不安な彼女 | Of Course!!

不安な彼女

生理描写というほどではありませんが、その手の話題がちょっと出てきます。

 

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 そよ風が木々の葉を揺らす。その音を聞きながら、遊は薙刀を中段に構え巻藁を睨んでいた。少し離れたところから、夫の政行が両腕を組んで彼女を見ている。彼に薙刀を教わり始めてそろそろひと月だ。基本もできていないと思われるわけにはいかない。

 深呼吸して薙刀を握り直した遊は、掛け声と共に巻藁を突いた。再び息を吐くと、政行の方を見る。

「どうですか、おまえ様」

「どうって言われても、巻藁を突くだけのことにどういう感想もとめてんだよ」

「そうですね。例えば、軸がぶれなくなったとか、動きに無駄がなくなったとか」

「まぁ、それはどっちも思うな」

「ほらー、あるんじゃないですか」

 「何ですぐに言ってくれないんですか」と頬を膨らませる遊に、政行が肩をすくめた。

「そうは言っても、一か月もやってりゃそれくらい普通だろ。わざわざ言うまでもねぇ」

「普通でも言ってほしいですよ。おまえ様に教わるまで全然やったことないから、本当にちゃんとできてるのか不安ですし。それに私、褒められると伸びるんで」

「自分で言うな」

 頭を軽くはたかれ、遊がまた拗ねる。政行が僅かに口元を緩めると同時に足音が近づいてきて、初老の男が姿を現した。

「今日も精が出るな、二人とも」

「父上」

 慌てて膝をつこうとした遊を、初老の男が制する。

「政行が公家の姫を娶りたいと言い出した時はどうなることかと思ったが、遊はよく働いて家事もすぐ覚え、家の者ともうまくやっているようで安心した。薙刀の腕前も上達していて結構なことだ。だが忘れてはおるまいな。こうして夫婦となったからには」

「心得ております」

 頭を下げた政行を遊が見つめる。初老の男は満足げに何度か頷くと立ち去って行った。

 その日の夜、閨に入った政行は畳の上に腰を下ろした。遊も彼と向き合い、正座する。

「遊。父上も昼間おっしゃっていたように、おまえはよくやってると思う。炊事も掃除も洗濯も、ここに来るまでやったことねぇだろうにあっという間に身に着けたし、母上もおまえを随分と気に入ってる。うちは男兄弟だし、義理とはいえ娘ができたのが嬉しいんだろうな」

「いやー、私も最初はどうなることかと冷や冷やしましたよ。でも皆さん優しいし、この家に嫁いでよかったって本当に思ってます」

「ただな。張り切るのはいいんだが、あまりやりすぎるなよ。おまえに仕事を取られて女中が困ってる」

「あー、ごめんなさい。善処します。でもやっぱり私ってまだまだ世間知らずだし、いろんなこと覚えないといけないなって思いまして」

 無邪気に笑う遊を前に、政行が溜息を吐いた。頭を掻いて、遊に向き直る。

「なぁおまえ、父上が何を言いたかったか分かってるよな」

「もちろんです。せっかく薙刀の稽古をみっちりやってきたんですからね。そろそろ成果を実践で試して本格的に武家の女への道を」

「何でそうなる」

 呆れ顔の政行に、遊が微笑んだ。

「やだなぁ、冗談ですよ。跡継ぎですよね」

「ああ。一か月かそこいらで授かるなんて誰も思っちゃいねぇだろうけど、稽古ばかりやってたし、その辺なにも考えてねぇように見えたのかもな」

「そうなんですかね。まぁやることやってるんですし、そのうち何とかなりますよ」

 遊は明るく言い放つと、布団の中に潜り込む。

「さぁおまえ様、今日も一戦まじえましょうか」

 遊が掛け布団を捲り上げる。政行はまた息を吐いて、額を押さえた。

「何だその色気ねぇ誘い方」

「私がこういう奴だってことはもうじゅうぶん分かってるでしょう?」

「分かってるけど、せめて初夜の時くらいのしおらしさを」

「無理です」

「断言すんな。まぁでも、別にいいか」

 腰を浮かせた政行が遊に近づく。捲られたままの布団に入ると、彼女を抱き締めて口づけた。すぐに離れ、目を合わせる。

「おまえがやる気ならそれに越したことはねぇからな。今夜もたっぷり鳴かせてやるよ」

 遊が口角を上げ、政行の首元に腕を回してくる。

「望むところです」

 再び唇を重ねる。今度は深く交わし合った二人は、情欲の海に沈んでいった。

 

