新兵の初恋
調査兵団卒団時の成績は、ミカサを抜いてそのまま順位を繰り上げています。
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ずっと、壁の外に行きたいと思っていた。人類の活動領域を取り囲む、忌々しい壁の向こうにあるものをこの目で見たいと思っていた。
だから兵士になって、壁外調査を行う調査兵団に入ると決めたんだ。心配症な母親には散々止められたけど、父親が反対しなかったこともあり、最終的に押し切った。
三年間の訓練を経て、訓練兵団を四位の成績で卒業したオレは、念願叶って調査兵団所属となった。今、数人の同期と一緒に調査兵団本部近くの野原にいる。どうやら、ここに集まっているメンバーが同じ班らしい。
「同じ班だね、エレン」
幼なじみのアルミンが、笑顔を見せる。そんなアルミンに頷いたところで、
「ごめんなさい、遅くなった」
焦ったような女性の声が近づいてくる。声のした方を見ると、黒髪の女性がやってきた。
身長は、恐らくオレと同じくらい。歳は二十代前半に見える。綺麗な髪を風になびかせているその人は、見慣れない目鼻立ちをしている。
こんなに美しい人が、この世にいたのか。
「待たせてごめんなさい。私が班長のミカサ・アッカーマン。壁外調査の時には、共に行動することになる。これからよろしく」
ミカサと名乗った女性が微笑む。その瞬間、心臓の鼓動が早くなった。顔が熱くなってくる。
「どうしたの、あなた。顔が赤いけど、熱でもあるの?」
「い、いえそういうわけでは」
話しかけられた! 声も綺麗だな、この人。
「そう。それならいいけど。ええと」
「エレン・イェーガーです!」
ミカサ班長が不思議そうにオレを見る。
「そう、エレン。敬礼はいい」
「はっ!」
敬礼を解くと同時に、膝から崩れそうになった。
「エレン、どうしたの?」
アルミンが顔を覗きこんでくるけど、声が出ない。全身から変な汗が吹き出てくる。
でも、何となく分かる。この感情が何なのか。オレは彼女に、ミカサ班長に、一目惚れしたんだ。
これが、ミカサ・アッカーマン班長とオレとの出会いだった。
「班長! 一緒にいいですか?」
食堂で一人スープを啜るミカサ班長に、声をかける。
「構わないが、私と一緒でいいの? 向こうにあなたの同期が」
「大丈夫です。班長と、一緒に食べたいんです」
「そう」
ミカサ班長の向かいに座る。僅かに目を伏せてスープを口にする班長は、色っぽい。って、何を考えてるんだオレは。
「食べないの?」
「食べます、食べます!」
パンを千切って口に運ぶオレを見て、班長も食事を続けた。
スープを飲み干し、全ての皿を空けたミカサ班長が、両手を合わせる。
「ごちそうさまでした」
「何ですか、それ」
「母に教わった。食事をとるというのは命をいただくことだから、食べる前には『いただきます』と言う。食べ終えたら、いただいた命に感謝を込めて『ごちそうさま』と言うって」
「へえ、どこの風習なんですか? 初めて聞きました」
班長はオレの顔へ視線を向け、何かを考える素振りを見せた。
「かつて壁がなかった頃、ここから離れた場所に、東洋と呼ばれるところがあったらしい」
「東洋?」
「そう。私の母は、壁の中に逃げてきた東洋人の末裔だったようで、さっきの挨拶も東洋の風習と聞いた」
「えっ、壁の外の文化なんですか!? もっと教えてください!」
周りの視線がオレに集中する。何をやってるんだ、オレは。
「私も、母に聞いた範囲でしか分からないが」
「それでもいいです。だって、こんな話、そう聞けるものじゃありませんし。班長って珍しい顔立ちだとは思ってましたけど、それってその、東洋人の血を引いてるからなんですね」
「そう。私の顔は母親似」
ということは、ミカサ班長の母親も美人なんだろうな。少し見てみたい気もする。
「ただ、東洋人は希少故に、母はいろいろと危ない目に遭うこともあったらしい。人買いに狙われたり」
