好きだから、泣かないで
『この名前があるから、私の傍にいてくれるの?』
泣きそうな顔であいつが口にした言葉を、忘れたことはない。
『私がLIMITLESSだから、エレンは私を好きになってくれたのでしょう? LIMITLESSの名前があれば、私じゃなくてもよかったんだ。私である必要なんて、一つもない』
違う。お前を見つけたのはお前がLIMITLESSだからだけど、お前を家に呼んだのは、それが理由じゃない。
オレはただ、泣いているお前を見つけた時に、思っただけなんだ。お前を泣かせたくない、笑っていてほしいって。それが一目惚れだと言うなら、そうなんだろう。お前とオレが同じ名前であることは、出会ったきっかけにすぎない。
そう言いたかったけど、言えなかった。あいつをオレの傍に縛り付ける理由にLIMITLESSの名前を使っておいて、肝心な時に名前は関係ないなんて、そんな都合のいいことを言えるわけがない。
もしかしたらお前は今でも、オレがお前と一緒にいるのは、名前が理由だと思ってるんだろうか。訊いてみたいけど、もし頷かれたらって思うと怖くて、ずっと訊けないままだ。あいつがあの時、泣きそうになっていたのは、オレのせいなのに。
サクリファイスが主人で戦闘機が下僕だとよく言うけど、そんなことあるはずがない。あいつに捨てられるのを恐れているのは、オレなんだ。
ミカサ。お前を抱きしめる資格が、オレにはあるんだろうか?
「PAINLESSの戦闘機と会った」
玄関から入ってきたミカサが、口を開く。
「そうか。戦闘は」
「していない。エレンのいないところでは、戦わない約束だから」
ミカサの目が輝く。頭を撫でてやると、嬉しそうに微笑んだ。
こうして見ていると、昔こいつが口にした疑念は、もうこいつの中から消えたんじゃないかという気がしてくる。でも、ミカサが本当はどう思っているのか、オレには分からない。同じ名前の絆で結ばれてるなんて言っても、結局は別々の人間だ。
「エレンの手、あったかい」
「そうか」
オレの手に頬をすり寄せてくるミカサは、すごくかわいい。抱きしめて、守ってやりたくなる。でもミカサは戦闘機で、言語闘争の時には戦う立場にいる奴だから、オレにできるのはダメージを負ってやることだけだ。
「ミカサ」
黒い瞳が、オレの方を向く。顔を近づけると、ミカサが目を閉じた。
『エレン。私のミミを落としたのが、あなたでよかった』
初めて身体を重ねた後、ミカサが涙ぐんで呟いた。ベッドの上に落ちたミミを見つめ、
『私はあなたの物だと、あなたも私の物だと、そう言ってくれたことが嬉しい』
ミカサが抱きついてくる。素肌同士が触れ合って気持ちいい。
『エレン。私は、エレンが好きだ。ずっとずっと、一緒にいたい。でも、少し怖い』
『怖い? 何が』
『エレンはよく、同じ名前のつがいだと私に言う。でもそれは、LIMITLESSの名前を持つ者同士としての話であって、私個人に対してどうこうというものではない。だから私は、エレンが私自身をどう思っているのか、分からない』
ミカサが何を言っているのか、分からなかった。分かりたくもない。
『エレンは、私を好きか嫌いかで言うと、好きでいてくれているのだろう。エレンが何とも思っていない相手と、こんなことをできるような人ではないのは分かっている。でもそれは、私がLIMITLESSだからではないの?』
オレは今まで、ミカサに対する愛しさをずっと示してきたつもりだった。同じ名前のつがいというだけじゃない、ミカサという一人の女の子に対して。
身体を離し、ミカサの顔を覗きこむ。ミカサは泣きそうな目で、オレを見てきた。さっきの嬉し泣きとは違うその表情で、確信してしまった。
オレがミカサに注いだ愛情は、全く伝わっていなかったんだと。
『ねえエレン。あなたはこの名前があるから、私の傍にいてくれるの?』