 

「お嬢ちゃん、ご実家から御文ですよ」

 年配の女中に折り畳まれた紙を差し出される。礼を言って受け取った遊は、紙を開いて中を見た。

「あっ、おたあさんからだ」

「お袋さんから? 何かあったのか?」

 彼女の横から政行が文を覗き込む。ふたり揃って目を通すと、遊が紙を閉じた。

「もうっ、おたあさん気が早すぎですよー!」

「……すげぇな。ただ孫の催促をするだけじゃなくて、名前の候補までびっしり書くなんて」

「そんなの実際に身ごもってから考えても間に合うのに! しかも女の子の名前ばかりだし!」

「いや、男の名前も少しはあったと思うけど」

 政行が遊の手から文を取り、また読んでいく。

「ああうん、少ししかねぇな」

「大体、他にもっと書くことありますよね! 近況とか!」

「確かに気になるな。今回の婚姻でおまえが女だって知られてから、親父さん公家内で後ろ指さされてるって聞くし」

「それは想定内ですよ。どうせばれてしまえば同じことですからね。前も言った通り気づかれるのは時間の問題でしたし、だったら堀家の援助を受けられるだけまだいいでしょう」

 遊が文へ目をやり、眉を下げる。

「何とかなるとは思ってますけど、こうも周りから子どものことを言われるとやっぱり気になりますね。でも、これが嫁ぐってことなのか」

 うなだれた遊の頭を政行が軽く撫でた。遊が顔を上げると、優しく微笑む政行と目が合う。

「思い詰めるのも身体に毒だぞ。確かに周りは騒ぐだろうが、あまり気にすんな」

「でも、やっぱり早く産んだ方がいいですよね。石女だと言われて離縁されたりでもしたら」

「おまえどんだけ離縁が怖いんだ」

「だって、おまえ様と離れたくないですし。もし離縁になって、おまえ様が他の女性と結婚したら、なんて考えるだけで胸が苦しくなってくるんです」

 政行が、泣きそうな顔で訴える遊の肩を抱き留める。

「そんなこと誰にも言わせないし、おまえを離す気もねぇよ。俺の妻はおまえだけだ」

「……おまえ様」

 身を捩った遊が、政行の胸元へ顔を埋める。彼女の頭を軽く撫で、唇を落とした。

 

 

 草鞋を履き、政行が玄関を出る。振り返り、後ろにいた遊を見た。

「悪い。できるだけ早く帰って来るから」

「気にしないでください。武家には武家の付き合いがありますもんね」

 笑顔で「いってらっしゃい」と手を振る彼女に、政行も軽く手を振り返して家を後にした。今日は武家同士の親睦を深めるという名目の酒席に、政行が招かれていた。堀家の次期当主ということで指名を受けたのだ。

 彼の背中が見えなくなると、遊も家の中へ戻った。政行の母や女中と共に自分たちの食事を用意してそれを食べる間、政行の姿がない以外はいつも通りに笑って過ごす。だが、日頃であれば閨に入る時間になっても彼が帰ってこないとなると、遊の表情も曇った。

「坊ちゃん遅いですねぇ。まだ結婚したばかりなのに、奥さんを置いてこんな時間まで飲んでるなんて。あなたも寂しいでしょう」

「大丈夫ですよ。皆さんもいらっしゃいますし」

 口元だけ微笑んだ遊は、女中に挨拶して一人で閨に入った。布団の中で横たわり、天井を見上げる。嫁いでくる前は一人で寝ていたのに、ここに来てからすっかり政行と枕を並べることに慣れてしまった。彼の手に敏感な箇所を触れられ、彼と一つになり、そのまま抱き合って眠る。それがどんなに幸せなことか知ってしまった以上、もう前には戻れない。武家にいるからには、いざという時に政行を戦場へ送り出す覚悟も必要なのに、一度のひとり寝で寂しがる自分は何と女々しいのだ。だが、少しくらい女々しくてもいいのかもしれない。自分は女なのだから。もう、男のふりをする必要だってない。