「そうなんですか。大変なんですね」
「父は調査兵団に所属していたが、母の身を守るため、母と結婚すると同時に引退したと聞いている。私も、兵士だった時の父のことは詳しくは知らないが」
意外としゃべるんだな、班長って。いやそれ以前に、
「何で、そこまでつっこんだことを教えてくれるんですか?」
「深い意味はない。変わった顔立ちだと言われることは多いし、敢えて伏せるようなことでもないと思うので、訊かれたら話している」
「そう、ですか」
何がっかりしてるんだ、オレは。そんなに話したこともないのに、ミカサ班長がオレに対して思うところなんてあるわけないだろ。オレだから話したなんて、少しでも思ったのか。
「エレンは、壁の外に興味があるの?」
「……えっ?」
ミカサ班長の黒い瞳が、オレを見つめる。
「さっきのあなたの発言からは、そう感じた。違うの?」
「違いません」
「そう。別に、硬くならなくてもいい。ここには、そういうのを馬鹿にする人はいないから」
ミカサ班長が、コーヒーの入ったカップに口をつけた。
「班長は、どうして調査兵団に入ろうと思ったんですか?」
カップをテーブルに置き、班長がまたオレを見る。
「私は、東洋に行ってみたい。母も、壁の中に逃げてきた東洋人の間で生まれたから、壁の外を実際に見たわけではない。だから、実際に見てみたい。それにさっきも言ったが、父も調査兵団にいたので、それにも影響を受けていないわけではない」
「そっか。行けるといいですね、いつか」
ミカサ班長が、微かに笑う。初めて会った時のように。
「行けるといい、じゃない。絶対に行く。できれば、あなた達と一緒に。東洋に行けるくらい、壁の外を自由に移動できるようになるまで、ちゃんと生き残って。エレン」
本当に、綺麗な人だ。ミカサ班長は。
「はい。絶対に、生き残ってみせます」
その頃にはきっと、オレも大人になっているだろう。今はまだ人生経験も兵士としての体験も乏しいけど、壁からも巨人からも解放された頃には、この人と並ぶことができるようになっているといいな。
ミカサ班長が、オレの頭を撫でてきた。
「エレンはいい子」
「やめてください。オレもう十五ですよ」
「十五歳なんて、まだ子ども。かわいいものだ」
ちくしょう、完全にガキ扱いされている。まあ確かに、七歳も違えば仕方がない。仕方がないけど、やっぱり一人の男として見てほしい。
「エレンの髪、触り心地がいい」
「もう本当に、勘弁してくださいよ。班長」
「嫌だ」
「何でですか!?」
いやでも、こうして触れてもらえるなんてラッキーじゃないか? だけどやっぱり、ガキ扱いはされたくない。どうする、どうすればいいんだオレ!
ミカサ班長の顔を見る。なぜか楽しそうに、オレの頭を撫で続けている。年上の人に対してこんなことを考えるのも失礼だと思うけど、何だかかわいい。
まあ、いいか。班長のこんな顔が見れたんだから。
「ねえ、エレン。僕の考え違いだったら悪いんだけど」
寮の部屋で、アルミンが真剣な顔を向けてくる。
「どうしたんだよ、一体」
アルミンは周りの様子を伺って、オレに顔を寄せてきた。
「エレン、班長のこと好きだろ」
耳元で告げられた言葉に、ひっくり返りそうになる。何とか体勢を立て直し、
「な、何でそう思うんだよ」
「エレンの表情とか、空気感? そういうのが、班長といる時は何だか違うなって」
さすがオレの親友だ。オレの変化を、敏感に察知していたのか。
「で、どうなんだ? エレン」
アルミンが詰め寄ってくる。何が何でも答えを聞くつもりらしい。
「それは、その、好きだよ。向こうは大人だし、オレなんてガキ扱いされてるけど」
「そっか。まあ何にせよ、人を好きになるっていうのはいいことだと思うよ。エレンって今まで恋愛とか無縁だったし、僕も自分のことのように嬉しいよ」
「大袈裟だって」