オレの腕の中で、ミカサが微かに動く。オレの背中に手を回して、胸が当たるくらい身体を寄せてきた。
「あまりくっつくなよ」
「……どうして」
「またしたくなるだろ。そんなに胸を押し付けて、誘ってんのか」
「エレンがしたいのなら、そういうことにしてもいい」
耳元で、弱々しく細い声が聞こえてくる。
「いや、いいよ。お前、眠いんだろ」
「大丈夫、できる」
「無理して応じてくれなくても」
「無理はしていない」
そう言いながらも、ミカサは今にも寝そうな声をしていた。
「いいから、寝ろ」
ミカサの頭を撫でて、布団をかけ直す。
「お休み、ミカ」
「エレン」
ミカサが、腕に力を込めてきた。
「ミカサ? どうしたんだ」
「私は、あなたに謝らなければいけないことがある」
「お前が、オレに?」
「そう。ずっと、言わないといけないと思っていた」
身体の位置をずらしたミカサが、オレの胸に顔を埋めてくる。髪が当たってくすぐったい。
「ミミを落とした時のこと、覚えてる?」
「……ああ。忘れたことがない」
初めて一つになった喜びも、お前の泣きそうな顔も、全部。
「あの時、エレンにひどいことを言ってしまった」
「ひどいことって?」
「エレンは私のことを大切にしてくれているのに、私はエレンの気持ちを疑ってしまった」
ミカサの声が震える。背中を軽く叩くと、ミカサが息を吐いた。
「そんなの、不安にさせたオレが悪い」
「違う。私が愚かだった。私が」
「ミカサ、もういい。もういいから」
顔を上げさせると、涙ぐんだミカサの目が見える。
「泣くなよ」
あの時オレは、ミカサに自分の気持ちが通じていなかったことも確かにショックだった。でもそれ以上に、一番泣かせたくない相手が、自分のせいで泣きそうになっていることの方が嫌だったんだ。
「疑われることよりもずっと、お前に泣かれる方がつらい」
ミカサは「ごめんなさい」と目元を擦り、オレの顔を見た。
「ごめんなさい、エレン。ありがとう、私を愛してくれて」
――やっぱりミカサは、笑った顔が綺麗だ。
「オレの方こそ、ありがとな。傍にいてくれて。好きだ、ミカサ」
「私も、エレンが好き」
互いに顔を寄せ合い、キスをする。もう数え切れないくらいしてるけど、今更になって分かった。好きな相手と口付け合うことが、どれだけあたたかいかってことを。
顔を離すと、ミカサの嬉しそうな表情が目に入る。
「よかった、ちゃんと言えて」
「そうか」
なぜこのタイミングで言おうと思ったのかは分からないけど、ミカサの中にあったわだかまりが溶けたようでよかった。
「ところでエレン」
「ん? どうした?」
「話をしているうちに、すっかり目が覚めてしまった」
「このままでは寝付けないので、疲れさせてほしい」なんて言いながら、ミカサが抱きついてくる。
「それはつまり、したいってことか?」
ミカサの身体が少し跳ねた。
「訊かないで」
何を照れてるんだ、こいつは。こういうことだって、ミミを落としてからもたくさんしてるのに。
「なぜ笑うの」
「笑ってねえ」
「いや、エレンは笑っている。声を聞いただけで分かる」
オレだって、見なくても分かるぞ。お前がどれだけ、顔を真っ赤にしているのか。
「かわいいって、思っただけだ」
ミカサがよく分からない声を上げて、オレの首筋に頭を寄せてきた。
「何を、言っているの。私は別に、かわいくなど」
「かわいいよ、ミカサは。前から何度も言ってるだろ」
顔を上げさせると、ミカサが口を開こうとする。何か言う前にオレの口で塞いで、舌を入れると、ミカサが応じてきた。
しばらく舌を絡め合って、口を離す。糸を引いている唾液も、真っ赤な頬で息の上がっているミカサの姿も、オレの身体を熱くさせた。
「エレン。キス、気持ちいい」
「もっと気持ちいいこともするからな」
期待するようにオレを見ながら、ミカサが頷く。そんなミカサを、微笑みながら抱きしめた。