 遊が寝返りを打つ。思えば自分は、なぜか自分の性別を知っていた政行を、最初は警戒していた。それがいつの間に、ここまで彼を慕うようになったのだろうか。今だって、月明かりに照らされた視界の中で隣が空白なのを改めて確認して、胸が締め付けられそうだ。

「おまえ様」

 小さな声で呼んでも、とうぜん返事はない。ただ余計に虚しさが増しただけで、遊は大きな溜息を吐いた。早く眠って、政行がいない現実から逃れたい。掛け布団を頭まで被り、きつく目を瞑る。その瞬間、外で小さな物音がした。布団から僅かに顔を出し、音がした方を向く。

「おまえ様? 帰ってきたんですか?」

 月光を頼りに、目を凝らして障子を見つめた。そこに映った影は明らかに見知らぬものだ。布団の横に置いていた薙刀を手に取り、遊が影を睨んだ。

「そこにいるのは誰ですか?」

 影の肩が跳ねたのが見えた。何者かは分からないが、曲者は倒さねばならない。薙刀を握る手に力がこもる。立ち上がった遊は、障子に近づくと一気に開けた。姿を見せた知らない男が、怯えた顔を向けてくる。

「何の用ですか」

「えっ、いやその、ちょっと金目の物を」

「泥棒ですね!? ここが堀家と分かってのことですか?」

 薙刀を構えた遊に、男は完全に及び腰だ。だが、よく見ると男は刀を携えている。相手がやり返してくる可能性を考えると、油断はできない。

「つ、つい出来心で、悪気はないんだ」

「他人の家に侵入しといて、そんな言い訳が通用すると思ってるんですか」

「ま、待ってくれ。話せば分かる」

「問答無用!」

 上段から薙刀を振り下ろすと、男が慌てて避ける。距離を取った男を追い、今度は中段から突き出すが当たらなかった。二人が走り回る音に、他の家人が起きたのか小さな話し声があちこちから聞こえる。障子が開き、初老の男が姿を見せる。

「遊、これは一体」

「お館様! 曲者です!」

 遊と初老の男に挟まれた男は、真っ青な顔でその場にへたり込む。初老の男が他に起きてきた家臣に命じ、男を縄で縛らせた。薙刀を握ったままその光景を眺める遊に、壮年の女が近づいてくる。

「遊、大丈夫だった? 怪我はない?」

「はい、全く」

 笑ってみせるが、少し眩暈がする。視界がぼやけて、息が上がってきた。

「遊、どうしたの? 顔色が悪いですよ」

「いえ、大丈夫です」

 そう答えるが、だんだん呼吸が荒くなっていく。血の気が引いた感覚に襲われ、足元がおぼつかない。僅かにふらついたのと同時に、荒々しい足音が近づいてくるのに気が付いた。

「遊!」

「……おまえ、様?」

 待ち望んでいた声を聞いたその時、彼女の意識は途切れた。

 

 

「誠に申し訳ありませんでした」

 土下座した遊の前で、政行が息を吐いた。

「おまえが倒れた時はどうしようかと思ったぞ」

「はい」

「何かやばい病気にでもかかったんじゃないかと」

「ご心配をおかけました」

 再び頭を下げた遊を制し、顔を上げさせた。

「月のものが来る時期ならそう言ってくれればいいのに」

「いやーそれが、私いまいち安定してなくて、自分でもいつ来るかよく分からないんですよ」

「……まぁ俺も、その辺りは詳しくないからあまり突っ込まねぇけど。それでも、貧血でぶっ倒れるなんてな」

「ごめんなさい。今後は気を付けます」

 今度は遊が溜息を吐く。

「子どもできてませんでしたね。残念」

「だから、それは焦らなくていいって言っただろ」

「分かってますよ」

 唇を尖らせた彼女がそっぽを向いた。

「これ終わるまでそういうことできませんね」

「そうだな。でも仕方ねぇだろ」

「そうですよね」

 拗ねた様子の遊は、頬を僅かに赤く染めている。政行は彼女の耳元へ唇を寄せ、

「月のものが終わったら、できなかった間の分もかわいがってやるよ。それでいいだろ」

 遊が政行の方を向く。耳まで真っ赤になった彼女は小さく頷いた。

「……はい」

 

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update 2015/5/19