新兵の奮闘
朝の食堂で、スープを啜る。オレの向かいでは、ミカサ班長がパンを千切って口に含んでいる。横にいるアルミンは、芋を食べていた。
「そのような感じで、ニンジャと呼ばれる人達が暗躍していたらしい」
「へえ、すごいですね。ニンジャって」
「東洋では、スパイ活動もこの辺りとは一味違うんですね」
オレとアルミンは度々、ミカサ班長と一緒に食事をしては、東洋のことを聞いている。今日は、東洋のスパイであるニンジャについて教えてもらった。最初はアルミンがオレを気遣って二人きりにしてくれていたが、全く話を聞きに来ないアルミンに嫌われたのかと班長が不安がったため、今は基本的に三人一緒だ。
「ところで班長。東洋の話もおもしろいですけど、僕、たまには違う話もしてみたいです」
アルミンがミカサ班長に微笑みかける。班長は「違う話?」と首を傾げた。
「班長個人の話も、いろいろと伺いたいです。ねっ、エレン」
「えっ、あっまあ、そうだな」
多分オレは今、顔を真っ赤にしているだろう。班長は数回瞬きをして、
「私の話? 例えば?」
「そうですね。例えば、班長の男性の好みとか。班長って美人なのに男性の影がないから、少し気になります」
いきなりそこ聞くのかよ! もし班長の好みがオレとかけ離れていたらすげえショック受けそうだし、知りたいけど知りたくないな。
ミカサ班長はアルミンを見て、僅かに頬を赤くした。
「いや、私は別に、美人なんかじゃ」
「そんなことないですよ。班員達もみんな、綺麗な班長で嬉しいって言ってますし」
「何だそれ、初耳だぞ」
オレ以外の奴らも、班長のことをそういう風に見てるっていうのか?
「まあ、仕方がないよ。エレンはあまり、そういう雑談に加わらないし。で、どうなんですか? 班長」
オレへ視線を向けたアルミンが、「知りたいんだろ?」と言う表情を浮かべている。そりゃオレだって、アルミンが班長にこんなことを聞くのは、オレのためだってことくらい分かってるさ。
「どう、と言われても。考えたことがない」
「そうなんですか? 過去にお付き合いされた男性とか思い返してみたら、何となくでも共通点とか、傾向が見えてきたりしませんか?」
「しない。そもそも、過去に付き合った男性がいない」
「えっ?」
アルミンとオレが、同時に声を上げる。二人で顔を見合わせて、
「本当ですか? 班長みたいに綺麗な人を、周りの男性が放っておいたとは思えないのですが」
「こんなことで嘘を吐く理由がない。それに私は、同期には女扱いされていないので」
「何でですか? 班長が強いからですか?」
ミカサ班長が、オレに顔を向ける。黒い瞳がオレを見つめてきた。
「恐らく、そう。私は、第九十七期訓練兵団を首席で卒団した」
「首席!?」
またしても、アルミンと同時に声を上げる。こちらへ目を向けてきた周りの人間に、班長が気にするなとジェスチャーで示した。
「まあ、一応」
「それで調査兵団を志願したとなると、周りにはいろいろと言われたんじゃないですか?」
「変わり者だとよく言われた。上位十名から漏れた同期に、もったいないから代われと言われたこともあるが、無茶を言う」
だけど調査兵団に入って、七年もの間、戦って生き残ってきたのか。班長はよっぽど、東洋に行きたいんだな。
「すごいですね、班長は。意志が固いんですね」
「エレンこそ、訓練兵団卒団時の成績は四位だったと聞いている。憲兵団入りを勧められたりしなかったの?」
「いえ、別に。オレは最初から、調査兵団に行くんだって周りにも散々言ってたんで」
「そう。なら、エレンこそ意志が固い。あなたみたいな人が調査兵団に来てくれて嬉しい」
ミカサ班長の両手が、オレの左手を包んだ。何でこの人はこんなに簡単に、手を握ってくるんだ。
「大規模な壁外調査を行うようになれば、今までにも増して大変になるが、エレンならきっと乗り越えられる。もちろん、アルミンも」
「そうだといいんですけどね」
アルミンが苦笑する。そんなアルミンに左手を伸ばした班長は、アルミンの金髪を撫でた。
