「シナモン」
アイシナくんとモブがしゃべってるだけです。
----------------
街の中を、白い犬が歩いている。二足歩行を行い、ウエストポーチを携える彼の名は、シナモン。雲の上で生まれ、地上にやってきた。その生まれのためか、人間界での「犬」からは外れた生態である。常に二足歩行であるのもそうだし、自らスマートフォンを操作して買い物に赴くのも、人間界での通常の「犬」は行わないであろう。
そのシナモンが、紙袋を抱えている。中には、先ほど買った物たち。帰宅後に思いを馳せながら、足を進めていく。
「シナ、モン?」
振り返ると、白髪の女性が立っていた。
「なんでぼくの名前しってるの?」
女性の肩が跳ねる。しばらくシナモンを見つめて、
「あなた、しゃべるのね」
「そうなんだ。ぼく、空の上から来たから、人間界の子とちょっと違うんだ」
「空、から?」
女性がシナモンに視線を注ぐ。彼女の目から、涙がこぼれてきた。シナモンが目を丸くしていると、女性がハンカチを取り出す。目元をぬぐった彼女が、微笑んだ。
「ごめんなさい。驚かせたわね」
「うん、びっくりした。何かあったの?」
ハンカチで目頭を押さえて、女性がシナモンを見る。
「おばさんね、ワンちゃんと一緒に暮らしていたの。真っ白で大きなしっぽがかわいい子でね。シナモンをたっぷり使ったアップルパイの匂いが大好きだったから、シナモンって呼んでたの。でもこのあいだ、お空の上に行っちゃった」
「アップルパイが好きなのに、アップルじゃないの?」
女性が弱々しく笑った。
「そうね。言われてみればそうだわ。シナモンの香りが好きなのかと思っていたのだけど、そういえばシナモンロールには反応しなかった」
「おいしいのに、シナモンロール」
唇をとがらせたシナモンに、彼女が小さく笑い声を立てる。
「人間界のワンちゃんは、アップルパイもシナモンロールも食べないのよ。あの子も、匂いが好きなだけだったんだから」
女性がしゃがみ、シナモンの目を見た。
「あなたもシナモンって名前なのね」
「そうだよ。しっぽがシナモンロールみたいでおしゃれでしょ」
しっぽを揺らしてみせると、女性が口の端を上げた。
「本当ね。おしゃれだわ」
彼女が軽く息をつく。
「私ね、あなたを見た瞬間、あの子を思い出しちゃったの。白くて大きなしっぽが揺れているのが、かわいかったから。その上、あの子の名前を呼んだら振り向いて。更に、空から来たなんて。まるで、あの子が生まれ変わってきてくれたような気がしちゃってね。こんなこと考えて、あなたに失礼だわ。ごめんなさい。あなたはあなたなのに」
「ううん、いいよ」
女性の目元がゆるんだ。
「あなた、いい子ね。少し、頭を撫でさせてもらってもいいかしら」
「うん、少しなら」
紙袋を置いて、身体ごと女性に向き直る。頭を突きだすと、彼女に撫でられた。
「かわいいわね。本当にいい子」
寂しそうな微笑みを浮かべる女性を見つめる。彼女の脳裏に浮かんでいる子は、どんな子なのだろうか。白くてしっぽが大きな、人間界の犬。その姿を、想像してみる。だが、どんな姿を想い描いても、何か違う気がした。
「ねえ。お空に行っちゃった子って、どんな子だったの?」
女性が目を見開く。
「あら、知りたいの?」
「知りたい。だって、ちょっとぼくと似てるんでしょ? 気になるなあ」
「まあ。愛らしいおねだりだこと」
小さく笑みをこぼした彼女に、再び頭をなぞられた。
「これも何かの縁だわ。あなたをうちにご招待させてちょうだい。シナモンたっぷりの、アップルパイをごちそうするわ」
「本当!? わー、楽しみ」
しっぽを振るシナモンの前で、弾んだ声が響く。
「あなた本当にかわいいわね、シナモンちゃん。ワンちゃんって、どうしてこんなにかわいいのかしら」
女性が「あ」と声を漏らした。
「あらでも、あなたも予定があるわよね。お買い物の帰りみたいだし。また今度、改めてのほうがいいかしら。でも、その場合はどうやってお誘いすれば」
「連絡先おしえるよ」
スマートフォンを取り出したシナモンに、女性が大きく口を開ける。少し経って、満面の笑みを浮かべた。
「あなた、随分と不思議な子ね。なんてハイテクなワンちゃんなのかしら」
シナモンが首をかしげる。女性が腹を抱えながら、携帯電話を差し出した。連絡先を交換して、互いに向き直る。
「またね、シナモンちゃん。あなたに喜んでもらえるよう、腕によりを振るって用意するわ」
「うん、またね。バイバイ」
手を振ると、女性も振り返した。彼女が立ち上がり、背を向けて歩きだす。それを見送って、紙袋を持ち上げた。彼女と逆の方向へ進みながら、思考する。人間界では、天国という概念があると聞いたことがある。雲の上にいたシナモンからすれば、そのような場所の存在は見聞きした記憶がない。しかし、実在しないと言いきれるほど、天上の世界を知っているわけではない。見たことがないだけかもしれないし、見たことがあっても天国とわからなかったのかもしれない。それなら、「あの子が生まれ変わってきてくれた」という言葉を、否定することなどできない。
歩きながら、紙袋を抱え直す。中に入っているのは、マドレーヌを作るための材料だ。しかしすっかり、アップルパイの気分になってしまった。
かつて自分がいた、空を仰ぎ見る。彼女が「『シナモン』を失った自分」を愛せるようになればいいと、そう思った。
----------------
update 2024/2/11