『エレン! あんた、何てことをしたのよ!』
ミカサがいないのを確認して、母さんが耳を引っ張ってきた。
『ミカサと、ミミを落としたことか?』
『他に何があるって言うの。さすがに、ご両親を亡くしてからはエレンが寄る辺になっているミカサの前じゃ言えないけど』
母さんが、オレの耳元に口を寄せる。
『あんた、もしミカサが妊娠したとしたら、責任取れるの? まだ十二歳でしょ?』
『それ、は』
そんなことまで考えていなかった。でも確かに、気にしないといけないことだったんだろう。
『エレンも分かってると思うけど、女の子は十二歳でも、もう充分に子どもを作れる身体になっている子が多いのよ。ミカサもそうみたいだし、ちゃんと気をつけないと』
『分かってるよ』
オレを見て、母さんが溜息を吐く。
『そういうこと、するなとは言わないんだな』
『この間も言ったけど、遅かれ早かれそうなるとは思っていたわ。最初にミカサを連れてきた時から、エレンがミカサのこと好きなのはバレバレだったもの。既に一度そういうことになった以上、今後は気をつけなさいとしか言いようがないわよ』
「もしミカサに子どもができたら、私達もサポートするわ」と言いながら、母さんが野菜スープの入った鍋をお玉でかき混ぜる。
『家族を亡くすという体験をしたミカサが、自分の中に新しく宿った家族を捨てるとは思えないもの』
『ああ。オレも、そう思う』
母さんはスープを混ぜる手を止めずに、オレを見て微笑んだ。
『ミカサのこと、大切にしてあげるのよ。エレンはサクリファイスで、全てのダメージを負ってあげられる立場なんだから』
『それは、母さんに言われるまでもない』
ミカサと臨む闘いでは全て、オレがダメージを引き受ける。ミカサに負担をかけたりしない。
『言語闘争を行っていく中ではいろいろあると思うけど、頑張りなさい。ミカサと二人で』
母さんは優しく笑って、スープの味見をしていた。
他にも、母さんには聞きたいことがたくさんあったんだ。サクリファイスの先輩としてもそうだし、ミカサと一緒にいる上で、女の子とはどう接していけばいいのかも、聞きたいと思っていた。でも結局、母さんとミカサのことで話をしたのは、それが最後だった。
「エレン、起きて。もう朝になった」
身体を揺すられて、目を覚ます。すぐ近くに、ミカサの困った顔があった。
「ああ、おはよう。ミカサ」
「おはよう、エレン。休みだからって、あまり寝ていてはだめ」
「分かってるって」
上半身を起こして、ミカサの額にキスをする。ミカサもオレの額にキスを返して、
「今日は、おばさんから教わった野菜のスープを作ってみたの。エレン、好きでしょ?」
お玉を持って背を向けたミカサに、いつかの母さんの姿が重なった。ほんの一瞬だけだが。
「そうだな、好きだ」
「じゃあ、早く起きて。あまり火にかけたままだと、煮詰まってしまう」
「今ちょうど、おばさんに教わった時の味になってるから」とオレを見て微笑むミカサを、後ろから抱きしめる。
「エレン? どうしたの」
「別にどうもしねえけど、好きだなって思っただけだ」
ミカサは声を立てて笑い、オレの腕に手を添えた。
「私も好き」
「なあミカサ。もし子どもができたら、ちゃんとオレが責任を取るからな」
真っ赤な顔で、ミカサがオレを見る。声を出さずに口を動かして、抱きついてきた。
「本当、に?」
「本当だ。まあそういうことにならなくても、互いに結婚できる歳になったら、籍を入れるつもりだけど」
腰を抜かしたミカサの身体を、抱きとめる。オレを見たミカサの顔は、赤いままだ。
「よろしく、お願いします」
「喜んで」
一生、一緒にいような。ミカサ。
「愛してる」
耳元で囁いた言葉に、ミカサが頷いた。
----------------
update 2013/10/18