「……え?」
目を丸くするアルミンに構うことなく、班長は頭を撫で続ける。アルミンは困った顔でオレを見て、両手で自分の頭をガードした。
「班長。班長にも思春期があったならお分かりだと思いますが、僕達くらいの年頃は、いろいろと複雑なんですよ。班長より子どもなのは分かっていますけど、そんなことをされる歳じゃないんだって言いたくもなってしまいます」
ミカサ班長は、「ごめんなさい」と手を引っ込めた。
「男の子は難しい」
「そうですか? 僕達から見たら女性の方が複雑ですけどね」
「そうだろうか」と首を傾げ、ミカサ班長がオレを見た。
「エレンも、ごめんなさい」
「えっ、何がですか?」
「この間、頭を撫でたから。嫌がってたのに続けてしまって、ごめんなさい。もうしない」
「いや、別に気にしてないですよ」
何だろう。ガキ扱いされてるみたいで嫌だったのに、はっきりこう言われると、それはそれで残念な気分になるのは。
目の前のドアをノックすると、中から「どうぞ」と声が聞こえる。
「失礼しまー……って、どうされたんですか」
部屋の中では、ミカサ班長がベッドに腰掛けて、ワイングラスを手にしていた。足元にワインボトルが置かれている。
「私だって、お酒を飲みたい気分になる時がある」
グラスを傾けて、班長が赤ワインを口にする。
「何か用事?」
「いえ、そういうわけではないのですが。その、一緒にいちゃ駄目ですか?」
「あなたがそれでいいのなら、構わない」
ミカサ班長が、オレを見て手招きした。ドアを閉めて近づくと、班長の隣に座らされる。
「エレンは、お酒を飲んだことがある?」
「ガキの頃に、少し飲まされたくらいですね。ブランデーでしたけど」
「そう。なら、ワインの味は知らないのね」
ミカサ班長が、ワイングラスを差し出してきた。飲めってことだろうか。
「ミカサ班長にも、新兵にお酒を勧めるような茶目っ気があるんですね」
「嫌ならいい。どうせ、そのうち飲むようになる」
グラスを呷り、ワインを飲む班長の横顔は、大人っぽくて色気がある。食堂でよく会話をするから距離が近くなったように感じていたけど、やっぱりこの人との歳の差は、埋められないんだな。
「エレン。赤ワインって、血みたいだと思わない?」
「そう、ですね。思います」
「調査兵団だと、血と言えば……分かる? 私の言いたいこと」
「分かります」
ミカサ班長は、壁外でのことを思い出しながら酒を飲んでいるのか? いつも、飲む度に?
「私が入団してからの七年間にも、たくさんの仲間がいなくなった。新兵だった頃に指導してくれた班長も、他の兵士を庇って巨人に食べられた。あまりにも失いすぎて、誰をどんな風に失ったか、忘れてしまいそうなくらい」
「だから、こうやって思い出してるんですか」
班長が、眉を下げて微笑む。
「血に塗れた記憶を呼び起こすものは、同じ血、あるいは血を連想させるものだと思う」
彼女はグラスを照明に向けて掲げ、ワインを見つめた。
「だから私は、お酒は必ず赤ワインを飲むの。後ろ向きで情けないと、あなたは思うかもしれない。でもいつか来るべき日が来た時に、きちんと彼らを思い出して、あなた達の戦いは無駄ではなかったのだと言ってあげたい」
ミカサ班長が、ワイングラスを下ろす。
「だがきっと、彼らは私からの労いなど欲しくはないだろう。私の、ただの自己満足」
「ミカサ班長」
班長が、オレの方を向いた。
「大人って皆、暗いことを考えながらお酒を飲んでいるもんなんですか?」
「人によると思うが、調査兵なんてやっていれば、心から楽しんでお酒を飲める人の方が少ないだろう。酔っている間は、嫌なことを忘れられるから」
「嫌なことを忘れるために、飲むんですか? 酔いから覚めたら、また思い出すって分かっていても?」
「そう。大人って馬鹿でしょう。私だって新兵の頃は、お酒に逃げて何になるのだと思っていた」
ミカサ班長の口元は笑っているが、表情は寂しそうだ。
「でもその話だと、ミカサ班長がワインを飲むのは、他の人とはちょっと目的が違うんですね」