「それにしても、エレンは年上好きだったんだね。付き合いが長いのに、全然知らなかったよ」
「いや、別にそういうんじゃ」
年上だから好きになった、なんてことはない。美人だからなのかって言われれば否定はできないけど。一目惚れだし。
「そんな照れなくてもいいだろ。そうだ、エレン。今度、壁外調査があるだろ」
「あ、ああ」
「今回の調査は、一先ず新兵を慣れさせるための短距離のものらしいけど、巨人とは遭遇するだろうね。命に関わることだし、どうするかはエレン自身が決めることだけど、今度の調査は班長にアピールするチャンスなんじゃないのかな」
「それってつまり、オレが巨人を倒したら、班長もオレを認めてくれるかもしれないってことか?」
「あくまで可能性の話ではあるけど、倒せたら、ね。まあ、無理をする必要はないよ。それで死んじゃったら、元も子もないからさ」
確かにアルミンの言う通り、新兵のオレが初めての壁外調査で巨人を倒したら、ミカサ班長も一目置いてくれるかもしれない。でも、下手をすれば命に関わるのもまた事実だ。
「どうするかは、その時に考える。できるかどうか、状況次第だろうから」
「そうだね。それがいいよ」
アルミンが苦笑する。壁外調査で命を落とすかもしれないのは、アルミンも同じなんだよな。これが最後の会話になんてならないといいけど。
ミカサ班長は強かった。新兵なんて出る幕もないくらい、圧倒的だった。立体機動で宙を舞う班長は、この世のものとは思えないくらい綺麗だった。
初めての壁外調査は、十数人の新兵を失って終わった。それでもミカサ班は、全員無事だったんだ。ほとんど、班長のおかげだけど。
「全っ然、いいとこ見せられなかった」
「まあまあ、エレン。生きて帰ってこれたんだからいいじゃないか」
「会った巨人は全部、班長が倒したけどな」
アルミンと会話をしながら、調査兵団本部の廊下を歩く。いくら兵士としても経験の差があると言っても、完全に班長に守られていた状態って、情けねえ。
「あっ、噂をすれば」
アルミンが前方を見る。つられて同じ方向を向くと、ミカサ班長が俯いた状態でこちらへ歩いていた。
「班長!」
オレの声に、ミカサ班長の肩が跳ねる。こちらを見た班長の顔は、泣きそうに見えた。
「エレン、アルミン」
声にも、覇気がない。あんなに強いのに、班員は一人も欠けていないのに、どうしてこんな顔をしているんだろう。
「どうされたんですか? 班長。元気ないですけど」
「私は、元々テンションが低い。ので、気にする必要はない」
「気にしますよ。そんな、悲しそうな顔をしていたら」
ミカサ班長が、また俯く。この人のこんな様子は、初めて見た。
「エレン。僕、先に行ってるね」
「ん? ああ」
アルミンが一人で歩いて行く。後ろ姿が見えなくなった頃に、ミカサ班長へ目を向けた。
「班長。何かあったんですか」
「何もない」
「何もないようには見えませんよ」
「これは私の問題なので、ほっといてほしい」
ミカサ班長が、歩き出そうとする。
「ほっとけません!」
腕を掴むと、班長が信じられないと言うようにオレを見た。
「班長。確かにオレは、壁外に出たことも一回しかない上に、それも班長に守られ通しだった、頼りない新兵です。でも、話を聞くことくらいはできます」
ミカサ班長は不思議そうな表情になり、オレに掴まれている手元へ視線を下した。
もしかしたら、振り払われるだろうか。そうだとしても、離す気は毛頭ないが。
「ここでする話ではない」
班長が、身体をこちらに向ける。
「私の部屋に行こう」
「えっ、部屋?」
「そう」
待て待て待て待て待て。いきなり何なんだ、この急展開は。まさかこの流れで、部屋に招かれるなんて想像できるわけがない。
「来たくないなら、ここで話は終わりだ」
「い、行きます行きます!」
何を考えてるんだ、この人は。確かにミカサ班長からすればオレはガキだろうけど、それでも年頃の男だっていうのに。無防備すぎるんじゃないか?
