃からあなたを見ているのだから、当然だ。エレンは本当に強くなった。あなたは素晴らしい兵士だ」
「本当ですか? 嬉しいです」
ミカサさんが、また微笑む。オレの袖を掴んで、
「昨日までに比べると少し人数も増えて、やることも多い。戻ろう、エレン」
彼女は、そのまま歩こうとする。だがオレが動こうとしないので、不思議そうに振り返った。
「どうしたの、エレン」
「ミカサさん。あなたに、言いたいことがあります」
ミカサさんは瞬きを何回かして、オレの方へ身体ごと向く。
「今日で、オレ達が初めて会ってから、ちょうど五年ですね」
「ええ。とても長いようで、短かった」
「これってつまり、オレがミカサさんを好きになってから、ぴったり五年経ったってことですよ」
「そういえば、初めて会った時からと言っていた」
照れくさそうな様子ではにかむミカサさんは、本当に綺麗でかわいい。この人は五年も前の、オレの告白を覚えていてくれたのか。
「ミカサさん。オレは今でも、ミカサさんが好きです。これからも、あなたと一緒にいたい」
ミカサさんの右手を取り、両手で握りこむ。
「あなたの返事を、聞かせてください」
両手に力を込めて、ミカサさんの目を見つめる。彼女は頬を赤く染めながらも、黒い瞳を真っ直ぐ向けてきた。
「あなたが五年間ずっと、私の傍にいてくれて嬉しい。これからも一緒にいてくれるなら、これほど幸福なことはない」
ミカサさんが左手を、オレの手に添える。オレの手を握り返して、
「あなたより七歳も年上の私で、本当にいいの?」
「当たり前ですよ。オレは、ミカサさんがいいんです」
「そんな風に言ってもらえるなんて、私は果報者だ」
これ以上はないくらい幸せそうに、ミカサさんが微笑む。
「私も、あなたのことが好き。大好き」
手を離して、ミカサさんの身体を抱きしめる。ミカサさんもオレを抱き返して、身体を預けてきた。
ミカサさんを抱きしめるのは久しぶりだけど、やっぱり温かくて、柔らかい。
五年前に始まった初恋が、いつの間にか愛情に変わって、今日やっと実を結んだ。もう離さない。この人を、絶対に。
「ずっと、ずっと一緒ですよ。死ぬまで、ずっと」
「うん、エレンと一緒にいる。いつまでも」
これからもミカサさんと共に戦って、生き続ける。そしていつか、一緒に壁外を旅するんだ。東洋にも、二人で行こう。
笑顔が綺麗で強くてかわいい、この世で一番愛しい人と二人で。
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update 2014/2/6