「私は、一人でこうしてお酒を飲んでいる時の方がいろいろと思いだすから。普段はやるべきことがたくさんあるし、失われた命のことを考えている暇がないので」
「いつもは巨人を倒すために忙しく動き回って、一人でいる時にはいなくなった人達のことを思い出してるんですか。じゃあ、一体いつ、班長は自分の心を休めているんですか」
「そんな時間は、必要ない。今は、少しでも早く前に進みたい」
グラスに残っていたワインを飲み干した班長は、身体を傾けてワインボトルに手を伸ばす。
「失われた仲間のことを考えると、巨人は倒さねばならないと再認識する。その認識は、壁外で私を動かす力になる」
「なに言ってるんですか!」
ミカサ班長の手首を掴む。刃を持っている時の頼もしさが嘘のように、細い。
「少しくらい休んでくださいよ! 別に、嫌なことを忘れるために飲んだっていいじゃないですか。どうしてわざわざ、自分を苦しめるようなことをするんですか!?」
「私の母は、あまり長くない」
「……え?」
「病気なの。お医者さんに見てもらったけど、原因は分からないって。様々な薬を試したけど、効かないって。父からの手紙に書いてあった」
オレを見る黒い瞳は、泣きたいのを堪えているようだ。
「今は会いに行くことも難しいけど、いつか巨人がいなくなった時には、実家に顔を出す暇くらいはあるかもしれない。その時には、東洋のことを母に伝えられるといいと思う。壁の外へ連れていくのは無理だろうが、せめて、私が実際に見た東洋の姿を母に話せたら」
「ミカサ班長」
「私だって分かってる。巨人と戦うのは壁外調査の時だけだし、一人で勝手に焦ったところで、巨人を倒せるわけではない。巨人を殲滅できる瞬間が早まるわけでもない。それでも」
ワイングラスが、床に落ちて割れた。
「今は止まりたくないの」
苦しげな表情で、ミカサ班長が瞼を伏せた。
オレは、ミカサ班長の意志の強さを眩しく感じた。この人の、前に進もうとする気持ちはすごいと思った。でもその強さが、彼女を苦しめている。
何をやってるんだ、オレは。班長は大人だからとか、この人から見ればオレは子どもなんだとか、そんなことばかり気にしやがって。それ以前に、同じ人間じゃねえか。いま目の前にいるのは、とても強くて、綺麗で、大人だけどかわいらしい、ただの女の人だ。オレの好きな女性だ。
「ミカサ班長。オレじゃ、駄目ですか。班長の心を休ませることはできませんか」
班長が、再びオレへ顔を向ける。
「エレンには、もう助けられている。エレンだけじゃない。アルミンにも」
「オレと、アルミンが? それって」
「食堂であなた達と過ごす時間に、私は安らぎを感じている。あなたへのお礼だったはずなのに、私の方が楽しんでいる」
「本当、に?」
あのひと時を喜ばしく思っていたのは、オレだけじゃなかったのか。ミカサ班長も、そう思っててくれたなんて。
「嬉しいです、班長。もっと、オレからミカサ班長に、何かできませんか」
「それは、今でも充分だ。これ以上、あなたに甘えるわけにはいかない。私は班長で、あなたの上司だから」
「いいじゃないですか。他の奴らに言ったりしませんから。どんどん甘えちゃってください」
「しかし、私はエレンの気持ちだけでも嬉しいので、それ以上何か望む気になれない」
困った顔をするミカサ班長は、もうオレのよく知る班長だ。もっと班長のいろんな部分を知りたかったけど、まあいいか。
「それより、まずはグラスの破片を片付けないと。エレン、怪我はなかった?」
「大丈夫です。あっ、手伝いますよ」
二人同時にワイングラスの破片に手を伸ばす。同じ破片を拾おうとした二人の手の甲が、触れ合った。
「あっ、すっ、すみません!」
「いえ、別に」
手を引っ込めるオレを見遣ったミカサ班長は、グラスの破片を見下ろして、「袋を持ってくる。あと、ほうきとちりとりも」と言うと部屋を出て行った。
やばい。顔が熱い。班長に、真っ赤になったのを見られてないよな?