ミカサ班長が「こっち」と言いながら足を進める。多分、天然なんだろうなこの人。
班長に連れられるまま歩いて行くと、寮にある一室の前で彼女が立ち止まった。
「ここが私の部屋。班長の部屋は個室になっているので、他人に話を聞かれる心配はない」
いや、それ余計にやばいって。完全無欠に、ミカサ班長と二人きりになるってことじゃないか。
班長がドアを開ける。招き入れられた部屋は、ベッドに着替えの服、立体機動装置と調査兵団のマントくらいしか見当たらなかった。
「殺風景な部屋でごめんなさい」
「あ、いえ」
何だか、ミカサ班長らしいと言うか。無駄なもの、一切置いてないんだな。
ミカサ班長がベッドに腰を下ろす。自分の隣を、軽く叩いた。
「そこに座れってことですか?」
「他に何があるの」
班長が不満気にオレを見る。正直、かわいい。
指定された場所に腰を下ろす。すぐにでも班長の手を握れそうなくらい、距離が近い。これはやばい。
横を向くと、班長の顔が目の前にあった。息は、さすがにかからないが。
生唾を飲み込んだオレの顔を、ミカサ班長が見つめてくる。多分、相当情けない表情になってるな、オレ。
「エレン」
「はい」
「今回の壁外調査で、新兵が何人も死んだ」
ミカサ班長が、瞼を伏せる。
「今期の入団者は、二十人ちょっとだ。例年より多い。が、それも既に半分の人数になってしまった」
「でも、ミカサ班は全員残ったじゃないですか。班長のおかげです」
「私一人が壁外でフォローするのは、自分の班でやっとだ。だから、考えても仕方のないことだとは思っている」
「だが」と、ミカサ班長が目を閉じて俯いた。
「私は考えてしまう。もっと、犠牲者を少なくすることはできたのではないかと。壁外調査で誰も死なないなんて、ほぼ不可能だ。慣れていない新兵は特に、死亡率が高い。それでも、もっと私に力があれば」
顔を上げた班長は、オレを見ると気まずそうに目を逸らす。今のオレは、どんな顔をしてるんだろう。
「厚かましい考えだとは、分かっている。誰だって、自分自身の両手で抱えられる量は限りがある。それを見誤って、自分では抱えきれないものを抱えようとして、命を落とした者だって何人も見てきたのに」
ミカサ班長が、自分の手の平を見つめる。
「調査兵団に入って、七年も経って、自分が抱えられる量をきちんと見極めたつもりだ。だが、最近の私は少しおかしい。初めて自分の班を持ったからだろうか」
「えっ、そうなんですか?」
「そう。私は、今期で初めて班長になった。それで、既存の兵士はどこかの班に所属しているので、新兵ばかりを集めた班が私の班となった」
こちらへ顔を向けたミカサ班長が、オレの目を見てくる。
「あなた達は、眩しい。まだ巨人との戦いをほとんど行っていないからだろうが、理想に燃えていて、純粋だ。あなた達を見ていると、入団した頃の自分を思い出す」
「入団した頃の班長って、どんな感じだったんですか?」
「どう言えばいいだろう。もっとこう、今よりも熱かった」
「抽象的な説明ですね」
「仕方がない。七年も前のことなので」
ミカサ班長が、照れくさそうに頬を掻く。何でこの人は、オレより年上ですごく強いのに、こんなにかわいいんだろう。
「エレン。ありがとう」
「えっ、何がですか」
「話を聞いてくれたから。おかげで、自分の気持ちを整理できた。壁外で余計なことを考えていれば命取りになるので、もう余計なことは考えない。抱えきれないものを抱えようとすると、既に抱えているものも手から零れてしまうかもしれないし、私は私が抱えきれるものを精一杯守るだけだ」
班長の両手が、オレの左手を握った。顔が熱くなるのをごまかすように、視線を班長とは反対側へ向ける。
「何か、お礼がしたい」
ミカサ班長の手、柔らかいな。巨人相手に刃を振るっていたのが嘘みたいだ。
「何でも、いいんですか」
「私にできる範囲であれば」
「じゃ、じゃあ」
もしオレが、班長を女性として見てるのを示すような要求をしたら、どんな反応をするんだろうか。キスとか、それ以上のこととか。
「また今度で、いいんですけど」
目線を、ミカサ班長へ向けた。班長は、オレの方を見つめている。
「東洋のこと、もっと教えてください」
「……それでいいの?」
「はい。あ、何ならアルミンも一緒に聞かせてもらえませんか。アルミンも、壁外のことに興味があるんで」
微笑んで見せると、ミカサ班長も笑った。
「分かった。そうしよう」
この表情を見れば、一瞬浮かんだ邪な考えを振り払ったのは正解だったと、確信できる。
ちなみに、後でアルミンには叱られた。曰く、自分は男なんだとちゃんとアピールしないと、子ども扱いされてかわいがられてる状態から抜け出せない、とか何とか。
オレだって分かってる。分かってるけど、ミカサ班長の笑顔に勝るものはない、とも思うんだ。
だけど今度は、少し勇気を出してアピールしよう。アルミンの説教を受けながら、オレはそう決心した。
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update 2013/12/6