「あー、ちくしょう」
上司と部下とか以前に同じ人間であって、ミカサ班長は女性で、オレは男。そりゃそうだ、当たり前だ。けど、だからこそ、こんな情けないことになってるんだよな。どうせオレは母親以外の女性と接するのに全然慣れてないし、そもそも班長が初恋だ。
それでも、自分の母親に残された短い時間を思い、前に進まないといけないと自分に言い聞かせるあの人の心に、少しでも寄り添うことができたらいい。もし、万が一の事態が起きた時に、ミカサ班長が一人で塞ぎ込んだりしないように。
溜息を吐いたと同時に、部屋のドアが開いた。
「ごめんなさい。すぐに片付ける」
小走りで入ってきたミカサ班長は、ほうきでグラスの破片をちりとりに集め、持ってきた袋に入れる。床を見下ろして、
「細かい破片が残っていないだろうか」
「大丈夫じゃないですか? 裸足で歩くわけじゃないんですから」
「それもそうだ」
ミカサ班長が息を吐き、オレの隣に腰を下ろす。
「エレンには、情けないところばかり見せてしまっている。恥ずかしい」
「そうですか? オレは嬉しいですよ。ミカサ班長って一見クールですけど、実は結構かわいらしいですよね」
ミカサ班長が、耳まで真っ赤になる。「えー」とか「あー」とか声を漏らして、首を左右に振った。
「そ、そんなことはない。絶対にない。大人をからかうのはやめてほしい」
「からかってませんよ」
こういうところがかわいいんだって、気づかないんだな。この人は。
「そういうセリフは、あなたと同期の女の子に言うべき」
「嫌ですよ。オレはミカサ班長に言いたいんです」
「わけが分からない。私ほどかわいいという言葉の似合わない女はいない」
「何でですか。班長の同期から女性扱いされなかったからですか? だったら、その同期の人達の目が節穴だったんじゃないですか」
ミカサ班長は赤い顔のままで頬を膨らませて、「エレンは意外と辛辣」と呟いた。もし図星だったのだとしたら、班長の同期達の罪は重い。
「かわいいですよ、ミカサさんは」
「ミカサさん!?」
「えっ、あっいや、すみません」
「とうとう班長扱いもされなくなった……やはりかっこ悪いところを見せすぎて、もはや班長と呼ぶのも嫌に」
「違います、違いますって!」
何やってんだ、オレ。いきなり馴れ馴れしすぎるだろ! いやでも、何か班長って呼んだままじゃ上司と部下って関係から抜け出せない気もするし、できれば「ミカサ班長」よりは「ミカサさん」って呼びたい。
「嘘。本当は、せっかくいろんな話をして仲良くなった気がするのに、ずっと班長と呼ばれるのは寂しかった」
「えっ、それじゃあ」
「好きに呼んでほしい。何なら、ミカサと呼んでくれても」
「いえ、さすがに呼び捨てはちょっと」
オレの返答に、彼女は「冗談に真面目に返された」と言いながら微笑んだ。
「おはよう。エレン、アルミン」
食堂に入ったオレ達に、声がかかる。
「おはようございます、班長」
「おはようございます、ミカサさん」
アルミンと一緒に食事を持って近づいた。アルミンが眉を寄せて、
「あれ、エレン。いつの間に班長をそう呼ぶようになったの?」
椅子に腰を下ろしながらオレを見るアルミンに「秘密」と返すと、アルミンは不満そうに視線を動かした。
「エレンと何かあったんですか? 班長」
話を振られた彼女は、持っていたスプーンを置いて視線を上に向ける。
「知りたい?」
「知りたいから聞いてるんですよ」
「そう。でも、秘密」
人差し指を立てて唇の前に持ってきたミカサさんは、いたずらを思いついた子どものような笑顔だった。
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update 2014/1/7